1. トップ
  2. 東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」/第42回(やまぎわ)「輪郭が際立ち本質がぼやける ~言語化に潜む悪魔~」

東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」/第42回(やまぎわ)「輪郭が際立ち本質がぼやける ~言語化に潜む悪魔~」

  • 2026.7.16
東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」 提供:無尽蔵 やまぎわ
東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」 提供:無尽蔵 やまぎわ

サンミュージックプロダクションに所属する若手の漫才コンビ・無尽蔵は、ボケの野尻とツッコミのやまぎわがどちらも東大卒という秀才芸人。さまざまな物事の起源や“もしも”の世界を、東大生らしいアカデミックな視点によって誰もが笑えるネタへと昇華させる漫才で、「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出・「M-1グランプリ」では2024年から2年連続で準々決勝に進出し、次世代ブレイク芸人の1組として注目されている。新宿や高円寺の小劇場を主戦場とする令和の若手芸人は、何を思うのか?“売れる”ことを夢見てがむしゃらに笑いを追求する日々を、この連載「尽き無い思考」で2人が交互に綴っていく。第42回はやまぎわ回。

第42回(やまぎわ)「輪郭が際立ち本質がぼやける ~言語化に潜む悪魔~」

お疲れさまです。無尽蔵のやまぎわです。

今日は「言語化」というものについて少し考えてみたいと思います。

「言語化」という言葉が、褒め言葉として使われるようになったのはいったいいつからでしょうか。

やはりSNS等、文字によって媒介されるメディアが隆盛してからでしょうか。コンテンツに対する考察や、世の中の諸問題を扱った短文が取り沙汰されては、「言語化力がすごい」「私の気持ちを代弁してくれた」と称賛されています。

ことお笑いに関しても同様です。

お笑いの技術論や、ウケる理由/ウケない理由の考察が一大コンテンツとされて久しいです。純粋なお笑い番組は減っていくにも関わらず、お笑いについて「語る」番組は増えていくというパラドックスすら指摘されています。

その中で、楽屋にとどめられていた、「フリオチ」「天丼」「拍手笑い」といった単語が掬い上げられ、お笑いファンなら知って当然の語彙として普及しています。

なぜこのようにお笑いの技術論や専門用語がどんどんと浸透していって、「語れること」が鑑賞態度として嗜好されているのでしょうか。

言語化欲求の源泉はやはり、「お笑いが好きだから」に尽きるでしょう。好きなものだからこそ人よりも深く知りたい、好きな人だからこそその考えを理解したい。その気持ちが、お笑いファンの脳内に専門用語を蓄積させます。

お笑いファンに専門用語が浸透すればするほど、コミュニケーションにおける知識への依存度が高まります。それはコミュニケーションの強度を高め、より内輪な、そしてより強固なコミュニティへの帰属意識につながります。

何かについてより知識を持ち、語れる存在になることは、あるファンコミュニティの中での特権・市民権を獲得することと同義にみなされているようです。

しかし、ここで敢えて、言語化という魅惑の果実にご執心の特権階級に少しだけ水を差してみようと思います。

言語化という行為は、物事を「言葉という枠の中に矮小化してしまう」ことにつながりかねません。

何かを言葉で表すことは、空中に漂うモヤのようなものを箱の中に閉じ込め、外界とは異なるものとして名前をつけるようなイメージだと思います。

そうすることで物事の輪郭がはっきりとし、その上にさらに何かを積み上げることができます。そのプロセスの積み重ねで、自然科学も今日まで発展してきました。

しかし、そのモヤを閉じ込める過程で、きっと掬いきれなかったこともあるはずです。

例えば「拍手笑い」という言葉について。それは最初は、観客の笑いの一体感が共鳴し、ある一定の水準まで達したとき、その「お見事」という感情が笑いを超えた手法で表現されるという、比較的稀な現象でした。

それを芸人たちが「拍手笑い」と名づけました。拍手笑いを起こすことが一つのステータスとすら定義されていきます。

そして「拍手笑い」は人口に膾炙(かいしゃ)していくこととなります。シンボリックだったのは、M-1グランプリ2023です。「爆笑が爆発する」のキャッチコピーのもとで、「拍手笑い」を切り取った映像がしきりにオープニングで使われ、さながら「拍手笑い」=「勝者の象徴」のように演出されていました。

いつしか「拍手笑い」は賞レースにおける勝ち負けの指標として再定義されることとなるのです。

言語化の危険性はここに潜んでいます。「拍手笑い」は、たしかに賞レースの通過と少なからず関係を持っています。しかし、その側面のみが箱に閉じ込められたことで、実際に多くの弊害を生んでいます。

拍手笑いが概念として意識されたことで、観客側も拍手笑いを「起こしにいく」という行動に妥当性が生まれます。芸人側も拍手笑いを起こしにいくため終盤にドラマチックな展開を敢えてこさえたりします。しかし、それすら勝ち負けの概念としての「拍手笑い」を観客に連想させ、「勝ちたいんだな」という解釈の枠に収まり、近年は面白さを逓減(ていげん)させているようです。

拍手による笑いを超えた感動の表現は、「拍手笑い」という名前を与えられ「訳がわかるもの」になってしまったことで、当初の拍手笑いに伴っていた魔法のような感動は、今や矮小化してしまったのだと思います。

言語化によって物事を捉え直すことは、主体にメタ的な視点を与えるため、盲目に夢中になる余地を奪います。雑に物事をくくって言語化してしまうことで、その枠を飛び出して想像を超える可能性を狭めます。

僕もお笑いという熱に浮かされていた大学生の頃、「面白いってなんなんだろう」とひたすら考えていました。その結果、自分の中に一定のロジックは構築されましたが、一時期のように夢中になってお笑いを鑑賞する機会は減ったように思います。笑う前に「理解」してしまうからです。

一方、僕は音楽も好きですが、長い間音楽を好きでい続けられるのは、「よく分からないけどなんか良い」という状態が、今でも新鮮に続いているからなのかなとも思います。

言語化や考察がカッコいいとされる世の中なら、その対極の地下で僕は、何かを「あえて考察しない」ことも、ある種モデレートで、サステナブルな鑑賞態度なのではないかということを提案してみようと思います。

 提供:無尽蔵 やまぎわ
提供:無尽蔵 やまぎわ

2026年5月10日に開催された「無尽蔵がしこたまネタをやるライブ:episode7」、配信を開始しております!漫才9本、映像コント1本、オール無尽蔵の1時間、よければ是非ご覧ください。

■無尽蔵

サンミュージックプロダクション所属の若手お笑いコンビ。「東京大学落語研究会」で出会った野尻とやまぎわが学生時代に結成し、2020年に開催された学生お笑いの大会「ガチプロ」で優勝したことを契機としてプロの芸人となった。「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出、「M-1グランプリ」では2024年から2年連続で準々決勝に進出。

無尽蔵 野尻 Xアカウント:https://x.com/nojiri_sao

無尽蔵 野尻 note:https://note.com/chin_chin

無尽蔵 やまぎわ Xアカウント:https://x.com/tsukkomi_megane

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ