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頑張れない日まで味方になってくれる SMAPが32年前に届けた「ましょう」の優しさ

  • 2026.9.7
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※ChatGPTにて作成(イメージ)

仕事がうまく回らない夜、隣に並んで同じ歩幅で歩いてくれる人がいたら、それだけで少し救われる。「がんばりましょう」という一言は、命令の形をしていない。丁寧語の「ましょう」が、言う側と言われる側を同じ側に立たせてくれる。

その誘いをそのままの温度で歌にして、テレビの向こうから日本中に配ったのがSMAPだった。

SMAP『がんばりましょう』(作詞:小倉めぐみ/作曲:庄野賢一)ーー1994年9月9日発売

14枚目のシングル。1994年の秋から冬にかけて、この歌を一度も耳にせずに過ごした人のほうが少なかったように思う。

一番になった日より長く口ずさまれた秋

発売の週にランキングの初登場1位。数字だけ見れば、ここで話は終わってもいい。ただ、この曲の本当の強さは、そのあとに続いた長さのほうに出ている。

累計70万枚を超えた売上もさることながら、ランキングに顔を出し続けた期間は25週。半年近く、誰かが買い、誰かが歌い続けたことになる。短冊型の8cmCDが店の棚から減っていくペースが、そのままこの歌の広がり方だった。年の総決算でも33位に入った。秋に出て、年をまたいでも消えなかった。その息の長さこそが、この歌が国民的ヒットになった証拠に映る。

この頃のSMAPは、歌番組だけでなくバラエティ番組やドラマで顔を見ない日がないほどの勢いに乗っていた。テレビをつければ誰かがいて、しゃべって、笑わせて、そして歌う。歌手として真ん中へ出ていく助走の時期に、この曲があった。

だから1994年の秋は、誰に教わるでもなく、この歌をみんなが覚えてしまった秋として残っている。放課後の教室でも、仕事帰りのカラオケでも、サビになると自然と声がそろったはずだ。歌詞を全部は知らなくても、とりあえず「がんばりましょう」だけは誰でも歌える。そこがこの歌の入り口の広さだった。

掛け声で幕を開けて丁寧語で誘う

再生した瞬間、まず耳に飛び込んでくるのがイントロのサンプリングボイスだ。歌舞伎の芝居小屋から響いてくるような、あの威勢のいい声。アイドルグループのポップスの入り口に置かれた仕掛けとしては意表を突いていて、聴き手はにやりとさせられ、同時に肩の力が抜ける。大真面目な顔で「がんばれ」と迫るのではなく、まず笑顔にしてから隣に座る。この歌の距離感は、最初の数秒で決まっている。

そして歌が始まると、言葉の温度がその距離を裏切らない。サビで繰り返される「ましょう」は、上から降ってくる命令ではなく、横から差し出される誘いに聞こえる。歌い手も一緒にがんばる側にいる、という前提が「ましょう」の一語に含まれている。

そのサビをメンバーの声がそろって重なる形で歌うから、誘いはいっそう誘いらしく響く。ひとりの名手が歌い上げるのではなく、何人もの声が同じ言葉を同時に差し出す。聴いているこちらも、つい口を動かしたくなる。

もうひとつ、「いつの日にか」しあわせにという言い回しがある。今すぐではない。いつか、と先送りにするこの言葉があるおかげで、今はまだしんどい、という聴き手の現実が否定されずに済む。根性論に聞こえないのは、幸せを今この場で約束しないからだとも読める。

作詞・小倉めぐみ&作曲・庄野賢一の組み合わせでは『たぶんオーライ』もあるが、こちらも『がんばりましょう』同様に肩の力を抜いた応援歌として仕上がっている。

翌年の大晦日にも呼び戻された歌

発売の年の大晦日、SMAPは紅白歌合戦の舞台でこの曲を歌った。大きなステージに立って、見覚えのある振りで手を動かしながらサビへ向かう姿を、家族と一緒に画面の前で見ていた人は多いはずだ。

一年の締めくくりに「がんばりましょう」と歌われると、来年もなんとかやれそうな気がしてくる。年末のテレビは、その年に流行った歌をもう一度みんなで確かめる場所でもある。そこに呼ばれたということは、1994年を代表する一曲として認められたのと同じことだ。

そして翌年の大晦日にも、この曲を歌っている。1995年の紅白では『胸さわぎ'96』というメドレーの中で、『俺たちに明日はある』『どんないいこと』とともに『がんばりましょう』が披露されている。新しい曲に混ざって、1年前のヒット曲がまた大舞台に呼ばれる。発売から1年経っても年の瀬に呼び戻されるのは、この歌が一過性の流行ではなく、国民的応援歌になったことがよくわかる。

球児の足並みにそっと並んで歩いた

1995年の春、この曲は選抜高校野球大会の入場行進曲に選ばれた。行進の列がスタンドの前を通り過ぎるあいだ、このメロディが球場に鳴り続ける。アイドルの歌が、球児たちの一歩一歩を支える曲になった。

応援する側の歌が、応援される側の足元に回った春だったと言ってもいい。前の年に日本中が口ずさんだ「がんばりましょう」が、今度はこれから戦いに出ていく若者の背中を押す。丁寧語の誘いは、勝つことを命じない。ただ一緒に歩き出そうと言う。その言葉の柔らかさが、緊張で固くなった球児の足並みにはちょうどよかったのだと感じる。

ただ、その春の少し前、この歌には別の役目が回ってきていた。

言葉を失った日にこそ選ばれた一曲

1995年1月20日。阪神・淡路大震災から3日後の『ミュージックステーション』で、SMAPは予定していた曲を変更し、『がんばりましょう』を歌った。

何を歌えばいいのか、誰にも正解が分からない日だった。その日に選ばれたのが、勝利を約束しない、幸せを今すぐ保証しない、ただ「ましょう」と声をそろえるこの歌だった。歌い慣れた曲だからこそ、言葉を選び直す余裕のない日でも、そのまま口にできたのだと映る。

そして16年後の2011年3月、東日本大震災のあとの『SMAP×SMAP』でも、SMAPは同じ歌を歌っている。

差し替えてまで歌う曲に選ばれること。それがこの歌の本当の評価に映る。押しつけない言葉の応援歌だったからこそ、言葉が届きにくい日に、届ける歌として手に取られた。

いまも、うまくいかない一日の終わりに、この歌は丁寧語のまま、そばに残っている。「がんばりましょう」。命じるのではなく、誘う言葉として。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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