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クリストファー・ノーランは古典を現代にどう再生させたのか?遍歴譚『オデュッセイア』にみる“文明の衰退”と結末の解釈【小説家・榎本憲男の炉前散語】

  • 2026.9.27

小説家で、映画監督の榎本憲男。銀座テアトル西友(のちに銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人など、映画館勤務からキャリアをスタートさせた榎本が、ストーリーを軸に、旧作から新作まで映画について様々な角度から読者に問いかけていく「小説家・榎本憲男の炉前散語」。第19回は、作品を発表するたびに映画シーンをくぎ付けにし、ついに前作『オッペンハイマー』(23)でアカデミー賞作品賞を受賞したクリストファー・ノーラン監督の最新作『オデュッセイア』(公開中)をピックアップ。日本でも公開から13日間(9月23日時点)で、興収15億円突破というヒットを記録している本作。その原典となるのは、古代詩人ホメロスによって作られた英雄譚「オデュッセイア」です。世界で最初の“物語”のひとつとも言える「オデュッセイア」を、ノーラン監督はいかにして描いたのか。ストーリーに着目しながら、本作の魅力に迫ります。

【写真を見る】オデュッセウスが犯した神への冒涜…道徳を失った人々はどこへと向かうのか

※本記事は、『オデュッセイア』のネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)に該当する要素を含みます。未見の方はご注意ください。

「オデッセイ」の語源にもなった、最古の物語

主人公の名前はオデュッセウス、そして作品名は「オデュッセイア」。「オデュッセウスの物語」というような意味ですね。この作品があまりにも有名になり、転じて「オデッセイ」と言えば長い旅路を意味するようになりました。たとえば、『2001年宇宙の旅』(68)の原題は『2001: A Space Odyssey』です。そして、本作の原題は『The Odyssey』。ここにはギリシアの古典をベースにしながら、言ってみれば「2026年人類の旅」のようなニュアンスが込められているような気がしてなりません。

モノクロ映画『ユリシーズ』(54)ではカーク・ダグラスがイタケの主ユリシーズ(「オデュッセウス」の英名)を演じた [c]Everett Collection/AFLO
モノクロ映画『ユリシーズ』(54)ではカーク・ダグラスがイタケの主ユリシーズ(「オデュッセウス」の英名)を演じた [c]Everett Collection/AFLO

「オデュッセイア」は簡単に言うと神話を詩にしたものです(ホメロスひとりが作者かどうかも諸説あるようです)。「オデュッセイア」は「イリアス」の続編とでもいうべきもので、この2作品はともにトロイア戦争に関係しています。「イリアス」はトロイア戦争末期の一時期を描き、「オデュッセイア」はその戦争から帰還するオデュッセウスの物語です。トロイアをついに陥落させたのは「トロイの木馬」による奇襲攻撃でしたが、これはノーラン版の映画ではマット・デイモンが演じるオデュッセウスの考案によるものとなっています(ホメロスの「オデュッセイア」では曖昧)。トロイア戦争の英雄としてはアキレウスが有名ですが、こちらは運動神経に長けた武術の達人、これに対してオデュッセウスは知略に長けたタフな精神の持ち主というキャラクターですね。では、映画『オデュッセイア』の物語を見ていきましょう。

宮殿でオデュッセウスの帰還を20年待ち続けた妻ペネロペと息子テレマコス [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
宮殿でオデュッセウスの帰還を20年待ち続けた妻ペネロペと息子テレマコス [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

イタケの宮殿では、オデュッセウスが戦争から戻らないため、空位になっている王座を狙って妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)に求婚する者らが宮廷に押し寄せて、毎日宴会を開いています。このあたりの状況は理解しにくいのですが、重要なのであとで説明します。ともあれ、いつまでも国を王不在のままにはしておけません。ペネロペは夫の帰還を信じ、のらりくらりと求愛をかわし続けています。一方、息子のテレマコス(トム・ホランド)はまだ王位に就くには非力ですが、意を決して、帰らぬ父の消息を求めて旅に出ます。そして、主人公のオデュッセウスは、帰還を阻まれたあげく、カリュプソ(シャーリーズ・セロン)という不思議な女神とともに暮らし、蓮の花を食べさせられて意識が混濁してはいるのですが、すこしずつ過去を思い出していきます。つまり、物語は概ね、オデュッセウスのトロイアでの戦いと帰還、妻ペネロペの宮殿でのディフェンシブな外交術、そして、息子テレマコスの成長物語、この3つの糸がより合わされて進むのです。

物語に横たわる「ゼウスの掟」とは?

では、求婚者が宮殿に押しかけて連日宴会に興じていることについて説明しましょう。オデュッセウスはイタケを離れてから約二十年も不在のままです。そして、この宴会は昨日や今日はじまったものではなく、このままでは王家の財産を食いつぶしてしまいかねません。ではなぜ、ペネロペは「お引き取りください」と言えないのでしょう。それは「ゼウスの掟(Zeus's Law)」という不文律があるからです。

押し寄せる求婚者たちに対して毅然とした態度で向き合うペネロペ [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
押し寄せる求婚者たちに対して毅然とした態度で向き合うペネロペ [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

これは「世界観」の問題です。古代ギリシア人の心は私たちとはちがいます。私たちは法に従い、法に守られて生きていると信じています。ですので、知人であっても家に居座って帰らなければ、警察を呼び、法の力によって退去を求めることができます。では、その法は誰が作ったのでしょうか。私たちです。つまり、近代社会の民主主義というのは、私たちが私たちを統治するシステムです。しかし、古代ギリシア時代の人々の行動を律していたのは、神々、神々への信仰です。神の声に従って生きることが道徳的とされていました。これが言い過ぎなら、少なくとも、ホメロスの物語世界では、人々を律する規範や人と人との信頼関係は、神々の権威と密接に結びついていたと言い換えましょう。そして、そのゼウスの権威のもとにあるルールが「ゼウスの掟」だったのです。

古代では旅は危険をともなう行為でした。見知らぬ旅人が家を訪ねてきたならば、まず食事を与え、休ませ、保護することが文明人としての重要な義務(クセニアとも言います)だとゼウスは説き、主人側には、客を受け入れ、食事を与え、寝床を用意し、出発を見送る義務を課しました。ただ、客の側にも、暴力を振るわないのはもちろんのこと、主人を敬って、歓待につけ込んでいつまでも居座らないという義務もあった。つまり本来は、相互的な信頼関係が盛り込まれたものだったのです。なので、宮殿の求婚者たちが、「われわれは客なんだから歓待しろ。『ゼウスの掟』だ」と言って、オデュッセウスの牛や羊を屠り、酒を飲み、財産を食いつぶしているのは、「ゼウスの掟」の乱用によって信頼関係を壊すことであり、ゼウスを冒瀆していることに他なりません。

求婚者のひとり、アンティノオスは話題作への出演が相次ぐロバート・パティンソンが演じる [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
求婚者のひとり、アンティノオスは話題作への出演が相次ぐロバート・パティンソンが演じる [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

では、なぜ宮殿の主であるペネロペは「お引き取りください」と言えないのでしょう。ここには政治の力学が絡んでいます。求婚者たちはイタケや周辺諸島の有力者や貴族の息子たちで、ゴロツキではありません。しかもオデュッセウスは二十年も不在。死んだのか生きているのかさえわからない。息子のテレマコスはまだ半人前で、軍事的・政治的な手腕を身につけてはいません。つまり、権威がない。そして、警察に電話して排除してもらえるような世界でもありません。

海神ポセイドンへの供物を装い、トロイア人を騙し討ちした「トロイの木馬作戦」 [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
海神ポセイドンへの供物を装い、トロイア人を騙し討ちした「トロイの木馬作戦」 [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

そして一方、主人公のオデュッセウスもまた、信仰に厚い聖者かと問われると、かなりきわどいことをしています。有名な「トロイの木馬作戦」において、彼は自分の部下に、この木馬は“供物”だと敵に伝えさせ、木馬を城内に運び込ませ、そこから抜け出すと一気に攻め込み落城させます。つまり、神への信仰を騙ることで勝つわけです。作戦としてはシャープですが、道徳的に許されるのでしょうか? 神への信仰を利用して敵を欺くことは、神への冒涜であると同時に、神を信じる者どうしという信頼関係をも壊してしまいます。つまり、オデュッセウスのしていることは、宮殿に居座っている求婚者たちと変わらないとも言えるのです。そして、この作戦の中で、“供物”であると敵に伝える任を受けた若者シノン(エリオット・ペイジ)は命を落とします。さらに、この時代の戦争は、負ければ、賠償金を払うとか領土を奪われるとかではすまされません。待っているのは、滅亡です。具体的には、成人男性はほぼ皆殺し、都市は焼かれ、建物は破壊し尽くされ、生き残った女性と子供は戦利品、つまり奴隷として分配されるのです。

道徳を失った現代…『オデュッセイア』が示す文明の行方

ノーラン監督の前作『オッペンハイマー』への出演に続き、『オデュッセイア』の主演として抜擢されたマット・デイモン [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
ノーラン監督の前作『オッペンハイマー』への出演に続き、『オデュッセイア』の主演として抜擢されたマット・デイモン [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

ホメロスは、基本的にはオデュッセウスの叡智と不屈の精神を讃えています。しかし、ノーラン版のオデュッセウスは、マット・デイモンが演じていることもあって、かなり内向的で、自分の行為についてもかなり懐疑的に見えます。たしかに、いくら神話の世界とはいえ、戦争で大きな武勲を立てた(多くの人間を殺害した)武将を英雄として讃えるのは、現代では難しい。なので、現代における戦争映画には『ハクソー・リッジ』(16、メル・ギブソン監督)のように、国のために戦うことは潔しとするものの人を殺すことだけは断固拒否するという複雑な軍人を描いた作品まで出てきます。しかし、ノーランは前作『オッペンハイマー』に続いてこの困難に肉迫します。

アンドリュー・ガーフィールド主演、衛生兵の実体験を映画化した『ハクソーリッジ』 [c]Everett Collection/AFLO
アンドリュー・ガーフィールド主演、衛生兵の実体験を映画化した『ハクソーリッジ』 [c]Everett Collection/AFLO

私たちの行動を律するものはなんでしょう? 先ほど述べたように、古代文明では神々の声による道徳が人々の行動を律していました(筆者注1)。求婚者たちが「ゼウスの掟」を盾に取って宮殿に居座っているのはもちろん、オデュッセウスが木馬は“供物”だと騙って奇襲を仕掛けるのも、神への冒涜でしょう。つまり、『オデュッセイア』は神々はまだいるけれども、人間が神の声を聞くべきか、それともまた別の内なる規範によって行動すべきかの過渡期にある物語であると僕は見ました。そして象徴的なのが、ギリシアの神々のツートップであるゼウスとポセイドンが、作中ずっと沈黙したままなことです。

では、現代人の行動を律するものはなんでしょうか? ローレンス・レッシグという法学者は、法・道徳・市場・アーキテクチャの4つだと述べています。まず、道徳がある。そして法。この法は神でも王でもなく人間が作った法ですね。さらに、市場によるコントロール。アーキテクチャは「装置」と解釈してください。Aさんに危害を加えそうな者に「なぜ危害を加えてはいけないか」と道徳を説くのではなく、近づいたら電気ショックが流れるような装置を取り付けて行動を律する方法がこれに当たります。そして、現代において道徳によって行動する傾向がかなり弱まっているというのは僕だけの見立てではないでしょう。そもそも道徳というものは長きにわたって信仰に基礎づけられていました。しかし、人間が道徳をなくし、互いの信頼に応えることなく、知恵を働かせて相手をコントロール下に置くことに専心するとき、文明は衰退に向かう(筆者注2)。――僕はノーラン版の『オデュッセイア』からこのようなメッセージを受け取りました。

【写真を見る】オデュッセウスが犯した神への冒涜…道徳を失った人々はどこへと向かうのか [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
【写真を見る】オデュッセウスが犯した神への冒涜…道徳を失った人々はどこへと向かうのか [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

ノーラン版の『オデュッセイア』とホメロスのそれとの大きなちがいは、ラストにもあります。オデュッセウスは妻ペネロペとともに沈む太陽を追いかけて弔いの航海に出る。それは文明を滅ぼさないため、道徳の復権のための人類を代表した旅ではないでしょうか。西洋文学における遍歴譚の巨大な祖型(The Odyssey)たる『オデュッセイア』を、ノーランは道徳を失った人類のあてどない旅路として再生させた。――僕にはそう思えてなりません。

最後に劇作術についてもすこし触れておきましょう。オデュッセウスが物乞いの恰好で故郷に戻る。誰も彼が王だとは気がつかない。ここで物語は「認知」(アナグノリシス/anagnorisis)と呼ばれる技法でぐっと盛り上がります。これはギリシア悲劇においてよく見られる手法で、「自分の正体をいかにして証明するか」によって高まる劇的効果のことです。しかも、『オデュッセイア』では、ひとりまたひとりと、最後は妻のペネロペまで、実に手の込んだやり方でこのドラマをたたみかけていきます。そして、間髪入れずにアクションシーンへと切り返る。神話の世界で現代を語りつつ、古典的な手法で劇的効果を高める、これぞ温故知新な技と言うべきでしょう。

文/榎本 憲男

筆者注1:

ジュリアン・ジェインズという心理学者は「神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡」で、古代人が神の声を実際に聴覚的命令として経験していたのではないか、という大胆な仮説を提出しています。

筆者注2:

実際、トロイア戦争が伝承上置かれている紀元前1200年前後は、実際にミケーネ宮殿文明が崩壊へ向かった時期とも重なります。両者の因果関係が確認されているわけではありませんが……。

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