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「俺の稼ぎでやってきたのに文句言うな!お前とは離婚だ!」専業主婦の私を見下す夫…私「了解!」離婚後に元夫が泣きついてきたワケ

  • 2026.4.22

私は専業主婦で、夫と2人暮らし。1人息子はすでに独立しています。私は外で働く夫を支えることが自分の役目だと信じて、家のことはすべて引き受けてきました。

「来週の懇親会の店、予約しておいてくれ」

夕食の支度をしていた私に、夫は当然のようにそう言いました。手を洗うこともなく、コートも脱がないまま――それが、いつもの光景でした。

いつからか私は、家のことだけではなく、夫が外で安請け合いしてきた雑務まで引き受けるようになっていました。夫にとって私は、妻というより“後始末をする人”だったのだと思います。

幹事を引き受けてきた夫からの丸投げ

「6〜7人くらいだ。上司も来るから、ちゃんとした店を頼む」

そう言われても、参加者の好みやアレルギーについて尋ねると、「そんなの俺が知るわけないだろ」と返されるだけでした。

必要な情報は何ひとつないのに、「気の利いた店にしろ」とだけ言う。手配も連絡も、結局は全部私の役目でした。

「どうせ家にいるだけで暇だろ?」

その言葉に、私は何も返しませんでした。言い返すことをやめてから、もう何年も経っていました。

昨年、夫の上司の奥さまにあいさつしたとき、「主人はなかなか断るのが苦手な性格で……」「最近では健康のために揚げ物を控えて、野菜中心の食事にしているんです」と言われたことを思い出し、私は個室があり、負担の少ない和食店を選びました。

夫は何も知らなくても、店に着けば“気が利く”と評価される。そうやって私が裏で整えることが、いつの間にか当たり前になっていました。

20年分の積み重ね

予約を終えて一息つこうとしたタイミングで、今度は義母から電話がありました。

「膝が痛くてね、すぐ来てくれない?」

夕飯の買い出しなどもあったので予定があると伝えたのですが、「明日じゃ困る」と言われ、結局私は義母のもとへすぐに向かうことになりました。

病院への連絡、薬の確認、次回の通院予約。すべて終えて帰宅し、夫に伝えても返ってきたのは一言だけ。

「母さんのこと、これからもよろしくな」

そのとき、私はふと思い立って聞いてみました。

「お義母さんの通っている病院、知ってる?」
「飲んでいる薬は?」

予想通り、夫は答えられませんでした。

私はこれまで、子育て、義母の通院管理、地域の役員、引っ越しの手配、そして夫の仕事の裏方――すべてを1人で担ってきました。

別に感謝してほしくてやったことではありません。夫が仕事を頑張ってくれている分、私は私のできることをやろうと思っていたのです。

しかし、夫はいつからか私に向かってこう言うようになりました。

「俺の稼ぎでお前を養ってやってるんだからな」

「お前は俺にしっかり感謝しろよ」

夫は近くにいるはずなのに、その言葉だけが妙によそよそしく聞こえました。私がしてきたことは、夫の中では“いて当然の人間が勝手にやること”に変わっていたのでしょう。

裏切りの発覚

そのころの夫は、家のことは相変わらず私任せなのに、妙に機嫌のいい日と不機嫌な日を繰り返していました。こちらを見下すような言い方も前より露骨になっていて、私が何も言い返さないのを確かめているようにも見えました。今思えば夫は、自分から私を切るつもりではいても、私のほうが本気で離れていくとは一度も想像していなかったのだと思います。

それから数カ月後――。夫は改まった様子で話を切り出しました。

「実は、職場の女性と付き合っている。お前とはもう終わりにしたい」

言いにくそうにしているというより、どこか開き直ったような口ぶりでした。話し合いではなく、あくまで自分の都合を押し通すための通告でした。夫は、自分が私を切る側で終わるつもりだったのでしょう。まさか私のほうが冷静に離婚を受け入れ、きちんと手続きを進めようとするとは思っていなかったのだと思います。

「……そう」

夫は拍子抜けしたような顔をしました。


「……それだけか?」

帰りの遅い夜が増えていたことも、私への当たりが強くなっていたことも、気づいていなかったわけではありませんでした。

「俺の稼ぎで生きてきたくせに、偉そうに文句は言うなよ!もう離婚だ!」

そう言われ、私は静かに答えました。

「了解!」

そう言うと、夫は「え?」と戸惑った様子でした。

「何を驚いてるの。離婚するなら、順番に整理するだけよ。こちらは弁護士に相談するつもりだから、必要ならそちらも準備しておいて」

「べ、弁護士……? そんな大げさなもの」

「大げさじゃないわ。離婚届を出して終わり、という話ではないでしょう。財産のこともあるし、必要なことはきちんと整理しないと」

「慰謝料がかかるかもしれないことはわかる。でも、財産まで分けることになるのか……?」

「不貞を裏づけるものがあれば、その点も含めて相談することになると思う」

夫の顔色が変わりました。夫はそこで初めて、離婚届を出せば終わりだと思っていた自分の甘さに気づいたようでした。

「でも20年も養ってきたんだぞ」と言いかけて、言葉が止まります。

「こっちだって20年支えてきたのよ。裏切られて、何もなかったことにはできないわ」

浮気が気になり始めたころ、確信があったわけではありませんでした。ただ、万一に備えて自治体の無料相談窓口や、離婚に関する基本的なことだけは調べていました。何もできないまま不安だけ抱えているのが嫌だったのです。


夫が言うところの“家にいるだけ”の時間で、私は少しずつ準備を進めていました。夫は、私が泣いてすがるか、せいぜい感情的に怒るくらいに思っていたのでしょう。まさか私が、離婚後の生活や手続きまで見据えて動いているとは考えていなかったようでした。


夫は、私を失うことそのものではなく、私が担っていたものを失うことを最後まで理解していなかったのだと思います。

いなくなって初めて見えたもの

離婚についての話し合いを進める前に、私は長年暮らした家を出ました。しかし別居後すぐに、夫からこんな電話がかかってきたのです。

「ごみの日っていつだ?」

思わず言葉を失いました。夫は長年住んでいた家のこと、地域のことを、何ひとつ把握していなかったのです。

しかも、それで終わりではありませんでした。義母の通院日はいつか。保険証の控えはどこにあるのか。町内会費はどうしていたのか。夫からの連絡は、その後もしばらく続きました。どれも、これまで私が黙って回していたことばかりでした。

後日、親しくしていたご近所さんから「あなたの旦那さん、うちにごみの日を聞きに来たわよ」と連絡が。迷惑をかけて申し訳ないと謝る私に、彼女は「気にしなくていいの! 離婚するんでしょ? もし力になれることがあったら言ってね」と明るく声をかけてくれました。

その言葉を聞いて、胸の奥に張りつめていたものが、少しだけほどけていくのを感じました。私が今までしてきたことは、誰にも気づかれない無意味な労力ではなかったのだと思えたのです。

義母との別れ、そして夫が失ったもの

しばらくして、義母――もうすぐ元義母になる人からも連絡がありました。

「うちの息子と離婚して……これからどうするの?」

「私のことは気になさらないでください」

「お義母さんの今後のことは、息子さんと一緒に、地域の相談窓口や医療機関と相談しながら決めていくのがいいと思います」

元義母は私に無理を言うところはありましたが、それでも私のことを気遣ってくれる人でした。

「あなたのこと、娘のように思っていたのに……」

そう言われたとき、少しだけ胸が痛みました。元義母からそんな言葉を聞いたのは初めてでした。

「今まで、お世話になりました。これからはそれぞれで考えていきましょう」

そう伝えて、私は電話を切りました。

その後――。

弁護士に相談しながら話し合いを進め、離婚は成立。財産分与を受け取り、不貞に関することについても整理がつきました。私は長年暮らした街を離れ、新しい土地で暮らし始めました。

離婚後しばらくして、元義母から一度だけ電話がありました。そのとき、「あの子も結局、思うようにはいかなかったみたいでね」と、ぽつりと言われたのです。私は詳しく聞きませんでした。ただ、そのあと夫からかかってきた電話で、十分すぎるほどわかりました。

それからしばらくして、夫から再び連絡がありました。

「家のことも母さんのことも、仕事が忙しくて無理なんだ」

「お前だって仕事が見つからなくて大変だろ? 金なら払うからやってくれよ」

私は静かに答えました。

「もう遠くへ引っ越したし、新しい仕事も決まったから」

私はご近所さんから教えてもらった仕事に応募し、在宅でできる業務を始めていました。一人で暮らしていくには十分な収入があります。採用されたことをご近所さんに伝えたときに、「あなたなら大丈夫だと思っていたわよ!」と言ってもらえたことが、何よりうれしかったのを覚えています。

さらに、遠くで働いている一人息子も「事情はわかった」「もし何かあったら僕を頼ってね」と言ってくれています。

「母さんがずっと頑張ってきたこと、僕は知ってるから」

その言葉を聞いたとき、目頭が熱くなりました。

今の生活は、とても静かです。誰かに振り回されることも、気を張り続けることもありません。離婚して初めて、自分がどれほど多くのものを背負わされていたのかを知りました。そして夫もまた、私一人を失ったのではなく、私が担っていた生活そのものを失ったのだと思います。

自分のためだけに時間を使える生活が、こんなにも穏やかなものだなんて知りませんでした。これからは、誰かの都合に合わせて自分を削るのではなく、自分自身を大切にして生きていこうと思っています。

【取材時期:2026年3月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

ベビーカレンダー編集部

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