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#22 彦野利勝(中日) 史上初 サヨナラホームランに代走

  • 2026.6.9

◎1991年6月18日 ナゴヤ球場

大洋 0 0 0 0 0 2 4 0 0 0 = 6

中日 0 0 0 1 0 1 1 1 2 1X = 7

HR(中日)ライアル9号・10号 大豊10号

中村5号 彦野3号

長年プロ野球を観ていると「こんなことってあるんだ!?」と驚く場面に出くわすことがある。これはその中でも5本の指に入る“珍事件”だ。サヨナラホームランを打ったバッターが、本来なら待ち構えたナインにもみくちゃにされるところ、なんとホームに還って来なかったのだ。ホームインしたのは“別人”。いったい何が起こったのか?

1991年6月18日、ナゴヤ球場で行われた中日―大洋戦。同点の7回、大洋が4点を勝ち越したが、中日も反撃。その裏、1点を返すと、8回にマーク・ライアルの10号ソロ、さらに9回には大豊泰昭・中村武志の2者連続アーチが飛び出し、中日は土壇場で同点に追いついた。試合はそのまま延長戦に。ここで打席に立ったのが彦野利勝だった。

彦野は愛知高校出身で、1982年のドラフトで地元の中日から5位指名を受けて入団。1軍に定着したのはプロ5年目、1987年だった。この年から指揮をとった闘将・星野仙一監督に才能を見いだされた彦野は外野のレギュラーの座をつかみ、翌1988年のリーグ優勝にも貢献。1989年には自己最多の26本塁打を放ってベストナインに選ばれ、守備でも1988年から3年連続ゴールデングラブ賞を受賞。セ・リーグを代表する外野手に成長していった。

迎えたプロ9年目の1991年。この年、彦野の前にライバルが現れる。広島からトレードで移籍して来た長嶋清幸だ。彦野は外野のレギュラーの座を奪われ、開幕は代打中心での起用となった。しかし腐らず代打で結果を出し、スタメン出場も増やしていく中で、6月にこの大洋戦を迎えたのである。彦野は「6番・中堅」で先発出場。延長10回裏、彦野に5打席目が回ってきた。

この日2安打を放ち、当たっていた彦野。大洋・盛田幸妃が投じた5球目のスライダーを振り抜くと、打球はライナーで左翼スタンドへ! 劇的なサヨナラアーチに沸き返るスタンドと中日ベンチ。彦野も一塁ベース手前で歓喜のジャンプを見せた。ところが……一塁ベースを回ったところで、思いがけないことが起こった。

彦野によるとその瞬間「急に地面がなくなった感じ」がしたという。その場で転倒してしまった彦野。「ありゃ、転んじゃったよ。恥ずかしいな」と立ち上がり、笑いながらダイヤモンドを一周しようとしたら、右ヒザに劇痛が走り、苦痛に顔をゆがめてうずくまってしまった。場内が騒然とする中、走れなくなった彦野はネクストサークルにいた大豊に背負われ退場。急きょ、代走に山口幸司が告げられ、山口は彦野の代わりにダイヤモンドを4分の3周してホームインした。山口に得点、彦野に本塁打と打点がつく珍しい記録となった。

ホームランを打った打者に代走が出たケースは、過去にも1度だけあった。1969年、近鉄・ジムタイルが一塁ベースを回ったところで肉離れを起こし、代わりに伊勢孝夫がベースを回った。しかし、サヨナラホームランに代走が出たのは、長いプロ野球の歴史の中でもこのときだけだ。

ところで彦野のヒザの症状だが、診断の結果は「右膝蓋腱断裂」。「運ばれた後に足を見たら、ヒザのお皿があるところになく、ちょっと上の方にあった」という彦野。「右膝蓋腱」とはヒザの皿の骨についている太い腱で、脛骨(スネの骨)につなげる役目をしている。この腱が切れてしまったのだ。

実は彦野、その何年か前からヒザを痛めていて、患部に痛み止めの注射を打ちながら、だましだましプレーしていた。もともと無理をしていたところ、よりによって、サヨナラアーチの走塁中という晴れの舞台で限界が来てしまったのである。症状は想像していたよりも重く、彦野は手術を受け、結局1991年のシーズンを棒に振った。

中日はこの年、8月まで首位を快走していたが、9月、広島に逆転されて優勝を逃し、星野監督は責任を取って退任することになった(のちに復帰)。入院中だった彦野はその報せを聞き、外出許可をもらって、シーズン最終戦に臨む星野監督のところへ挨拶に行ったという。「お前がいてくれたらなぁ……」と監督にしみじみ言われた彦野。この言葉を胸に、3年後の1994年、再びレギュラーを奪い返し118試合に出場。4年ぶりに規定打席に達し、打率.284をマークしてカムバック賞を受賞している。

<チャッピー加藤>

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