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砂漠の星空の下で、何者でもない自分を見つめて。インドの西の果て・ジャイサルメールの旅。

  • 2026.7.23

真夜中、ふと目が覚めると、視界に無数のぼんやりした光が揺れていた。

慌てて枕元の眼鏡をかけてもう一度見上げると、それは満天の星空だった。

人工的な明かりの一切ない、星の光だけが瞬く世界。まばゆいほどのその光景に、僕は思わず「わぁ……」と小さく声を上げた。こんな夜空を見るのは初めてだった。

しばらく呆気に取られて眺めていると、流れ星がひとつ、星々のあいだを流れて落ちた。広大な宇宙が、すぐ目の前にあるようだった。

インドの西の果て・ジャイサルメールにて。砂漠に敷いた布団のなかで、僕は人知れず、ただただ心を震わせていた。

砂漠に立つ僕

30歳を目前に

仕事が忙しくて、なにもできない時期があった。

日々激務に追われ、やっと取れた休日にも上司から電話がかかってくる。朝も夜も、平日も休日も、仕事漬けだった。

ある日、心が疲れに疲れ切って、これ以上働くことができず、僕は突然会社を辞めた。30歳を目前にしたときだった。

逃げるように会社を去ったあと、僕は自宅の布団のなかで一日じゅう過ごしてばかりいた。これから自分は一体どうなってしまうのだろう。毎日不安で仕方なかった。

少しずつ回復してくると、妻が「一緒に長い旅に出ようよ」と言ってくれた。僕はすぐに「行こう」と返事をした。考えるよりも先に言葉が出てきた。

きっと、心から旅を求めていたんだと思う。

そうと決まれば、準備が始まった。急に気持ちが前向きになり、活力が湧いてきた。そうこうしているうちに、気がつけば、30歳になっていた。

無職のまま迎えた30歳。清々しい気分だった。

夏、いよいよ出発。まずはタイに渡航することだけ決めて、あとはほとんど無計画。とりあえず西へと進んでいこうとだけ決めて、僕らの旅は始まった。

タイの空港から、熱気あふれるバスに乗って

自分ってなんなんだ

タイで40日間を過ごし、スリランカで1ヶ月を駆け抜け、そして、3か国目にやってきたのが、インド。

インドは僕にとって三度目の渡航。一筋縄ではいかない国だということは十分にわかっていたが、同時に、もう三度目という心の余裕もあった。

行ってみたいところだけ抑えたら、すぐに次の国へ行こう。そう軽く思っていた。

インド・ムンバイにて、路上のチャイ屋

だけど、インドは沼だった。

この国には不思議な魔力がある。その力に圧倒されてすぐに去ってしまう人も多いが、反対に、思いっきり惹き込まれてしまう人もいる。

僕らはまさに後者だ。もっといろんなものを見たいとあちこちを周り、気がつくと1か月が過ぎていた。

その頃になると、僕はだいぶ疲れが溜まっていた。体調も崩しやすくなり、考えも後ろ向きになることが増えていった。

次の国にはいつ行くのだろうか。そもそも、この旅はいつ終わるのだろうか。そして旅が終わったら、どうするのだろうか。

なにも決めていない旅は、始めこそ気楽だったが、長引くと徐々に迷いが生じてくるものだと知った。

衛生面や人口密度、自己主張の強いインド人と常に渡り合っていく環境など、物理的にも精神的にも負荷がかかっていたことも、思考回路に影響していたのだろう。

インドでは当たり前に牛が道を歩いている

この頃に書いていた日記を読み返すと、「宿にこもって本を読んでいるほうが楽しい」とか、「帰りたい気持ちが膨らんでいるが、帰ってから現実と向き合うのが憂鬱だ」とか、ネガティブなことばかり書いている。

そして印象的だったのが「自分ってなんなんだ」という走り書きだった。

いま読み返すと、なに書いちゃってるんだと恥ずかしい気持ちにもなるが、このときは本気でそんなことを考えていたのだと思う。

仕事もしていない、なにかを成し遂げたわけでもない、何者でもない存在。この旅はそんな自分から逃れるための逃避行。だから帰るのが億劫。だけど旅を続けるのもしんどくなってきた。

そんな思いを抱きながら、僕は妻とともに、インドという沼を北上していった。

プシュカルでは湖畔での祈りの儀式に参加してみた

ラクダに揺られて

インドの西方、ラジャスターン地方の都市を巡り、比較的穏やかな時間を過ごした僕らは、もう少しだけインドを旅することにした。ここまで来たなら、果てを目指そうと。

そして鉄道に乗って10時間。僕らはとうとう西の果て・ジャイサルメールへと辿り着いた。

長い旅路をゆくインド鉄道

ここは砂漠地帯が広がり、城塞や建物もまばゆい砂色をしていることから、ゴールデンシティとも呼ばれる美しい街。城塞のなかにも路地が張り巡らされ、異国情緒溢れる賑わいを見せていた。

ゴールデンシティ・ジャイサルメール

ここで僕らは、キャメルサファリのツアーに申し込むことにした。ラクダに乗って砂漠をゆき、砂漠の真ん中で一泊するというものだった。

砂漠の入り口まで連れていってもらい、ツアーがスタート。出迎えてくれたガイドは、おじいちゃん、お父さん、お兄ちゃんと弟の4人。素敵な家族とともに、砂漠の旅が始まった。

砂漠スタイル

ラクダの背の上は上下の揺れが大きく、初めは怖かったが、徐々に慣れてくると楽しくなってきた。

見渡す限りの砂の世界を、揺られながら進む。乾いた風が頬を掠め、頭上からはぎらぎらした日差しが降り注ぐ。

暑さは応えたが、このときほど「旅をしている!」という感覚を味わった瞬間はなかったかもしれない。

道中、弟くんがたくさん喋りかけてくれた

夕方ごろ、ようやくキャンプ地に到着。早速ご飯の準備が始まる。

みんなで手分けし、てきぱきと火を起こし、食材を調理していく。

弟はお喋り好きで、しきりに話し続ける声が可愛かったし、お兄ちゃんはクールだったけど、時折見せる笑顔が優しくて癒された。

お兄ちゃんの笑顔

料理を手伝いながら、兄弟と一緒に写真を撮ったり、そこらへんを散策したりと、自由な時間を過ごす。

砂漠の真ん中にいるという高揚感と、家族の温かさに包まれた安心感の両方が、じんわりと全身を包んでいた。

みんなでご飯の準備

ご飯を食べ終えると、おじいちゃんが僕らのために歌を歌ってくれた。

砂漠の夜に響く、高らかな歌声。何を歌っているのかは分からないが、たしかに胸に沁みるものがあった。人の思いを乗せた音楽は、言葉や国境の壁を越えるのだと思った。

美味しかった砂漠カレー

歌を聞かせてくれたおじいちゃん

日はすっかり暮れ、夜の闇のなか。

みんなで焚き火を囲いながら、ぱちぱちと薪が燃える音や砂混じりの風の音に耳を澄ませていると、この旅のあいだ僕の中でずっと張り詰めていたものがほどけていくような気がした。

可愛い兄弟と一緒に

星空の下で

その夜、僕らは地べたに敷かれた布団に潜って寝た。テントはない。コットもない。砂の上に直接置かれた布団が、この日の寝床だった。

布団に入り、そのまま空を見上げる。一面の星空が美しかった。寝るのが勿体無いと思いながらも、僕はしだいに眠りに落ちていった。

ここで寝た

そして、真夜中。ふと目が覚めた。

寝ぼけた頭で、自分がいまどこにいるのかわからなかった。そんな状態のまま、眼鏡をかけて仰向けに転がる。

そこには、いまにもこぼれ落ちそうな星空が広がっていた。寝る前に見上げたときよりも、広く、美しく、圧倒的だった。

宇宙がすぐそこにあるような気がして、僕は感動と同時に、少し恐怖を覚えるほどだった。

そんな夜空を眺めているうちに、ここまで来た、という言葉が心に浮かんできた。

仕事を辞めて、何者でもなくなって、思えば仕事をしているときも自分はなんでもなかった。帰ってからも僕は、何者でもない人生を歩むのだろう。

だけどそれがなんなのだろうか。

日本の片隅から出発し、タイ、スリランカと渡り歩き、インドを南から北へ進み、ついには西の果てにたどり着いた。

その果ての砂漠に寝転んで見上げるこの星空を前にして、なにを成したとか、何者だとか、そんなことはすべてどうでもいいと思った。

そして、初めから自分にはなにもなくて、これからもそうなのだろう、とも思った。

それは決して悲しい意味ではなくて、僕の心を軽くしてくれるものだった。

仕事を辞めた直後、自室の布団のなかに潜り込んでいたときのことを思い出しながら、僕は砂まみれの布団のなかでそっと目を閉じ、星空の下で眠った。

iPhoneで撮影したので限界があるけれど、きっと一生忘れられない星空

旅は終わるけれど

ツアーを終えて街に戻り、さあ次はどうしようと話し合っていると、僕らはインドのビザがもう間もなく切れることに気がついた。

お金ももう底を尽きてきたし、無理に続けるより、一旦帰ろうか。

そうして、旅は突然に終わりを迎えた。

旅の相棒

もう少し旅をしたかったとも思うが、この砂漠での二日間を振り返ってみる。

朝、家族が淹れてくれたチャイを片手に、地平線から昇る朝日を眺めていた。

砂丘に腰を下ろしてぼんやりしていると、道中ずっとついてきた野良犬が横に座った。その背を眺めていると、彼がぱっと顔を上げてこっちを見た。

ここまで、およそ120日間の旅。長い旅路を経て、ラクダに乗って砂漠をゆき、素敵な家族との心の交流があり、満点の星空の下で眠り、朝日を眺めながら可愛い犬と見つめ合う。

これでいいのでは、と思った。そこに意味なんてないけど、この瞬間のために旅をしてきたと言ってもいいかもしれない。そんなことをふと思った。

改めて振り返ると、僕は旅の最中ずっと、たくさんの感情や思いを抱いて、常にそこに意味を見出そうとしてきた。自分の存在について何度も思案した。

だけど、最後にたどり着いたのは、意味なんて別になくていいということだった。

ただ、目の前にあるものや、自分自身のありのままを受け入れるだけでいい。

朝日を眺めながら一杯

そんな達観したことを感じておきながら、帰国後のいま、結局僕はいろんなしがらみに囚われて、相変わらず苦悩は尽きない。

でも、それでいい。それが人間らしさでもあり、僕らしさでもあるのかもしれない。それに、僕には旅がある。

きっとまた、何者でもない自分を抱えたまま旅に出ては、世界のどこかで星空を見上げたり、誰かとご飯を食べたり、名前も知らない犬とぼんやり過ごしたりするのだろう。

それが、僕の旅であり、生き方なんだと思う。

犬と僕

All photos by Satofumi

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