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“最凶の悪役”から“ヤクザの組長”まで…“本物のすごみ”で魅せる「強面俳優」の新境地とは

  • 2026.6.26
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2003年11月、インタビューを受ける宇梶剛士(C)SANKEI

俳優の佇まいには、生まれ持った圧というものがある。宇梶剛士には、それが備わっている。長身で肩幅があり、声は低く、黙って立っているだけで画面の重心が傾く。本物のすごみだ。

ただ、宇梶のおもしろさはそこで終わらない。その圧を、あらゆる役でひょいと抜いてみせる。怖いはずの人が、いつのまにか笑いの中心にいる。すごみと無邪気が、一人の俳優の中で同居している。そのギャップこそが、宇梶剛士という人の魅力だ。

本物だからこその落差

まず、宇梶の圧が借り物ではないことから書いておきたい。2013年のTBS系『半沢直樹』で演じた東田満は、粉飾決算で会社を計画倒産させ、銀行から5億円をだまし取る西大阪スチールの社長だった。半沢(堺雅人)に追い詰められても容易には崩れない、ふてぶてしい悪役である。

あの低音と体格があるから、画面の緊張がぴんと張る。2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』では、清水宗治を演じている。秀吉の水攻めに屈せず、城兵の命と引き換えに自ら腹を切った武将だ。屈しない男、退かない男。宇梶が演じると、その重みに嘘がない。

若い頃にヤンチャだった過去はよく知られている。その来歴が、画面のすごみのどこかに通じているのかもしれない。ここで大事なのは、この圧が本物だから、抜いたときの落差が効くということだ。

最初から軽い人が軽く振る舞っても、ただ軽いだけ。重さを持った人が、その重さを自分でほどいてみせるから、笑いになる。宇梶の喜劇は、この本物の圧を土台にして立っている。

凄みがあっても腰が低い

その落差が最も鮮やかに出たのが、2009年のフジテレビ系『任侠ヘルパー』の二本橋賢吾だ。役どころはヤクザの組長。本来なら、すごみを存分に振るっていい立場である。ところが、二本橋は違う。ヤクザとは思えないほど温厚で、誰にも腰が低く、言葉遣いも丁寧。立場と振る舞いが正反対に振れている。

ここに、宇梶の芸の核がある。組長という設定のすごみと、本人がにじませる人の好さ。その二つを一人の中で同時に成立させるから、二本橋という人物が忘れがたくなる。怖いのか、優しいのか、観ているこちらが掴みかねる。その揺れが、おかしくて、愛おしい。

普通の俳優なら、組長は組長らしく凄んで終わる。宇梶はそこに丁寧なお辞儀を一つ足すだけで、役をまるごと別の生き物にしてしまう。すごみを持つ人だけが出せる、上品なおかしみだ。

強面がいちばん優しい父になる

抜いた圧が、家庭に着地することもある。2016年のTBS系『逃げるは恥だが役に立つ』で宇梶が演じたのは、みくり(新垣結衣)の父・森山栃男。娘を案じる人のいい父親役で、ここでは圧を完全に抜いている。

強面の人が、いちばん柔らかい顔で食卓に座っている。その意外さが、じんわりと温かい。

2022年のフジテレビ系『ナンバMG5』の難破勝は、もう一段ふざけている。元・千葉最強のヤンキーだった父親。かつての武勇を笑い話に変えてしまう、おかしくて憎めない父だ。

強面の俳優が父を演じると、たいていは威厳や怖さの方向に寄っていく。宇梶は逆をいく。怖い顔を持っているからこそ、それをほどいて笑わせたときの効き目が大きい。すごみは、優しさを引き立てる前振りとしても働く。そのことを、宇梶はよく分かっている。

凄みとコミカルのハイブリッド

圧と笑いが一つの役に同居した例だと、2010年から放送されたテレビ朝日系『仮面ライダーオーズ/OOO』の鴻上光生がある。鴻上ファウンデーションの会長という、いかにも重々しい肩書き。ところが、この人物、趣味はケーキ作りである。社員の誕生日も、仮面ライダーオーズの誕生も、あらゆる誕生を祝ってしまう。そのうえで「欲望こそ生きるエネルギー」と言い切る思想家でもある。

お祝い好きの茶目っ気と、底の知れない不気味さ。軽さと重さが、一人の人物の中で同時に鳴っている。これは難しい役だ。コミカルに寄せすぎれば軽い変人で終わり、不気味に寄せすぎればただの黒幕になる。宇梶は、その両方を一つの顔に乗せ、観る者を惹きつけたまま離さない。凄みとコミカルのハイブリッド、その到達点のような一役だった。

圧を出せない学校長

そして2026年、フジテレビ系のドラマ『GTO』で、宇梶は大久保安博を演じる。私立学園の学校長だ。この配役がいい。人の良さはにじむのに、決断力に欠けていて、職員室では教頭の中丸(近藤芳正)に主導権を握られてしまう。つまり、圧を持つ体躯の人が、肝心の場面で圧を発揮できない。

あれだけのすごみを備えた宇梶が、自分の学校の職員室で主導権を奪われている。その滑稽さは、宇梶でなければ出ない。小柄な俳優が頼りない校長を演じても、ただ頼りないだけ。立派な体躯の人がおどおどするから、おかしさが立ち上がる。

ちなみに宇梶は、1999年の映画版『GTO』にも工藤正史という別の役で出ている。同じ作品世界に、形を変えてまた帰ってきた格好だ。体格も声も本物のすごみを備えながら、それを無邪気に抜いて笑いに変える。怖がらせることもできる人が、自分から進んで笑われにいく。

その懐の深さこそが、宇梶剛士という俳優を見飽きさせない理由なのだろう。


※記事は執筆時点の情報です

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