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32年前、「進みたいのに戻りたい」恋の矛盾を描いた名曲 絶対に両立しない"2つの願い"の正体

  • 2026.6.16

人は、両立しない二つを同時に願ってしまう生きものだ。前へ進みたいと願いながら、戻りたいとも願う。忘れたいと祈りながら、忘れられないでいたいとも祈る。その矛盾を責めずに、まるごとすくい上げた曲がある。

槇原敬之『2つの願い』(作詞・作曲:槇原敬之)ーー1994年5月25日発売

タイトルの「2つの願い」は、ふんわりした比喩ではない。歌のなかではっきりと数えられている。「雨がやみますように。電話がきますように。」この二つだ。そして、その願いには残酷な条件が付されている。二つの願いは、必ずひとつしか叶わない。願いを掲げた瞬間に、片方の不成立まで歌い手は引き受けている。ここにこの曲の芯がある。

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槇原敬之-2012年11月撮影(C)SANKEI

「晴れ」と「電話」は、なぜ並び立たないのか

願いは、ただ仲よく並んでいるのではない。互いを打ち消し合う関係で置かれている。

雨は、過ぎ去った相手への未練として鳴っている。やんでほしいと願うのは、この気持ちに区切りをつけて前へ進みたいということだ。一方の電話は、もう一度つながりたいという願い、よりを戻したいという希望そのものだ。雨がやむ、つまり気持ちが「晴れ」て吹っ切れるなら、電話を待つ理由は消える。電話が鳴ってまた始まるなら、雨はやまず未練は続く。だから二つは絶対に同居できない。

槇原敬之は、この相反する二つを、矛盾と承知のうえで同じ口から歌わせた。前を向きたいと言いながら、つい着信を確かめてしまう。その往復こそが、別れの渦中にいる人間のいちばん正直な姿だ。割り切れる人など、本当はいない。割り切ろうとして割り切れない、その揺れの全部を、彼は一行に畳み込んだ。

願いを「数えた」という発明

この曲が非凡なのは、感情を数えたことにある。別れの歌は世にあふれている。だが多くは、悲しみを大きく嘆くか、強がって笑うか、どちらかへ振れる。槇原敬之はそうしない。願いを二つに絞り、指で折れる数まで具体に落とした。晴れと電話。どちらも生活のなかにある、手のひらサイズの願いだ。壮大な愛でも、劇的な決別でもない。窓の外を見て、手元の電話を見る。その視線の往復だけで、別れの全重量を描ききっている。

1994年は、まだ携帯電話が一般に行きわたる前夜だ。電話を待つとは、家の固定電話の前を動けないということだった。出かけてしまえば、かかってきたかどうかさえ分からない。だから「電話がきますように」という願いには、その場に縛りつけられる切実さが伴っていた。いまの感覚で読むより、ずっと身動きのとれない祈りなのだ。

歌い方も、その設計に忠実だ。声を張り上げて感情を押し出すのではなく、言葉の一つひとつを淡々と置いていく。叫ばないからこそ、聴き手は自分の側の沈黙を重ねられる。メロディもまた、サビで大きく跳ねず、生活のリズムにそっと寄り添う高さに保たれる。劇的な瞬間のための歌ではなく、雨の日に部屋でひとり電話を見つめている、あのありふれた時間のための歌だ。距離が近い。だから刺さる。

痛みを引き受けた人だけが、優しくなれる

この曲の最も鋭い一手は、別れの先にあるものを言い当てたことだ。優しさを手に入れるときは、胸が少しだけ痛い。歌のなかに置かれたこの一節に、槇原敬之という書き手の本質が出ている。

平易な言葉だ。難しい比喩はひとつもない。だが、優しさと痛みを引き換えの関係で結んだ視点は、誰にでも書けるものではない。痛みを通り抜けた人間だけが、他人の痛みに気づける。傷ついた経験が、人を柔らかくする。別れを嘆く歌でありながら、この曲は嘆きの底に、人が少しだけ成長する瞬間を見ている。だから後味が暗くない。

去っていく相手を責めない、という選択もそうだ。恨み言で終わらせれば楽だったはずの場所で、彼は相手の幸福を願う側に立つ。さよならは、言われるより言うほうが痛い。その痛みまで自分が引き受けようとする。願いがひとつしか叶わないと知ってなお、もう片方の願いを手放す覚悟が、歌の奥で静かに固まっていく。

叶わなかった願いの行方

二つの願いは、ひとつしか叶わない。それはこの曲のなかの話であると同時に、聴く者の人生のどこかで必ず起きていることだ。

進むか、戻るか。忘れるか、忘れずにいるか。人はいつも、両立しない二つを抱えて立ち尽くす。『2つの願い』が古びないのは、その立ち尽くす時間に正確な輪郭を与えたからだ。空を見て、電話を見る。叶わなかったほうの願いは、消えてなくなるのではなく、胸の奥に小さな痛みとして残り続ける。そしてその痛みが、いつか誰かに優しくする力に変わる。

叶わなかった願いにも、ちゃんと行き場があると、この曲は言いきっている。そう言いきれる強さに、私はこの一曲の価値を感じる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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