1. トップ
  2. カルチャー・教養
  3. 5年以上培養したヒト「ミニ脳」はバラバラにしても過ごした時間を覚えていた

5年以上培養したヒト「ミニ脳」はバラバラにしても過ごした時間を覚えていた

  • 2026.8.25
5年以上培養したヒト「ミニ脳」はバラバラにしても過ごした時間を覚えていた
5年以上培養したヒト「ミニ脳」はバラバラにしても過ごした時間を覚えていた / Credit:Canva

米国のハーバード大学(Harvard University)で行われた研究によって、人工的に培養されたヒトのミニチュアの脳が、5年以上にわたって本物のヒトの脳とほぼ同じ速さで育ち続けることが示されました。

驚くべきなのは、この小さな組織がただ生き延びていたのではないことです。

細胞は自分が何年を過ごしてきたのかを、体の中で育つ脳とよく似たやり方で刻み続けていました。

「脳は、人という文脈の外に置かれても、前例のない長さにわたって発達を続けられるのです」と研究者は語っています。

カレンダーも、日の光も、心臓の鼓動さえない培養皿の中で、細胞はいったい何を頼りに時間を数えていたのでしょうか。

研究内容の詳細は2026年8月19日に『Nature』にて発表されました。

目次

  • 長生きした脳オルガノイドはどうなるか?
  • バラバラにしても、細胞は年齢を忘れなかった
  • 手が届かなかった「生まれた後」へ

長生きした脳オルガノイドはどうなるか?

長生きした脳オルガノイドはどうなるか?
長生きした脳オルガノイドはどうなるか? / image:Irene Faravelli and Noelia Antón Bolaños

身長なら柱に刻めば伸びが分かり、乳歯は抜ければ成長の証になります。

ところが脳だけは、頭蓋骨という頑丈な箱に守られたまま、20年近くかけて静かに育っていきます。

その途中経過を細胞のレベルで覗く方法は、これまでほとんどありませんでした。

動物の脳ははるかに短い期間で成熟してしまうため、ヒトの長い成長を代わりに教えてはくれません。

そこで研究者たちが頼ってきたのが、ヒト幹細胞をベースに人工培養されたミニチュアの脳(脳オルガノイド)です。

白っぽいレンズ豆のような姿をした塊で、ひとつに100万個を超える大脳皮質の細胞が詰まっています。

人間の代わりに人間の脳が育つ様子を映してくれる道具として、この脳オルガノイドは、これまでブラックボックスとされてきた脳の理解に大きく貢献してきました。

ただしこれらは寿命が短く、数ヶ月で限界を迎えるのが常でした。

再現できるのは胎児の初期にあたる段階までで、その先は手つかずの空白地帯だったのです。

しかも培養を続けようとすると、いちばん肝心な神経細胞から先に減っていってしまうことも分かっていました。

今回、研究チームはこの二つの壁に同時に挑みました。

まず手をつけたのが、神経細胞の脱落です。

ここでチームが注目したのが、神経細胞がもともと持っている自発的な発火でした。

使わない筋肉が衰えるのと同じで、神経細胞も電気を発するのをやめると弱っていきます。

ところが従来の培養液は、その自発的な発火を十分に支えられていなかったのです。

そこでチームは、自発的な発火を保ちやすい特殊な培養液を用意しました。

すると従来の培養液では1年ほどすると全てのミニ脳の神経細胞がそろって発火する現象がまったく見られなくなっていた一方で、新しい培養液ではすべてで力強い一斉発火が確認されました

別に調べた2年ものでも、その活動は続いていました。

そしてもう一つの壁が、培養そのものの長さです。

こちらは5年を超えてなお続きました。

しかもミニ脳は、ただ生きていたわけではありません。

チームは110個ものミニ脳を細胞1個の単位まで分解し、42万個を超える細胞を一つひとつ調べ上げました。

さらに別の解析では、DNAに刻まれる化学的な目印から「分子から見た年齢」を割り出します。

この目印は年齢とともにDNA上で少しずつ貼り替えられていく付箋のようなもので、その貼り替わり方に年齢ごとの決まったパターンがあるため、体内に備わった時計(エピジェネティック時計)として使えます。

チームが選んだのは、本物のヒトの脳のデータから作られた物差しでした。

すると、この物差しがはじき出した年齢は、実際に培養してきた年月と、ぴたりと重なっていました。

人間の脳細胞も培養皿の脳オルガノイドの細胞も、ほぼ同じテンポで時を刻み、その変化がDNA上に刻まれていたわけです。

実際、培養から1年を過ぎたころには、通常なら生まれた後の脳に現れる特徴まで顔を出しています。

神経細胞を支えるグリア細胞が現れる順番も、遺伝子のスイッチが入る時期も、ヒトの脳で起きるのとほぼ同じでした。

体の外に置かれ、血管も持たず、感覚からの入力もない小さな組織が、本物と同じ時間割を淡々と守り続けていたのです。

バラバラにしても、細胞は年齢を忘れなかった

バラバラにしても、細胞は年齢を忘れなかった
バラバラにしても、細胞は年齢を忘れなかった / image:Irene Faravelli and Noelia Antón Bolaños

脳の成長には、大まかな筋書きがあります。

はじめに神経細胞が次々と作られ、やがてその生産は打ち切られ、以降は神経細胞を支える星形の細胞(アストロサイト)などへと主役が移っていきます。

通常、この順番が逆戻りすることはありません。

そこでチームは、少々乱暴な実験に踏み切りました。

9〜12ヶ月育てた古いミニ脳と、培養わずか15日の若いミニ脳を、それぞれ細胞のレベルまで解体します。

そして両者を混ぜ合わせ、ひとつの塊として組み直しました。

年齢の違う部品を寄せ集めて作られた合成物です。

同じ塊の中にいる以上、どちらの細胞も浴びる信号は同じです。

もし細胞が周囲の環境だけを頼りに育つのなら、両者は足並みを揃えて同じものを作り始めるはずでした。
ところが、そうはなりませんでした。

若い細胞は、予定通り初期の細胞ばかりを生み出しました。

一方で古い細胞は、若い細胞から「神経細胞を作れ」という信号を受け取ってニューロン作りを再開したにもかかわらず、その号令が指し示す初期段階へは戻りませんでした。

組み直してからわずか2週間で、本来なら2〜3ヶ月かけてようやくたどり着く後期の神経細胞やアストロサイトを産み出していたのです。

同じ環境に置かれ、同じ号令を聞きながら、片方だけが数ヶ月分の工程を飛ばした形です。

「これは一種の『発生時間の歪み』と捉えるのが適切でしょう」とアルロッタ氏は述べています。「オルガノイド細胞は培養中に経過した時間を記録し、記憶していることを示しています。これは、その発達が細胞固有の時計によって制御されており、ヒトの脳の発達における内因的なメカニズムを反映していることを示唆しています」

時間を測っていたのは、培養皿でも研究室のカレンダーでもなく、細胞そのものだったということです。

その時計がどんな分子でできているのかは、まだ分かっていません。

ただし、ここでいう記憶は、私たちが子どもの頃の出来事を思い出すようなものではないとアルロッタ氏は強調しています。

過去が、細胞のレベルで刻み込まれているという意味です。

手が届かなかった「生まれた後」へ

手が届かなかった「生まれた後」へ
手が届かなかった「生まれた後」へ / Credit:Human brain organoids record the passage of time over multiple years

ヒトの脳の成熟のうち、生まれた後に進む十数年は、これまで細胞のレベルでは観察のしようがない領域でした。

その空白へ踏み込むための足場を、この研究が初めて用意しました。

支えになったのが、あの培養液です。

神経細胞を年単位で健康なまま保てると分かったことで、この先さらに長く、さらに詳しく発達を追える見通しが立ちました。

もう一つの手がかりが、古い細胞のふるまいです。

先に触れたとおり、ヒトの脳は早い段階で神経細胞の生産をやめてしまいます。

ところが古い細胞は、若い細胞からの信号を受けてその生産を再開しました。

打ち切られたはずの生産を再び動かすスイッチの正体が分かれば、神経細胞が失われていく病気の研究にも新しい道が開けます。

そして、年単位で育ち続けるミニ脳は、発達の途中でつまずきが生じるタイプの病気を追う土台にもなります。

「これらの組織モデルは、これまでにないほどの長寿命と生体に近い特性を備えているため、自閉症などの症状がどのように発症し、人生の後半でどのように進行していくのかをより深く掘り下げる機会が得られるでしょう」と、米国立精神衛生研究所(NIMH)所長代理のアンドレア・ベッケル=ミッチェナー氏は述べています。

アルロッタ氏も「胚がどのようにして徐々に複雑で成熟した脳を自然に構築していくのかについては、まだ解明すべきことがたくさんあります」また「これらの知見をオルガノイドに応用することで、出生後に起こるヒトの脳の成熟における、これまで未解明だった事象をモデル化することが可能になるでしょう」と述べています。

※なお研究室ではミニ脳が今も育ち続け7年に達したものもあるようです。

元論文

Human brain organoids record the passage of time over multiple years
https://doi.org/10.1038/s41586-026-10877-x

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ