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17年前に結婚した【欽ちゃんの愛弟子】『王様のブランチ』で愛された“姫”の現在

  • 2026.10.25
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2009年1月、舞台『あらん はらん しらん』の終演後会見で結婚を報告したはしのえみ(C)SANKEI

TBS系『王様のブランチ』の「姫様」として、長く親しまれたタレント・はしのえみ。お茶の間を笑顔にしてきた彼女の人生の晴れ舞台は、どこまでも温かく、そしてちょっぴり可笑しな“友情のドラマ”になった。

今から17年前の2009年10月20日、はしのは故郷・鹿児島で結婚式を挙げた。親族と幼なじみに囲まれたアットホームな式の後、自身のブログでその喜びを報告したのだが、添えられた写真は、お色直しを終えた花嫁が5人の親友と写る一枚。綴られていた言葉の大半も、主役である自分自身のことではなく、この日のために奔走してくれた友人たちの奮闘ぶりについてだった。

司会もVTRも全部手作り! 笑いと涙が交錯した故郷での結婚式

この日、大活躍したのが親友たちだ。司会進行からメモリアルVTRの制作、新郎新婦へのサプライズプレゼントの用意に至るまで、全部が5人の親友の手作りだった。

そして何より印象的だったのが、その“涙もろさ”だ。式の最初から最後まで、5人のうち誰かひとりがホロッと涙をこぼせば、まるでスイッチが入ったかのように全員へと連鎖し、そろってハンカチで目頭を押さえる。当人たちは胸がいっぱいで真剣そのものなのに、周りの目にはどこかユーモラスな光景に映ったらしい。

折しもこの日は秋晴れ。鹿児島出身の彼女らしく、桜島もお祝いの噴火をしてくれたと笑いを添えたブログは、周りのかけがえのない大切な人たちへの感謝で結ばれていた。最後には、結婚式の裏話はまた思い出したら知らせる、という予告も添えられていた。

姪のビーズ細工に「悪友」のポスター…玄関に飾られた宝物

その予告通り、報告の翌日にはさっそく温かなエピソードが明かされた。後日、ブログにつづられたのは、式の前夜の出来事だ。

その夜、姪っ子がビーズで手作りしたコースターをプレゼントしてくれた。姪の可愛い気持ちがうれしくなった夫(俳優・綱島郷太郎)は、披露宴でコースターを使わせてもらおうとニコニコ顔で提案した。当日、実際に使われているのを見つけた姪っ子はニッコニコで、嬉しさのあまり体を震わせていたそうだ。何日も前からコースターを作ってプレゼントすると張り切っていた姪の思いを、夫婦はそろってまるごと受け止めた。

さらに数日後、ブログには2枚の手作りポスターが登場する。仕掛け人は、はしのが親しみを込めて「偉大なる悪友達」と呼ぶ友人たちだ。

1枚目は、以前はしのが『おしゃれカンケイ』に出演した際、シークレットゲストとして登場した悪友たちが作った「祝!おしゃれカンケイ出演!」。そして2枚目が、今回の結婚式当日に贈られた第2弾「祝!結婚!」のポスターだった。ちなみにブーケは、独身の悪友にしっかり手渡した。

大人が全力を注いで作った、愛ある手作りポスター。はしのは2枚のポスターを、自宅の玄関を入ってすぐの廊下に飾った。何年たっても、こんなことに全力を注ぐ悪友たちが大好き。おばあちゃんになっても、この心意気を忘れずにふざけ合っていたいと、はしのはポスターを見ながらウンウンとうなずいた。

テレビ出演も結婚もお手製のポスターで祝う友人たちと、それを玄関に飾る彼女。損得勘定なしに全力でふざけ合い、慈しみ合う関係性は、見ているこちらまで温かい気持ちにさせてくれる。

欽ちゃんの「間に合ったね」に込めた愛弟子への思い

そもそもこの結婚が世に発表されたのは、同じ年の1月のことだった。師匠の萩本欽一と共演していた明治座の舞台『あらん はらん しらん』のカーテンコールで、はしのは元日に綱島と入籍したことを発表した。きっかけは、TBSの昼ドラ『みこん六姉妹』での共演だった。

16歳でタレントを目指して単身上京し、18歳で「欽ちゃん劇団」の第1期生となったはしの。長年その歩みを見守ってきた萩本欽一は会見で、「えみはデビューも遅いし、何やっても遅い子だから。『間に合ったね』と言ったんです」と明かした。

萩本は新郎となった綱島に「割と辛抱強い子だから、優しく大事にしてあげてね」と声をかけ、嫌とか辛いとかを表に出さない子だから明るい家庭になるだろうと続けた。はしの自身は欽ちゃんから1人目は女の子と予言されていて、結婚式は「今年中にはしたい」と語っていた。

その1年はまさに怒涛の忙しさだった。『王様のブランチ』で人気を博す一方、NHK『週刊こどもニュース』ではお母さん役を務め、同日に2本の生放送をこなす日もあった。夏には故郷・鹿児島の薩摩川内市で、全編鹿児島弁の舞台『六月燈の三姉妹』に立つなど目まぐるしい日々を送りながらも、有言実行でその年の10月、親しい人々に囲まれて地元の鹿児島で式を挙げた。

「50代も輝いてるね」と褒められるように

結婚の翌年の夏、米映画『運命のボタン』の吹き替えのアフレコ取材で、はしのは結婚が人生の大きな“運命のボタン”だったとし、「人間関係も考え方も倍になった」と語っている。そして結婚から6年後の秋、41歳で長女を出産。奇しくも欽ちゃんの予言通り、第1子は女の子だった。

あの日の結婚式を報告したブログは、今も温かな日常を伝え続けている。2025年の夏休みには、夫が作る朝ごはんとして、鹿児島の甘いお醤油で味付けしたオムレツを紹介したり、その年の10月には愛娘が10歳の節目を迎えたことを喜んだり。飾らない家庭の温もりがそこにはある。

そして今年2026年2月、はしのは約30年お世話になった事務所を離れ、個人での活動をスタートさせた。新たな一歩を踏み出す背中を押したのは、師匠・欽ちゃんの「恩と運」という言葉だった。

16歳で上京してきたあの頃の自分に「はしのえみ、50代も輝いてるね!」と褒めてもらえるよう、一歩一歩を大切に歩んでいく。そう決意を綴った彼女は、今年2026年9月、萩本欽一が「お客」となる舞台『欽ちゃんの「9階のハギモトさん!」』のステージに立った。

17年前、玄関に飾った悪友たちのポスターを眺めながら、おばあちゃんになってもふざけ合っていたいと書いたはしのえみ。50代の新たな船出に際しても、「ドキドキ!そして、ワクワク!」とまっすぐに胸の内を明かす姿には、あの頃と少しも変わらない心意気が宿っている。


※記事は執筆時点の情報です

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