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「後世に語り継がれるであろう」「実写化の最高峰」注目俳優が魅せた“怪物の色気”に賛辞の声【TBS・U-NEXTドラマ】

  • 2026.5.10

2026年春、TBSの2夜連続SPドラマとして幕を開け、U-NEXTで毎週配信をしてきた『ちるらん 新撰組鎮魂歌』が大きな話題を呼ぶなか、とりわけ注目を集めたのが綾野剛演じる芹沢鴨だ。凶暴さをただの“悪役”で終わらせず、色気を帯びる静けさの奥に孤独と矜持を潜めてみせる。SNS上では「実写化の最高峰」「後世に語り継がれるであろう演技」といった声も並ぶ。その賛辞が確かな手触りとして残る理由を探ってみたい。

※以下本文には放送内容が含まれます。

暴力が“色気”として立ち上がる瞬間

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綾野剛(C)SANKEI

芹沢鴨という人物は、描き方を間違えると途端に一辺倒になってしまう。乱暴で恐ろしく酒癖が強い、それ以上の情報が足されないまま、物語の都合で消費されてしまう可能性もあるからだ。
しかし綾野剛の芹沢は、まず“黙っている時間”から人間性が立ち上がっていく。煙草を燻らす手つき、目線の揺らし方、呼吸の間合い。そこで画面に生まれるのは、単なる不穏ではない。周囲の空気をじわりと変質させるような、重い静けさだ。

次の瞬間、場がひっくり返る。怒号や暴発によってではなく、切り替えの速さそのものによって支配が成立してしまう。怖いのは怒りの大きさではなく、その正確性と躊躇のなさ。それらが、ひどく魅惑的に映る瞬間がある。
暴力が色気を帯びるのは、倫理の外側へ踏み込む覚悟が、立ち姿から滲むからだろう。

SNS上の「実写化の最高峰」という言葉は、この“支配の質”への驚きに近いのではないか。派手な演技や誇張ではなく、むしろ余分を削った静けさが、芹沢を怪物にしている。

人格として昇華されるアクション

本作の殺陣は、見栄えの良さや段取りの巧さで語るにはもったいない。綾野演じる芹沢は、身体そのものが“この男のルール”を語っている。刀を振るう優雅な動きに宿るのは、技巧より先に来る重さだ。軽々と扱って見せるのと同時に、重さを重さのまま支配する。だからこそ一撃に“圧”がある。

さらに印象的なのは、戦い方が綺麗ではないことだ。侍の美学を尊ぶよりも、勝つこと、潰すこと、ねじ伏せることに最短で向かう。石や足技といった邪道さが混ざるほど、芹沢の思想が見えてくる。アクションが単なる見せ場ではなく、まるで性格の告白になっているかのようだ。

芹沢は、技で戦うのではなく、宿した殺意と矜持で戦う。その乱暴な純度が、観る側の身体感覚にまで届く。

“悪役”を越える多層性

綾野の芹沢が長く残るのは、暴力の強度だけではない。むしろ、暴力が静けさに戻ったあとに残るものがある。ふとした瞬間に見える、目の奥の虚無。人を寄せ付けない距離の取り方が、強さではなく孤独として立ち上がる。悪として片づけてしまえば楽なのに、そうできない余白がある。

この余白が、作品全体の重力を変える。芹沢が“宿敵としての格”を持つほど、彼に立ちはだかる側の正義もまた試される。芹沢が強いから物語が盛り上がるのではなく、芹沢の矜持が濃いから、周囲の人物も濃くならざるを得ない。群像が熱を帯びる理由が、ここにある。

そして、散り際。芹沢は哀れには終わらない。最後まで自分の形を崩さず、崩れそうな部分だけを、ほんの一瞬こちらに見せる。その一瞬が、観る側の倫理を揺らす。怖かったはずなのに、わずかに寂しい。許せないはずなのに、なぜか忘れがたい。そこに生まれる矛盾が、演技の強度なのだと思う。

綾野は芹沢鴨を、理解されなくていい存在としてではなく、理解したくなるほどの不穏として画面に残した。見届けたあと、少し遅れて言葉が、感情がやってくる。そんな演技だった。


ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X:@yuu_uu_