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『火の女神ジョンイ』との恋仲は? イ・サンユンが演じた光海君はどんな王様だったのか

  • 2026.8.24

『火の女神ジョンイ』でイ・サンユンが演じた光海君(クァンヘグン)。ヒロインのジョンイに思いを寄せ、彼女の前では寂しげな表情も見せる王子だが、実はドラマのために作られた人物ではない。

【韓ドラになった歴史人】15代王として即位した光海君はなぜ暴君と言われたのか

光海君は、朝鮮王朝第15代王として実際に国を治めた人物である。

『火の女神ジョンイ』は、朝鮮王朝時代に王室用の陶磁器を製造していた司甕院の分院を舞台にした時代劇だ。主人公は、朝鮮一の沙器匠を目指す女性ユ・ジョン。ムン・グニョンが、男たちばかりの陶工の世界に飛び込み、数々の困難に立ち向かうジョンイを演じた。

そんなジョンイと運命的に出会い、やがて特別な感情を抱くのが光海君である。

ドラマの光海君は、王子という身分を振りかざすだけの人物ではない。ジョンイの才能を認め、その成長を見守りながら、身分を超えて彼女を愛する男性として描かれている。

ジョンイに冷たくされれば傷つき、彼女が危険にさらされれば必死になって守ろうとする。イ・サンユンは、王族としての威厳と恋する男性の繊細さを行き来しながら、光海君を魅力的な人物に仕上げた。

しかし、史実に残る光海君の姿は、ドラマの甘いロマンスだけでは語れない。

戦乱のなかで世子となった光海君

光海君は、第14代王・宣祖(ソンジョ)の息子として1575年に生まれた。

正室の子ではなかったため、当初から王位継承者として確固たる立場にあったわけではない。

ところが1592年、豊臣秀吉による朝鮮侵攻が始まり、朝鮮王朝は存亡の危機に直面する。国王の宣祖が都を離れるなか、光海君は世子に指名され、各地を回りながら兵士や民衆を励ました。戦乱という非常事態のなかで存在感を高め、それがのちの即位につながっていったのである。

光海君は1608年に第15代王として即位した。荒廃した国土の再建を進め、大同法の導入や医学書『東医宝鑑(トンウィ・ポガム)』の刊行など、現在でも評価される政策を行っている。

また、当時の東アジアでは明が衰退し、後金が勢力を拡大していた。光海君は一方に肩入れするのではなく、両国の間で均衡を取る外交を進めようとした。こうした姿勢は、現代では現実的な外交政策だったと再評価されることもある。

なぜ「暴君」と呼ばれたのか

一方で、光海君の時代には激しい権力闘争と粛清も起きた。

王位を脅かす存在とされた兄の臨海君(イムヘグン)や、異母弟の永昌大君(ヨンチャン・テグン)が命を落とし、宣祖の継妃だった仁穆大妃(インモクテビ)は宮殿に幽閉された。こうした出来事から、光海君は長く「廃母殺弟の暴君」として語られてきた。

1623年には西人派(ソインパ)を中心とする勢力がクーデターを起こし、光海君を王座から追放した。これが「仁祖反正(インジョパンジョン)」である。その後、光海君は江華島(カンファド)などへ流され、1641年に済州島(チェジュド)で生涯を終えた。

ただし、粛清のすべてを光海君本人が主導したのかについては議論がある。側近や政権を支えた派閥の影響も大きく、現在では単純に「暴君」とだけ断じる見方は少なくなっている。

ジョンイとの恋はフィクション

光海君は実在した人物だが、『火の女神ジョンイ』で描かれるジョンイとの恋はフィクションである。

ジョンイのモチーフになった百婆仙が、司甕院の分院で光海君と出会い、恋に落ちたことを示す史料は確認されていない。

(写真提供=OSEN)

それでも、戦乱のなかで王位継承者となり、政治と権力闘争に翻弄された光海君の人生は、ドラマの背景に歴史的な重みを与えている。

愛する女性を守ろうとするイ・サンユン版の光海君と、王座を守るために非情な政治の世界を生きた史実の光海君。その落差を知ると、『火の女神ジョンイ』のロマンスも少し違って見えてくるはずだ。

文=森下 薫

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