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17年前、人気女優と“7年愛”を実らせた【歌舞伎界の御曹司】父の急逝を越えて…2人の息子と舞台に臨む今

  • 2026.10.25
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2009年10月、結婚会見を開いた中村勘太郎(C)SANKEI

17年前の2009年10月、歌舞伎俳優の中村勘太郎と女優の前田愛が、神前挙式を終えたばかりの晴れ姿で、2人そろって結婚会見に臨んだ。のちに六代目中村勘九郎を襲名する青年が、まだ二代目勘太郎を名乗っていた、27歳の秋のことだ。

直後には海部俊樹元首相をはじめ640人が集う披露宴を控えていたが、会見で語られたのは、格式や派手さではなく、部屋の掃除をめぐる微笑ましいやりとりや、これから築いていく家庭への素朴な願いだった。入籍はまだで、2人とも夫婦の実感は特にないまま。籍は落ち着いてから入れると勘太郎は説明した。

だが、あの日の会見をいま振り返ると、ある深い感慨が胸に迫る。若き日の彼が口にした言葉の数々は、17年後のいま、東京・浅草の舞台で花開いているからだ。

部屋の掃除と新妻の満面の笑み

ふたりの出会いは2001年、NHKのドラマ『光の帝国』での共演に遡る。7年に及ぶ交際が女性誌で報じられたのは、2009年1月のことだった。主演映画『禅 ZEN』の試写会の囲み取材で質問攻めに遭った勘太郎は、焦る様子もなく交際を認めた。一方で、記事にあった今秋の結婚や勘九郎襲名は誤報だと一つずつ丁寧に説明し、こんな形ではなく、いずれきちんと知らせたいと笑顔で話した。

その言葉どおり、同年4月に結納を済ませると、ふたり揃って会見を開き、10月の挙式を正式に報告した。その席で、前田が新郎への要望として口にしたのが「もう少しキレイ好きになってほしい」という可愛らしいリクエストだった。

それから半年後の結婚会見。艶やかな色打掛に身を包んだ前田は、着物が重たくて、これが今日の重さなのかな、と口にした。そして前田は、「自分で掃除をやってくれるようになって部屋がきれいになりました!」と、春の会見の“宿題”の続きを満面の笑みで明かした。

報道陣から夫を操縦できているかと水を向けられると、前田は恐縮しながら、どうにか2人でやっていきたいと答えた。隣の勘太郎は、花嫁姿を見られるのは一生に一度だと照れまくっていた。

父と同じホテルで結ばれたふたつの家族の縁

会見の中で、勘太郎は父との不思議な巡り合わせについても明かしている。勘太郎が挙式したホテルは、ちょうど30年前に父・十八代目中村勘三郎(当時は五代目勘九郎)が式を挙げた場所で、控え室も写真館も同じだった。父はそれを懐かしがっていた。

このころの勘太郎は、父が2000年に浅草で立ち上げた仮設劇場「平成中村座」の『仮名手本忠臣蔵』で早野勘平をはじめ8役を勤め、読売演劇大賞の杉村春子賞を受賞するなど、役者として大きく飛躍していた。春の会見では、将来継ぐことになる勘九郎の名について、父が一代で大きくした名前だから、継がせてもらえるなら継ぎたいと話していた。

そんな彼にとって、自らの家庭を持つことは、中村屋という家の歴史を受け継ぐことでもあったように見える。神前式を終えた勘太郎は、2つの家族が1つの大きい家族になるのはいいものだと思ったと語った。子どもについて聞かれた勘太郎は、予定はないとしつつ、「2人共、兄弟がいるので2人以上作れたらいいなと思いますね」と答えている。

そして、波野家と前田家の素晴らしい父母に負けない、「感謝を忘れない家庭を作りたい」と抱負を語った。

翌2010年春、浅草芸能大賞の奨励賞の授賞式に登壇した勘太郎は、20日間ほどの新婚旅行から帰ったばかりだと明かし、新婚生活を聞かれると、笑顔の絶えない家庭を、と照れながら答えた。父も同じ賞の奨励賞を受けており、親子2代での受賞だった。

突然の別れと受け継がれた勘太郎の名

2012年2月、勘太郎は新橋演舞場で六代目中村勘九郎を襲名した。だがその年の12月、父・勘三郎が57歳の若さで急逝する。当時、妻の前田は2人目の子を身ごもっていた。

翌2013年5月に誕生した次男は「哲之(のりゆき)」と名付けられた。勘三郎の本名・波野哲明(のりあき)から一字を受け継いだ名だ。6月、浅草神社でのお宮参りには、長男・七緒八(なおや)も一緒に一家4人で訪れた。妻の腕に抱かれる次男を見ながら、勘九郎は、これからも父に見守ってほしいと語りかけた。

あの日、会見で語った「2人以上」という言葉は、やがてふたりの息子という形で現実のものとなる。

2017年2月、歌舞伎座の舞台で、長男が三代目中村勘太郎、次男が二代目中村長三郎を名乗り、『門出二人桃太郎』で初舞台を踏んだ。1987年に勘九郎自身が二代目勘太郎を名乗り、弟の七之助とともに初舞台を踏んだのと同じ劇場、同じ演目だった。結婚式の日に新郎が名乗っていた勘太郎の名は、こうして次の世代へと受け継がれたのである。

その翌月、平成中村座の名古屋公演の製作発表で、勘九郎は、父が始めたこの公演に自分も勘太郎、長三郎と一緒に立ちたいという夢があると、熱い思いを語っている。

浅草で父の背中を追う仔獅子たち

あれから月日が流れた2026年10月、浅草寺の境内に建てられた平成中村座の仮設劇場で、十月大歌舞伎が幕を開けた。

第一部の最後を飾るのは、勘九郎が親獅子の精を、長男の勘太郎と次男の長三郎が仔獅子の精を勤める『連獅子』だ。中村屋で大切に演じ継がれてきたこの舞踊を、親子3人で踊るのは今回が初めてとなる。

7月の製作発表で、勘九郎は『連獅子』を、父と踊り、父から踊りの中の礼儀を教わった作品だと話し、それを伝えていきたいと述べた。15歳になった長男の勘太郎に背を抜かれた勘九郎は、「父の気持ちもちょっとまた分かる」と打ち明けた。

同じ公演では、勘三郎の悲願だった平成中村座での『助六曲輪初花桜』の上演が初めて実現し、勘九郎が助六を初役で勤めている。2027年春の全国巡業でも、昼の部は長三郎、夜の部は勘太郎と、親子の『連獅子』が続く予定だ。

17年前の秋、父と同じホテルで式を挙げた二代目勘太郎は、会見で、感謝を忘れない家庭を作りたいと語った。あの日口にした「2人以上」というささやかな願いは、いま、舞台の上で毛を振る2頭の仔獅子になっている。

父の気持ちもちょっとまた分かるという一言は、父の背中を追いかけていたあの日の新郎が、長い年月をかけて同じ場所に辿り着き、父へ届けた報告なのかもしれない。


※記事は執筆時点の情報です

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