1. トップ
  2. エンタメ
  3. 40年前、ミントのように涼やかなハイトーンが「別れの海」をうたった 爽やかさと喪失が同居する矛盾の名曲

40年前、ミントのように涼やかなハイトーンが「別れの海」をうたった 爽やかさと喪失が同居する矛盾の名曲

  • 2026.6.26
undefined
杉山清貴-2000年6月撮影(C)SANKEI

1986年、初夏。海と夏のイメージをまとった一人の歌い手が、ソロとして新しい一歩を踏み出した。杉山清貴。前年の暮れ、人気絶頂のさなかにバンドを解散したばかりの、あの声である。

杉山清貴&オメガトライブ。1983年にデビューし、和製AORやシティポップの草分けとして、海とリゾートの匂いをまとった音楽で人気を集めたグループだった。きらめく真夏の情景を、洗練されたサウンドで描く。その世界の真ん中に立っていた看板の声が、ここからひとりで歌い始める。

杉山清貴『さよならのオーシャン』(作詞:大津あきら/作曲:杉山清貴)ーー1986年5月28日発売

ソロ第1作にして、作曲は本人。林哲司のメロディを歌い続けてきた声が、自分の書いた旋律を歌った。

ミントの声が、終わった恋をうたう矛盾

オメガトライブの解散は、人気が落ちてからの撤退ではなかった。いちばん良いときに、自分たちの意思で幕を引く。そういう美学のうえでの決断だった。メンバーが楽曲の制作や演奏に深くは関われない、プロジェクトとしての枠組みへの思いも、その背景にあった。絶頂で立ち止まる潔さは、なかなかできることではない。

皮肉なことに、その潔さがソロの船出を呼び込む。その第一作で、彼は人の曲ではなく、自分のメロディを選んだ。作曲が本人だという事実は、音にもはっきり表れている。佐藤準の編曲は、オメガトライブ時代の都会的で軽やかな手ざわりよりも、ロックの芯を一本通した、骨太な響き。打ち寄せる波のように厚みのあるバンドサウンドの上を、杉山清貴の突き抜けるようなハイトーンが駆けていく。

ミントのように涼やかな、夏の声。なのに、タイトルが告げるのは「別れの海」だ。大津あきらの言葉が描くのは、まぶしい夏景色のなかの、終わってしまった恋。さわやかさと喪失感が、同じ声のなかに同居している。明るいのに、どこか胸がきゅっとなる。陽射しのまぶしさと、引いていく波の寂しさが、ひとつのメロディに同時に乗っている。この相反する手ざわりこそ、この曲がいつまでも色褪せない理由だと感じる。

リゾートの軽やかさから、ひとりの男の感傷へ

オメガトライブ時代、彼の夏を彩った作詞・康珍化、作曲・林哲司の名前は、この曲にはない。顔ぶれは、すっかり入れ替わった。それでも、海や夏の手ざわりは途切れていない。むしろ「オメガの夏の、その先」として、より骨のあるサウンドに更新されている。リゾートの軽やかさから、ひとりの男の感傷へ。同じ海でも、見える景色が少し大人びた、と言ってもいい。

この曲はダイドージョニアンコーヒーの広告に流れたが、同じCMには前年、オメガトライブ時代の『ガラスのPALM TREE』(1985年発売)も使われていた。解散をまたいで、同じブランドの画面に「夏の声」が続いたことになる。お茶の間の記憶のなかでは、バンドもソロも地続きだった。同じ1986年の5月には、後を継ぐ1986オメガトライブもデビュー曲を世に送り出し、ふたつの「夏」が並んで船出した季節でもあった。

流された出発が刻んだ、自分だけの海

人気の頂点で潔く幕を引き、ソロで自分のメロディを歌う。そうして生まれた一曲が、長く愛される夏の名曲になった。流されるように始まった出発が、結果として、誰の声でもない「杉山清貴の海」をくっきりと残したのだ。

近年、和製シティポップは海を越えて聴き直されている。あの時代の夏の音が、古びるどころか、新しく響く。さわやかな声に喪失をにじませたこの一曲を聴くたび、潔さと痛快さが、同じ温度で立ち上がってくる。自分の海を初めて自分でうたった夏は、いまも色を失っていない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

の記事をもっとみる