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人生の最期に立ち会うきっかけは父との別れ…湯灌師が考える今こそ必要な「グリーフケア」

  • 2026.5.23

2008年、話題となった映画「おくりびと」。
そこにも登場する「湯灌師(ゆかんし)」という職業を知っていますか?

亡くなった人の遺体を入浴し、装束へのお着替えや死化粧を施す仕事です。

そこには単なる身支度だけではなく「現世の穢れを払い、清らかな姿で旅立ってもらう」という宗教的な意義や、ご遺族の悲しみをやわらげる意味も込められています。

ほぼ毎日ご遺体にふれる生死と向き合う職業。

しかしその重たさとは裏腹に、明るい表情でお話してくださったのが札幌にある葬送にまつわるさまざまなことに寄り添う会社「ネオ」で湯灌師として勤める中山朝美さんです。

中山さんが「湯灌師」として葬送の場に立つようになったきっかけから、誰もが直面する「お別れ」とその先の「未来」が見えてきます。

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連載|私のきっかけ

夢をつかんだ「きっかけ」、人生の決断をした「きっかけ」、そしてそんな「きっかけ」をつかむために大切にしてきたこと…。北海道で働くさまざまな人のインタビューを通じて、あなたの「明日へのきっかけ」のヒントをお届けします。

親友に「だまされて」湯灌師に!?

「きっかけも何も、この人にだまされたからですよ(笑)」

まず最初に笑いながら打ち明けてくれた中山さん。
「この人」と呼ぶのは、ネオの代表取締役、永木麻実子さんのことです。
実はおふたり、中学校時代からの親友同士。

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右が中山朝美さん、左がネオの代表であり、中山さんを「スカウト」した永木麻実子さん

札幌育ちの中山さんは、湯灌師になる以前は父親の営む解体業の会社で事務として働いていたそうです。
ところが結婚・出産を経た20代後半の頃、父親が癌に冒されてしまいます。

「実は若い頃は父のことがあんまり好きじゃなくて…。昭和の男の荒っぽい部分のある人だったので、あまり良好な関係とは言えなかったんです」

でも、病気になって闘病生活をしていくうちに父親へ抱く感情は変わっていきました。

『あのときは悪かったな』
『あの頃、楽しかったよな』

父親はそんな話を繰り返しするようになったといいます。

「隠していた本音を言うようになって。亡くなる前は仏のような人になっていたのを覚えています」

闘病もむなしく2年後の2009年、中山さんの父親は59歳という若さで旅立ってしまいます。
悲しみに暮れていた中山さんを癒やしてくれたのが、ご自宅にやってきた湯灌師の存在でした。

「お風呂に入れてくれただけでなく『一緒に死に化粧をしてあげたい』『大切にしていたギターや愛用していたグラスを棺桶に入れたい』といった要望の一つひとつを聞いてくれて、私たち遺族に寄り添う対応をしてくださったのが本当に心に残ったんです」

「だまされた!」から「こんなすばらしい仕事はない」

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一方の永木さんは湯灌を扱う会社での勤務を数年間経て、2009年にネオを立ち上げます。

「事務員として仕事を手伝って欲しい」と永木さんからの誘いを受けた中山さんが会社の扉を開けると、そこにいたのはなんと、かつて父親の見送りのときに寄り添ってくれたあの湯灌師でした。

「それで『ちょっと現場を手伝って』と言われてついていったら、いきなり湯灌のお手伝いをすることになったんです。『だまされた!』と思いましたよね(笑)。でも父が亡くなった当時のことを思い出してご遺族様と接してみると、『こんなにすばらしい仕事はない』と実感しました」

体力、丁寧さ、まごころ…すべてがそろうことで伝わる気持ち

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湯灌師になるには特別な資格は必要ありません。

しかし、ご遺体を運んだり湯灌用のバスタブを持ち込んだりと力も必要。
またご遺体にふれる際の丁寧さや所作の美しさ、ご遺族への言葉遣いなど、多くの技術と心づかいが必要となります。

「とにかくやさしく、揺らさない、乱暴に見えないようにするということ。例えばご遺体の手首にふれる場合は、正面から掴むと品が悪いですし、ご遺体が動いたように見えてご遺族が驚かれる場合もあります。ですから後ろ側から手を添えて、そっと持ち上げる必要があるんです」

さらには現場では常に冷静な判断をしているんです。

「湯灌に使う浴槽や棺はとても大きいですから、ご自宅に伺う場合は屋内を見た瞬間に搬入ルートを見極める必要があります。『あそこなら通れそうだな』とか『今回は窓から入れるか』などをすばやく判断することも、その後のご遺族さまと故人さまのお別れの時間をゆっくり持っていただくために必要だと思っています」

大変な仕事ばかりですが、ご遺族から涙を流しながらお礼の言葉をかけられたり、ときにはお手紙を受け取ったり…
アンケートで「本当に丁寧にしていただいて大満足です」って書かれていたこともあったといいます。

「心の中で思わずガッツポーズですよね。思いが通じたって感じがして。単なるお仕事以上の大きなものをいただくんです」と話す中山さん。

どんなときにも忘れないのはプロとしての意識と誇りです。

「特に私たちがいつも意識しているのは、故人様を自分の家族や大切な人のようにとらえ、まごころを持って接すること。その心でお仕事をすると、おのずとご遺族様に気持ちが伝わるものです」

永木さんも「『まごころ』は他のどの会社にも絶対に負けていない、日本一だという自信があります」とうなずきます。

24時間働きながら、シングルで長女を育てあげた創業期

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中山さん入社当時のメンバーは永木社長を入れてもわずか3名。
中山さんも永木社長も当時はシングルマザーでした。

葬送の現場は24時間365日のお仕事です。まだ幼い娘さんを子育てをしながら対応に当たるのは多忙な日々だったと振り返ります。

「はじめの3〜4年はいつでも現場に出動できるよう、休みの日でも常に黒い制服を着て生活していました(笑)。連絡がきたときは娘が寝静まったのを確認してからそっと出たり、近所に住んでいた母や親戚に預けたり」

永木社長とお互い子どもが同い年だったこともあり、『ちょっと代わりにお迎え行って!』とか『ばあばに預けてきて!』と、お互いに協力し合いながら子育てができて救われてきました。

一方で、働きづめのあまり娘さんにはいつも「申し訳ない」と後ろめたい思いを抱いていたそう。
しかし、そんな心境が救われるきっかけがありました。

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娘さんも今は26歳。2021年にはお孫さんも誕生したそうです

「小学生になった娘が、作文に『私の自慢のお母さん』というタイトルで、私が湯灌師という仕事をしていることが誇りだと書いてくれたんです。『いつもおじいちゃん(中山さんの父)のことを思い出しながら、一生懸命に向き合っているのが立派だ』って発表してくれて…」

ネオの現在の社員数は10人以上。
働くスタッフの8割は女性で現役子育て世代も多いといいます。
永木さんも中山さんも、昔のことを思い返しながら「おたがいさま」の気持ちで、働きやすい環境づくりを目指しています。

葬儀の簡略化がすすむ今だからこそ「グリーフケア」を大切に

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「多死社会」といわれる現代。
最近では葬儀の簡略化が進み湯灌をしないケースも増えているのだそう。

ただ、中山さんは「故人さまのためだけでなく残されたご遺族のためにこそ、湯灌は必要だと思っている」と話します。

亡くなられた方の中には日にちが経ってしまっていたり、苦しんだ表情をされていたりと、穏やかではない終わりを迎えるケースがあるのも現実…。

「そうした姿はときに、ご遺族様の心をより苦しめてしまうもの。故人様を生前のお姿に近づける、キレイにすることはもちろん、残された方々の悲しみが少しでもやわらいでくれたらという気持ちでやっています。それが『グリーフケア』になると思うんです」

私たちも、お風呂に入るときはなんとも安らいで気持ちよくなれますよね。
その「いい顔」を作ってあげたい、という気持ちなのだといいます。

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「湯灌でお風呂に入れた後に『気持ちよさそう』『この顔が見れただけで幸せ』って言ってもらえたときは、本当にギュッてなりますよ」

さらに、ネオでは北海道ではめずらしい「エンバーミング」のサービスにも力を入れています。
エンバーミングとは、ご遺体の血液と薬剤を入れ替える「遺体衛生保全」のこと。
葬儀まで時間がかかるケースなどが増えつつある今、ご遺体の生前の姿を保ち、ご遺族とのお別れの時間を安心して過ごせるように注目されている技術です。

そしてこれからに向けてネオが取り組んでいるのが、オリジナルの装束ブランド立ち上げです。

「装束は現世で最期に着る服なのに選択肢がない場合がほとんどです。故人様の最期をより美しく見せて、ご遺族の心に寄り添いたい」と中山さんと永木さんはそろって熱を込めます。

親友との「推し活」が生きがい!

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日々、生と死に向き合う重い仕事をしている中山さんですが、休みの日には思いっきり「推し活」を楽しんでいるのだそう。
なんと、その推しとは若手アイドルでも韓流スターでもなく、なんと演歌歌手・吉幾三さん。
永木社長と2人そろって年12回、ほぼ毎月全国のコンサートに行くほど熱烈なファンだそうです。

「3年前に幌加内の新そば祭りにゲストで来てくれたのを見に行ったら、生歌の力強さとステージトーク、熱い心意気みたいなものにすっかり惚れ込んでしまって。今じゃ2人で応援グッズを作って全国ツアーに回る“追っかけ”のようになっています(笑)」

中学からの同級生で、仕事も一緒、子育ても助け合い、「推し活」まで…
もしかして、365日一緒にいるのでは…と聞くと、2人同時に「かもね!」とうなずきます。

「今でも朝まで一緒に飲むこともありますし、お互い違うところにいるときもだいたい電話していますし…周りの人からは『よくそんなに喋ることあるね』と不思議がられます(笑)。仕事仲間でもあるし、親友でもあるし、家族でもある…なんと言えばいいんでしょうね」

終始生き生きしたパワーを感じるのは、もともとの2人の出会いと絆がきっかけになっているのかもしれません。

10年先、20年先はもっとパワフルな2人に!

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最後に、それぞれの考える「きっかけ」をつかむコツを聞いてみました。
すると顔を見合わせて「気にしないこと」と再び同時に答える2人。

「お互いにいやなことがあっても、次の瞬間には『まあいっしょ、気にしないどこ!』なんて切り替えるのが私たち。いつもワクワクできるか、楽しめるかを最優先に、悩まず行動することにしているんです」

中山さんがそう話すと永木さんも誇らしげに「互いにポジティブだし、パワフルだし、2人の力が足し算じゃなくてかけ算になってるのがウチらだよね!」と笑います。

悩んで足踏みするより、とりあえずやってみる。
それが2人でいることで2倍になり4倍になり…推進力になっていく。
2人が向き合っているのは「死」ではなく故人を通して残された人たちのこれからの「生きる」ことなのだと感じました。

「2人で考えるアイデアや、つらいときもお互いで乗り越える力がどんどんパワーアップしてるんです。毎週のように朝まで飲みながら話していますからね(笑)。だから、2人でいると年を取るのが怖くないですよ、むしろ楽しみです。10年先、20年先は、もっともっと強い2人になってるでしょうからね!」

連載|私のきっかけ

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文:太野垣陽介(シーズ)
編集:Sitakke編集部あい

※掲載の内容は取材時(2026年4月)の情報に基づきます。

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