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女性のために闘ったグロリア・スタイネム、“先駆的”なその半生を写真で振り返る

  • 2026.9.11
Robert R. McElroy / Getty Images

2026年9月2日、92年の生涯を閉じたグロリア・スタイネム。彼女は1960年代以降、ジャーナリスト、作家として、第二波フェミニズム運動の最前線で平等を訴え、活動に大きく貢献してきた。1968年に創刊された『ニューヨーク・マガジン』誌の初期の寄稿編集者であり、初の全国版のフェミニスト雑誌、『Ms.』を共同で創刊したことでも知られる。

スタイネムにとって「平等」は、生涯にわたって変化を起こすために主体的に関わり、行動し続けるものだった。9月22日には、遺作となった2冊目の回顧録、『An Unexpected Life』が出版の予定となっている。この伝説的な“先駆的”アクティビストの半生を、写真とともに振り返る。

From Harper's BAZAAR.com

Yale Joel/The LIFE Picture Collection/Shutterstock

1965年

ライターとしてのキャリアをスタートさせてからわずか数年後、スタイネムはグラフ誌『ライフ』に、ポップカルチャー(大衆文化)について辛辣に論じた記事を寄稿した。

同誌の専属フォトグラファー、イェール・ジョエルが撮影した写真とともに掲載された記事には、「We Shall Overcome(勝利を我らに)」のプラカードを掲げた象徴的な1枚に加え、戦時国債のポスターや新聞の連載漫画『フラッシュ・ゴードン』など、ポップカルチャーを象徴するものとポーズをとるスタイネムの写真が含まれていた。

Art Zelin / Getty Images

1970年ごろ

全米の女性たちのために声を上げ、このころには「第二波フェミニズム」運動の代表的な存在となっていたスタイネム。1970年の5月には、連邦議会上院の公聴会で証言し、「男女平等憲法修正条項(ERA)」の反対派を論破した。

Ron Bull / Getty Images

1972年

『ロサンゼルス・タイムズ』紙はこのころ、前年に「全米女性政治リーダー会議(National Women’s Political Caucus)」を共同で創設したスタイネムを、「“Gloria-Steinem-the-antiwar-gorgeous-bachelor girl”(反戦派の美しき未婚女性グロリア・スタイネム)」と呼ぶようになっていた。

New York Daily News Archive / Getty Images

1980年

スタイネムが1972年に共同で創刊した雑誌『Ms.(ミズ)』は女性たちに、中絶から賃金格差の是正まで、あらゆる問題について声を上げるための場を提供。第二波フェミニズムをけん引する役割を果たした。

Denver Post / Getty Images

1983年

スタイネムはこの年、政治的な論評と回想を織り交ぜた『Outrageous Acts and Everyday Rebellions(プレイボーイ・クラブ潜入記:新・生きかた論)』を出版。母親の生涯をテーマにした『ルースの歌—彼女が歌えなかったから』は、名著として広く知られるこのエッセイ集の中でも、特に名作と評されている。

Robert Alexander / Getty Images

1983年

アメリカ初の女性宇宙飛行士、サリー・ライドがスペースシャトル「チャレンジャー」に乗り込む様子を見守るスタイネム。1980年代、画期的なことが起きる場面にはほぼ必ず、彼女の姿があった。この先駆的フェミニストは、あらゆる職業に従事する女性たちのために、声を上げ続けた。

New York Daily News Archive / Getty Images

1985年

NY唯一のポピュラー音楽専門の交響楽団、ニューヨーク・ポップスが毎年開催する資金調達イベント、「ニューヨーク・ポップス・バースデー・ガラ」のステージに立ったスタイネム。

ジャーナリストのバーバラ・ウォルターズ、TV番組司会者のディック・キャヴェット、歌手のライザ・ミネリ、ピアニストでエンターテイナーのリベラーチェとともに登場した。

Mark Reinstein / Getty Images

1989年

女性のリプロダクティブ・フリーダム(性と生殖に関する自由)を支援し、守るための活動に生涯の大半を捧げたスタイネムはこの年、ワシントンD.C.で行われた大規模なデモ行進、「女性の命のための行進」に参加。

ジェーン・フォンダ、ウーピー・ゴールドバーグ、グレン・クローズをはじめとする数々のセレブたちと並んで先頭を歩いた。

Michael Brennan / Getty Images

1992年

スタイネムが50年以上にわたって暮らしたマンハッタンのアパートは、サロン形式で行われる対話や議論の場にもなっていた。それは、彼女が亡くなる直前まで変わらなかった。

Catrina Genovese / Getty Images

1994年

エミー賞を受賞したドキュメンタリー、『多重人格~秘められた記憶を求めて~(原題:Multiple Personalities)』(1993)や、死刑制度を巡る問題を描いた映画『Better Off Dead』(1993)など、スタイネムは1990年代、書籍の出版からドキュメンタリーの制作まで、さまざまな政治的・社会的なプロジェクトに携わった。彼女自身も、120本以上の映像作品に出演している。

Chung Sung-Jun / Getty Images

2015年

スタイネムの活動は、アメリカ国内にとどまるものではなかった。この年の国際女性平和・軍縮デーには、韓国の女性たち約1万人と手を携え、北朝鮮との間に設けられた非武装地帯(DMZ)で平和と軍縮を訴えた。

亡くなるそのときまで、彼女はより良く、より優しく、より平等な世界を願い、革命と変化を支援し続けた。

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