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27年前、ミリオンを掴んだ抜けるような夏の歌 なぜ明るいサビで胸が締めつけられるのか

  • 2026.6.10
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※ChatGPTにて作成(イメージ)

抜けるような青空が見えた。蝉の声より先に、その音が夏の入り口を知らせていた1999年の初夏。

明るくて、軽やかで、口ずさめば気持ちがふっと上を向く。なのに、サビの真ん中で、胸の奥がきゅっと締めつけられる。その不思議な手触りが、この曲を一度きりの夏ソングで終わらせなかった。

KinKi Kids『フラワー』(作詞:HΛL/作曲:HΛL・音妃)ーー1999年5月26日発売

全日本空輸「'99パラダイス沖縄」キャンペーンのCMソングとして、堂本剛と堂本光一の二人が沖縄でこの曲をまとった。テレビの向こうで真っ青な海を背に笑う二人と、この弾むメロディは分かちがたく結びついている。あの夏、画面の前にいた人なら、海の色とこの音が一緒に蘇るはずだ。

CDの累計は100万枚を超え、日本中が同じメロディを口にした。明るい歌だ。けれど、ただ明るいだけの歌が、こんなふうに長く愛されることはない。明るさの底に何かが沈んでいる。その正体を、音からたどってみたい。

浮かれた夏に、ひとさじの切なさが落ちる

『フラワー』を最初に支配するのは、解き放たれたような開放感だ。跳ねるリズムに、まろやかなホーンが朗らかに重なる。窓を全開にして走る車のような、肩の力が抜けた祝祭の空気が満ちている。KinKi Kids(現・DOMOTO)の二人が並んで歌うと、その軽やかさはさらに増した。アイドルの夏の歌として、これ以上ないほど抜けがいい。

ところが、ひとたびサビに入ると、空気がわずかにかげる。前を向こうとする言葉に差しかかった瞬間、明るい和音のなかに、ふっと短調の影が混じるのだ。励ましの言葉なのに、そこで胸が詰まる。

この落差が、『フラワー』のいちばんの仕掛けだと言いたくなる。明るさのなかに切なさを一滴だけ落とす。すると曲は、能天気な応援歌から、聴く人の心の機微に触れる歌へと変わる。楽しい時間が終わってほしくない。そういう感情を音そのものが描いている。だから、笑顔で歌っているはずなのに、少し泣きたくなる。

二人の歌い方も、その揺らぎを後押しする。声を張り上げて押し切るのではなく、肩の力を抜いて、語りかけるように旋律をなぞっていく。その自然体の歌い口が、励ましの言葉を上から投げかけるものではなく、隣で口にしてくれるもののように響かせる。だからこそ、サビに差した影が、他人事ではなく自分の感情として胸に届く。

都会派の職人たちが、爽快の裏に隠したもの

編曲を手がけたのは船山基紀。数えきれないヒット曲のサウンドを設計してきた、編曲という仕事の名手である。『フラワー』でも、ホーンの配置やリズムの跳ね方の一つひとつに、過不足のない判断がある。明るさを安っぽくせず、軽さのなかに芯を通す。聴き流せるほど自然でいて、よく聴くと隅々まで考え抜かれている。その手つきが、この曲の品を保っている。

コーラスの組み立てを担ったのは松下誠。シティポップやAORの世界で鳴らした、都会的な響きを知り尽くしたギタリストだ。サビで二人の声に重なるハーモニーには、夏の浮かれ気分だけではない、洗練された陰影がある。爽快なコーラスの奥に、ひんやりとした大人の手触りを忍ばせる。そのさじ加減が、『フラワー』の切なさをそっと深くしていた。

作詞・作曲のHΛLも見逃せない。同時期に浜崎あゆみにデジタルの手触りを与えたHΛLが、アイドルの夏の歌に、明るさと哀愁の同居させ、爽快なメロディの裏で、つかの間の感情を切なく鳴らす。それを思うと、『フラワー』の聴こえ方がまた変わってくる。

青空に滲む、ひとさじの陰

『フラワー』が今も色褪せないのは、明るさと切なさを器用に両立させたからではない。むしろ、両立しきれずに滲み出てしまう感情を、そのまま音に閉じ込めたからだと感じる。

楽しい夏は、いつか終わる。前を向こうとするほど、過ぎていく時間がいとおしくなる。誰もが知っているその気持ちを、この歌は明るい顔のまま抱きしめている。だから笑いながら歌えて、歌い終わると少し胸が痛む。青空の歌に一滴だけ落ちた陰が、27年経ったいまも、聴く人の夏を静かに揺らしている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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