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新千歳空港の「新」ってなに?始まりは住民が「2日で手作り」した空への熱い思い

  • 2026.8.21

みなさんが抱えている「なぜ?」「どうして?」を調査する、HBC「もんすけ調査隊」。

新千歳空港の「新」とは、一体何なのでしょうか。
誰もが知る名前に知られざる事実が隠されていました。
ことし100年を迎える新千歳空港のルーツに迫ります。

千歳市在住のけいたさん(30代)からの依頼は、「千歳にはほかに空港がないのに、なぜ新千歳空港は『新』がつくのか?調べてください」というもの。

連日、多くの利用客でにぎわう、北海道の空の玄関口、新千歳空港。
ほかに空港がないのに、なぜ「新」がつくのでしょうか。
そして元祖「千歳空港」は、どこへ消えてしまったのでしょうか。

空港周辺を調べてみると…

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JR南千歳駅から西に向かう通路

JR南千歳駅から西に向かう通路が、不自然に途切れています。さらに…

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草むらに佇む、「千歳空港」と刻まれたモニュメント。
ですが、周囲に空港の陰はありません。

一体どういうことなのでしょうか。

通路の先に続いていたのは

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左の写真:2026年 右の写真:1982年

千歳市で半世紀以上の歴史を刻む純喫茶「東亜珈琲館」で話を聞きました。

鈴木英範マスターは「南千歳駅にくっついていた。今の場所に転居したときに『新』となった」と語ります。

千歳空港は、あの通路の先に存在していたのだといいます。

いわゆる旧「千歳空港」が開港したのは、1951(昭和26)年のことでした。
しかし高度経済成長期で航空の需要が爆発的に伸び、空港は手狭になります。

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1960年代(提供:千歳市)

さらに、冷戦下の1980年代、ソビエト軍の戦闘機に対応する自衛隊機の緊急発進が急増しました。

当時は、民間機と自衛隊機が同じ滑走路を使っていて、緊急発進のたびに民間機は上空や地上で待機していたのです。

安全面も、運航ダイヤの維持も、すでに限界でした。
そこで1988(昭和63)年、民間機専用の新千歳空港が開港したのです。

なぜわざわざ「新」をつけたの?

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1988年 新千歳空港 開港

では、なぜわざわざ「新」とつけたのでしょうか。 東京航空局新千歳空港事務所の徳芳仁次長は「当時のターミナルビルは、南千歳駅のターミナルビルを利用していた。千歳空港と新しい新千歳空港を区別するために、『新』という文字がつけられた」と説明します。

実は、現在のターミナルビルが完成する1992(平成4)年までの4年間、新旧2つの空港が、同時に存在していたのです。

その2つを呼び分けるため、「新」の文字が必要だったといいます。
さらに、徳次長は「正式には『千歳飛行場』、俗称で『千歳空港』というようなことですね。法令上は存在していなかった」と話します。

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旧「千歳空港」は、正式には自衛隊の「千歳飛行場」だったのです。

民間機が滑走路を間借りしていたため、通称で「千歳空港」と呼ばれていました。
では、その歴史は、いつ始まったのでしょうか。

住民が「2日間で手作り」!?

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提供:千歳市

千歳市企画部の中村充主幹は「飛行機を見たいという村民の願いがあり、自分たちで着陸場を作った。そこが一番最初」と明かします。

誕生のきっかけは、住民の素朴な願いでした。

今から100年前の1926(大正15)年、千歳村に北海道鉄道の駅が建設され、新聞社が旅行会を計画しました。

村民が心のこもった手料理を作ってくれたので、お礼として「上空から新聞宣伝のビラを撒く」と提案されます。

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提供:千歳市 北海第1号機

これを聞いた村民が「上空だけでなく、近くで着陸した姿を見たい」と熱望したことがすべての発端です。
しかし当時の千歳村には、飛行場はありませんでした。

そこで村民たちが取った行動は「手作業」!大人や子どもも含めて、約150人がなんと2日間で手作業で着陸場を作ったというのです。

終戦間近に訪れた、存亡の危機

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©U.S. navy

その後、千歳飛行場は拡張工事が行われ、海軍の基地になりました。
そして、終戦間近に存亡の危機が訪れます。

1945年7月14日と15日の北海道空襲。
全道が標的となる中、千歳飛行場は奇跡的に爆撃を免れたのです。

地方史研究者の山本竜也さんは「千歳の場合、雲に穴がないくらい曇っていたので空襲を受けなかった。つまり、艦載機という米軍の飛行機が雲の下に降りてこれなかったので、千歳を見つけることができなかった」と解説します。

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イメージ

もし戦火に巻き込まれていたら、今の新千歳空港はなかったかもしれません。

千歳市企画部の中村主幹は「今の若い人たちや子供たちには、千歳の空港が、この町の宝であると思ってもらいたい」と思いを語ります。

2026年のことし、千歳の空の歴史は100年の節目を迎えます。
それは激動の時代を駆け抜け、空への夢をつなぎ続けてきた証なのです。

新千歳空港の100年の歴史

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調査結果です。
新千歳空港の『新』は、4年間だけ2つの空港を併用していたときに、区別するためにつけられたものでした。

1988年7月20日に新千歳空港が開港しました。新千歳空港ができてから40年近くが経ちますが、北海道空襲のあった日の天候次第では違う歴史があったかもしれません。

HBCテレビ「今日ドキッ!」ゲストコメンテーターの野宮範子さんは新千歳空港にまつわる100年の歴史に思いを馳せます。

「その100年の歴史の中には戦争があって、たまたま曇っていたから空港が爆撃されなくて。戦後は一時期、空港自体がアメリカ軍の占領下にもなったことありますし、それから自衛隊と民間の共用になって、冷戦時代があって、そして今や年間2000万人の人が降り立つ空港になる。『空港』っていうフィルターを通して100年の歴史を見ると、本当に感慨深いなと」と話します。

「今度新千歳に行ったら、安全に平和に旅できること、本当に感謝しなければと思いました」

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さらに、ゲストコメンテーターの寺井裕美子さんは新千歳空港の立地についてコメントしています。

「驚く歴史ですけど、結構観光のお客様に『なんでこう北海道は広い土地なのに、札幌に飛行場を作らなかったのか』みたいなことを聞かれたんで、調べたんですけど。平らな土地だったっていうことと、雪が少なかった。年間を通してこう飛行に適したこう風向きだったっていうところで。たまたまでもあるかもしれないけど、理にかなってるところが、すごいなと思います」

草刈りから始まり、ことしでちょうど100年。
新千歳空港の次の100年は、どんな歴史になるのでしょうか。

取材・文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あま
※掲載の内容は、HBC「今日ドキッ!」放送時(2026年7月15日)の情報に基づきます。

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