1. トップ
  2. カルチャー・教養
  3. ミランダ・ジュライの9年ぶりの長編小説『はいつくばって』。話題の新著を翻訳家・岸本佐知子が語る

ミランダ・ジュライの9年ぶりの長編小説『はいつくばって』。話題の新著を翻訳家・岸本佐知子が語る

  • 2026.9.20
ミランダ・ジュライの話題の新著を、翻訳家・岸本佐知子が語る

これは、ある人間が解放されるまでの七転八倒の冒険譚である

ミランダ・ジュライの9年ぶりとなる2作目の長編小説『はいつくばって』の日本語版が刊行された。ジュライは小説を書くだけでなく、映画監督やパフォーマーなどさまざまな顔を持つマルチアーティスト。その新作小説『はいつくばって』は、女性の更年期に正面から切り込んだ小説として、全米図書賞のファイナリストにも選ばれるほど、アメリカで高い評価を受けた。これまでずっとジュライ作品を手がけてきた翻訳者の岸本佐知子氏に話を聞いた。

ミランダ・ジュライの『最初の悪い男』に続く2作目の長編小説『はいつくばって』
ミランダ・ジュライの『最初の悪い男』に続く2作目の長編小説。新境地的なところもあるが、ジュライらしい遊び心や笑いにも満ちている。タイトルの意味は、物語の後半に語られる。新潮社/3,245円。

最初に原書で読んだ時の印象はどうだったのだろうか。

「今までとはかなり違った感触がありました。これまでも、その時その時の彼女の心のありようとか、人生の局面に即したものを書いていたとは思うんですが、登場人物にはワンクッション加工が入っていた。今回はそういう加工のないストレートな感じがしたんです。もちろんオートフィクション(自叙伝)ではないんですが、彼女の生の声がいろんなところから聞こえてくる気がしました」

主人公の「わたし」は45歳で、アーティストとして成功し、音楽プロデューサーの夫と7歳の子と3人でLAに暮らす女性。その「わたし」が2万ドルの臨時収入を得たことで、ニューヨークまで車で往復する一人旅に出発するも、ふとしたきっかけで立ち寄った自宅から車で30分もかからない小さな町にずるずるととどまり続け、旅はいきなり頓挫する。さらに「わたし」は、こともあろうに旅の資金2万ドル全額を使って、泊まっていたモーテルの部屋を自分好みの豪奢な内装の部屋に改装までするのだ。そこから彼女の人生は、思わぬ方向に転がりだす……。

「あの部屋がとても重要ですよね。主人公には立派な家があるんですけど、その家は夫のスタイリッシュな美意識に貫かれていて、自分が選んだものはスプーン10本しかない。だからこそ彼女はダサいモーテルを完璧に自分好みの部屋に作り変える必要があった。ヴァージニア・ウルフの有名な言葉に“女が何かを創作しようと思ったら、自分一人の部屋とお金がなければならない”というのがあるんですが、この本はまさにそれを体現している。主人公は自分一人の部屋で、自分を壊して一から作り直す体験をする。あの部屋は、言ってみれば彼女が自分自身と出会い直すための繭のようなものなんです」

その過程で、「わたし」は自分がすでに更年期に入っていることを知り、悩み、のたうち回る。

「女性ホルモン量が、ある年齢でガクンと崖のように急激に下がることを知り、彼女は大いに焦ります。表紙の崖の絵は、まさに彼女の崖っぷちの心境そのものです。普通、閉経とか更年期がテーマだと、ホットフラッシュとかイライラなどの体の変化の話ばかりで、内面的な、例えば女性としてのアイデンティティを失うことへの恐怖といった側面はあまり語られてこなかったのを、この小説はそこを真正面から取り上げているところが画期的だったんです。だから、本国でこの本が出た時、よくぞここまで書いてくれたと女性たちが熱狂しました」

とはいえ、この小説は男性にも読んでほしいと岸本氏は言う。

「主人公が、かかりつけの産婦人科の女医に“閉経して何か良いことはあるのか”と問うと、先生は“女性は初潮を迎えた瞬間から子を産む性、恋人・妻・母としての役割を担わされる。それがなくなるということは、女性がそうした社会的役割から解放されてすごく楽になることなんです”と答える。つまり閉経して初めて女性は自分の体を自分のものにできる。でも、社会にジェンダー的役割を押しつけられるしんどさは男性も同じですよね。だから、この小説を読んで、男性も楽になれるところがあるんじゃないかと思います。この小説は、『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな一大冒険物語、大人の成長譚なんです。実際、崖も、洞窟も、クリスタルも、ラビリンスも、全部出てきますしね(笑) 」

翻訳家・岸本佐知子

profile

岸本佐知子

きしもと・さちこ/神奈川県生まれ。翻訳家。訳書に、ミランダ・ジュライの諸作品のほか、ルシア・ベルリン、リディア・デイヴィス、ジャネット・ウィンターソンなど多数。エッセイストとして『ねにもつタイプ』で講談社エッセイ賞を、今年度伊丹十三賞を受賞。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ