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朝ドラ【風、薫る】気持ちの部分から一線を越えてしまったりん(見上愛)。その代償とは?

  • 2026.7.6

朝ドラ【風、薫る】気持ちの部分から一線を越えてしまったりん(見上愛)。その代償とは?

1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。近代看護界の先駆者となった2人の女性を主役とする物語。「風、薫る」のレビューで、より深く、朝ドラの世界へ! ※ネタバレにご注意ください

仕事への向き合い方が対照的に描かれる

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる・中央公論新社)を原案とし、激動の明治時代を駆け抜けた二人のナースを、見上愛・上坂樹里のダブル主人公として描くNHK連続テレビ小説『風、薫る』の第14週「ウソと誠」が放送された。

職業としての「看護婦」が日本にまだ存在しなかったところから、二人の主人公が初のトレインドナースとなり明治期の医療の発展を支えていくまでの成長する姿、主な舞台が病院なり医師や患者たちとの関係性が描かれていくことで、本作は広義の「医療ドラマ」といっていいかもしれない。

ナースを主人公となるドラマは、コメディタッチのもの、命の意味を問いかけるようなシリアスなもの、医師との関係性や組織としての病院を描いたものまで、それこそ多数制作され続けているジャンルである。このドラマでも、りんや直美たちが一人前の看護婦になっていくまでのとまどいや奮闘、医師や看病婦との近代医療がまだまだ黎明期であることゆえの駆け引き、そして患者とその病気を通じて感じる「生」といったことがさまざまな視点から描かれてきた。

今週の冒頭での憲法(大日本帝国憲法)発布から2ヶ月というセリフから、明治22(1889)年4月ごろとみられる。本作第1話は明治15年からスタートしているため、作中では7年が経過したことになる。看護取締として新たなスタートを切ったりんと直美だが、その仕事への向き合い方が対照的に描かれる。

実直なりんは、ついついがんばってしまうタイプ。休みもろくにとらず働くが明らかに無理がありそうで、疲れた表情を浮かべながらも看護科の生徒に教える姿にも「がんばりすぎ」な空気が漂う。前週、看病婦の仕事をしながら看護科の授業に参加し、疲れから医療ミスを招き解雇されてしまったツヤ(東野絢香)の一件と同じようなことにならないか心配になってしまう。

そんなりんたちの姿をみて希望を失い、看護科の生徒のひとりで成績優秀だったヒデ(池田朱那)が学校をやめることを決意した。

「看護婦って何ですか?」
ヒデの問いかけがりんを突き刺す。

「やっぱり、目の前にいる人、弱っている人に手を差しのべることだと思います」
寄り添うというりんのスタンスは、正しいものである。しかし、正論、理想論だけではどうにもならないこともある。

「女が働ける時間は限られてますから。私は未来の見えないものに時間は使いません」
ヒデは看護科を去るとき、こう直美に告げた。女性が男性と同等に働く権利を正当に得られるようになったのは、戦後からさらに時間が経ってのことである。働く女性の立場やあり方は、この時代から長きにわたって現代の状態まで少しずつ積み重ねてきたから。そんな歴史的な事実についてあらためて考えることとなった。

トップクラスの優秀な生徒を失ったことで、りんは取締を解任され、一看護婦へと降格される。目の前の厳しい事実がりんの前に大きな壁となり立ちはだかる。

そんなある日、慢性的な胃腸炎で新たに入院してきた庭師の患者、山本(本田大輔)は、本の山に囲まれて暮らしていたとか、多くの人の上に立っていたとか(「一匹狼じゃないか」と妻に突っ込まれていた)、徳川家の庭を担当していたとか(本当はすみっこの馬小屋の脇の小庭を担当していただけ)、軽い「ウソ」をつくというか誇張して語りがちな面はあるものの、性格は明るそうであり、花火の時期には牛鍋を食べられるようにがんばると入院した日に笑顔で宣言してみせたり、ヒデがやめたことについても、「少しは楽になるね」という言い方ができるような気配りの男だ。

しかし、りんは踏み越えてしまった

山本は、検査の結果、がんであることが判明する。昭和のドラマの世界から、がんは本人に心労をかけさせないようにといった配慮も含め、患者には直接告知せずに治療をすすめていくことが多かった。りんや山本の妻は、山本には胃腸炎ということで接する。これはいわゆる「優しいウソ」である。がん治療におけるインフォームドコンセントが根付くのは、まだまだ当分先の話だ。

山本のがんは、想像以上に広がっていた。それでも手術は一時無事終わり退院するものの、山本の容体が急変、再び帝都医大病院に入院してくる。山本が軽口を叩き続けているのは、本音を包み隠したいからだ。本当はあまりよくないことも気づいている。がんが広がっているんだろうとりんにたずね、りんが否定すると、
「一ノ瀬さんもつけるんだな、ウソ」
こう山本はつぶやいた。人の命とウソというものは、きわめてデリケートなバランスをとりながら成立しているものである。

山本は、最初に入院したときにも口にしていた、妻と牛鍋を食べにいくことを願う。季節外れであるが、花火の時期だからすいていたという「穴場」のような感覚だ。これが二人にとって年に一度の贅沢、夫婦愛を感じるエピソードであり、人情に訴えかけ、思わずほだされてしまうだろうことはよくわかる。

花火の日。
「家に帰りたい」
山本はそう願う。このまま自分が去ってしまえば妻は一生後悔してしまうだろう。そのために、ウソをつかせてほしいと。どこか落語の人情噺のような趣すら漂う妻への愛を目一杯詰め込んだ訴えだが、医療という視点で考えると、それを叶えることは明らかに間違いである。りんはそれもよくわかっている。しかし、りんは踏み越えてしまった。

山本を背負い、病院から連れ出す。これまで学んできた看護の理念を大きく逸脱したものであることは間違いない。とはいえ患者の願いを叶えることも大切だという現代の「看取り」の概念にもつながり、「ウソ」が誰かを救うことにもつながることだってある。今も正しい選択がどうであるか分からないかもしれない医療と命の難しさ、そして愛する人への思いの重さを、「ウソ」という要素から見せてくれた。

看護の正しい道を、気持ちの部分から踏み越えてしまったりんの前にある道がますます険しいものとなる気配が色濃く漂いはじめ、りんと直美の〝バディ〟としての関係性もどうなっていくか、新たな局面を迎えそうである。

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