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小泉今日子の一言で運命が一変…デザイナー安野ともこ(67)が振り返る、激動の30代〈スタイリスト転身→2度の結婚→激動の出産へ…〉

  • 2026.4.22
左:安野ともこさん、右:近田春夫さん。

ミュージシャンとしてのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて親交を重ね、交遊してきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズ「おんな友達との会話」。

5人目のゲストは、安野ともこさん。小泉今日子さん、役所広司さんをはじめとする錚々たるビッグネームのスタイリストを務め、現在はジュエリーブランド「CASUCA(カスカ)」のディレクションを手がける彼女の幅広い活躍の軌跡を追う。


近田春夫プロデュースでシングルデビュー!

安野ともこさん。

近田 こぐれひでこさんの主宰したアパレルブランド「2CV(ドゥーシーヴォー)」に勤めていた頃のさまざまなつながりが、その後の安野を新しい道へと導くわけだよね。

安野 ええ。こぐれひでこ・小暮徹夫妻の代官山のご自宅では、秋山道男さんとも知り合いました。

近田 秋山っていうのは、何でも屋みたいな不思議なやつだよね。俺、あいつが若松孝二監督のピンク映画に俳優として駆り出されていた1970年代初めから知り合いでさ。その頃は全然金に縁のない男だったから、無印良品やチェッカーズなどの総合プロデュースで名を揚げ、急に羽振りが良くなった時は、意外に感じたもんだよ(笑)。

安野 その秋山さんに、私はちょこちょこモデルを頼まれていたんですよ。当時、秋山さんが編集長を務めていた西友のPR誌「青春評判ブック」なんかに出てます。

近田 「青春評判ブック」の前身は、「熱中なんでもブック」。そのリニューアルを記念して、1984年に、安野は「フラワー」というドーナツ盤をリリースしたんだよね。

幻の「フラワー」。

安野 ええ。その作編曲を手がけ、サウンドプロデューサーを務めてくださったのが、他でもない近田春夫さんでした。

近田 あのシングルはさ、西友が制作したインディーズ盤で、西武グループの店舗でしか扱ってなかったから、1,000枚限定のリリースだったんだよ。

安野 だから、今、すごく高いらしいですよ。中古レコード店では、1万円ぐらいの値が付けられてるって。

近田 俺、持ってねえや。取っときゃよかった。惜しいことしたわ(笑)。あの頃、安野っていくつだったの?

細野晴臣がプロデュースする“日曜歌手”

近田春夫さん。

安野 25歳ですね。その後、歌手としては、ポニーキャニオンからメジャーデビューを果たし、「ラ・ミューズィック・エキゾティク」「Mystérieux」という2枚のシングルを発表しました。といっても、あくまでも本業は会社員だから、秋山さんのネーミングで「日曜歌手」と名乗っていたんですが。

近田 ももいろクローバーの「週末ヒロイン」に四半世紀先がけてたよ(笑)。副業とはいえ、YMO解散から間もない細野(晴臣)さんが作編曲とサウンドプロデュースを行っていたわけだから、贅沢なプロジェクトだったよね。

安野 ええ。素人だというのに、貴重な経験をさせていただきました。

近田 そして、1985年に2CVが解散した後は、秋山のところで働くことになる。

安野 ええ、秋山道男さんの事務所「秋山計画」に誘われて、転がり込むんです。

近田 秋山の下では、どんな仕事をしてたの?

安野 いろいろやってましたね。プランナーとしては、商品のネーミングに関わったり。1985年、名古屋の栄に「ダンスホール」っていうディスコがオープンしたんですが、あの名前は、私がつけたんです。ダンスホールって、普通はソシアルダンスなんかの会場に使う名前だけど、ディスコだってダンスなんだからいいじゃないって。

近田 あれ、安野の仕事だったんだ。いいセンスしてるよ。

安野 それから、コラムニストとして、いろんな雑誌に連載を持ってました。マガジンハウス、角川書店、NHK出版、JICC出版局(現・宝島社)……、たくさんの出版社と仕事をしましたね。

近田 テーマとしては、何について執筆してたの?

安野 演劇だったりデザートだったり、頼まれるままに書いてました。

“あるきっかけ”で小泉今日子のスタイリングを手がけ…

近田 もともと、日記つけたり作文書いたりとか、そういうのは好きだったわけ?

安野 いや、全然。

近田 よく引き受けたね(笑)。

安野 秋山さんが強引だったんですよ。「私、何もできないんです。すみません」って言うと、「何もできないってことは、何でもやれるってことなんだよ」って。

近田 あいつがこねそうな理屈だよ(笑)。その頃の秋山といえば、キョンちゃん、小泉今日子のイメージチェンジ戦略でも名を馳せたよね。

安野 秋山さん本人が、小泉さんの所属事務所であるバーニングプロダクションに熱烈なラブレターをしたためたんです。「僕が小泉今日子の魅力化計画をします」って。

「なんでも引き受けていた」と安野さん。

近田 その意欲がバーニングに買われ、キョンちゃんは、「活人」というグラフ誌の表紙に全身黒塗りのビキニ姿で登場したり、『小泉記念鑑』という写真集では魚拓ならぬ人拓を取ったりと、センセーショナルな話題を振りまくことになった。

安野 その後、秋山さんの仕事のとあるきっかけから、私が小泉さんのスタイリングを手がけることになるんです。

近田 とあるきっかけって?

安野 小泉さんが出演したコマーシャルで、相手役を務めたんです。といっても、彼女の友達という設定の私は、画面には映らずフレームから彼女と話していただけなんですけど。その時の小泉さんが着る洋服は、衣装然としたものよりも普段着っぽい方がいいってことで、私が集めてくることになったんです。

近田 それが、スタイリスト・安野ともこのスタートになったんだ。

安野 その衣装のことがきっかけで小泉さんから、次もやってほしいという依頼をいただいて。「私、スタイリストじゃないんですけどいいんですか」と確かめたら、「大丈夫です。お願いすればスタイリストってことになるんで」みたいなことを言ってくださって。

近田 まあ、免許や資格の要る仕事じゃないもんね(笑)。

「僕もスタイリストのアシスタントだったことがある」

安野 何の経験も修業もしてないし、スタイリストの作業を見てきたわけでもないから、どんな仕事なのかも皆目分からない。最初は、現場に携帯用の裁縫道具を持っていくことぐらいしかできなくて。

近田 どうやって仕事を覚えたの?

安野 手探りで何とかやっていくうちに依頼が増えて、アシスタントを雇うようになったんですが、フリーのアシスタントは、他のスタイリストにも付いているから、その子たちに、スタイリストの具体的な仕事について教えてもらったんです。

近田 師匠なのに、弟子からやり方を教わったんだ(笑)。

スタイリストとしても一時代を築いた。

安野 その後、スタイリングの仕事が軌道に乗り、30代からはずっとスタイリスト一本でやっていくことになりました。

近田 実は、俺もスタイリスト見習いをやってたことがあるのよ。

安野 そうだったんですか!

近田 俺、大学に入りたての頃、「anan」のスタッフに採用されたんだけど、そこで任されたのが、スタイリストのアシスタントだったのよ。当時の「anan」は「ELLE」の日本版という位置付けだったから、スタイリストはフランス語で「スチリスト」と呼ばれてたけどね。まあ、雑用みたいなもんで、TOTOから撮影用小道具の便器を飛び込みで借りてきたり、いろいろやりましたよ。

安野 世の中の想像するスタイリスト像とは違いますね(笑)。

近田 初期の「anan」は、結構アヴァンギャルドなところのある雑誌だったから。ずいぶん冒険的だったよね。

安野 私、さすがに便器を調達したことはないなあ(笑)。

最初の結婚に至った驚くべき経緯

近田 さて、どんどん多忙になる中、安野のプライベートはどんな具合だったの?

安野 私生活では、31歳で最初の結婚をしてるんですよ。

近田 そうだったんだ。相手はどんな人?

安野 キョンちゃんと一緒にやってたCMの制作プロダクションにいた男の子で、7歳年下でした。ずっと年上の大人とばかり交わってきたから、年下なのにキビキビしていて物おじしない感じが新鮮で、そこに惹かれたという部分はあったと思う。何しろ、私の言うことにいちいち感激してくれましたから。

結婚についても赤裸々に。

近田 具体的に、結婚を決意したタイミングはあったの?

安野 天使が見えたんですよ。

近田 ……えっ、今何て言った?

安野 その人が、私の部屋に遊びに来て、プロポーズみたいなニュアンスのことを言って帰った後、「私、彼と結婚するのがいいのかなあ……」と思った瞬間、急に目の前に足の裏が見えたんですよ。

近田 ちょっと待って、足の裏?

安野 「何これ、もっとしっかり確かめたい」と思ったら、自分の身体が一気にガーッと後ろに引っ張られたんです。

近田 本当に?

安野 夢じゃないんですよ。3人の天使が、空飛ぶ格好で手を繋いで輪になってくるくる回ってて。その足の裏が最初に見えたんです。幻かもしれないけど。

近田 にわかには信じられないよ。もしかして酔っ払ってたんじゃないの?

安野 いや、酔っ払ってない。しかも、鐘の音まで聞こえてきましたから。

近田 すごいな。とりあえず真に受けておくとしようか(笑)。

安野 これは結婚しろという意味だなと解釈し、籍を入れるに至ったんです。結婚式は派手にやろうと盛り上がって(笑)、軽井沢の教会で、キャデラックのオープンカーに空き缶を結びつけてガラガラ引きずりました。式にわざわざキョンちゃんも来てくれて本当に感謝でした。

近田 でも、結局離婚しちゃったんだよね。

足の裏はいい予兆ではなかった…!?

安野 やっぱり、瞬く間にどんどんジェネレーションギャップが広がっていって、仕事でのキャリアの違いもあって、残念ながら気持ちが離れていっちゃったんです。

近田 その年代での7歳差ってのは、大きかったのかな。

安野 ひでこさんには、「最初に見えたのが足の裏だったのがよくなかったんだよ(笑)」と言われました。

近田 言われてみりゃ、あんまり縁起のいい予兆じゃなかったかもね。他人に足の裏を見せるのは失礼だって考え方もあるしさ。

天使を見た人。

安野 キョンちゃんのラジオ番組にゲストとして呼ばれた時には、「この人、天使を見た人だから」って紹介されたりして(笑)。

近田 まあ、珍しいよね(笑)。

安野 前の夫と上手くいかなくなっていた時期に、現在の夫と出会うんです。

近田 それが、フォトグラファーの伊島薫君ですね。

安野 その頃、女優が死体を演じるファッション写真「連続女優殺人事件」というページがあって、その第1回が小泉さん。

近田 人生の転機に、たいがいキョンちゃんが絡んでくるねえ。

激動の再婚→出産

安野 それを機に、その企画のみならず、「Zyappu」のスタイルページと連載も私が受け持つことになって、彼との距離が縮まっていったんです。そして、お互いに「これはもしかして……」と感じるようになった。

近田 でも、その時はまだどちらも別の相手と結婚してたんでしょ。

安野 ええ。普通にそれぞれの家庭の話もしてたんですけど、どちらも当時の環境に違和感を抱いていて、これはもう突っ走るしかないねという感じになっちゃって……。

近田 一緒になることを決めたんだ。最初の結婚生活は都合何年続いたの?

安野 4年かな。実質的に、一緒に暮らしたのは2年。私の方は、その後すぐに離婚に至ったんですが、伊島の側は、時間がかかり、なかなか話が進みませんでした。

近田 そこは、まあ難しいところだよね。

濃いお話をしてくれた安野さん。

安野 そして、そうこうしているうちに、彼との間に2人の子どもを授かりました。1995年に息子、1997年には娘が生まれました。だから、子どもたちは、ずっと安野姓を名乗っていたんです。

近田 もともと子どもが欲しいという願望はあったの?

安野 不思議なもので、伊島と出会うまでは、一度も子どもが欲しいと思ったことがなくて、最初の夫にもそう断言していたぐらいなんですよ。でも、伊島も私も、2人の子どもがどうしても見てみたくなっちゃって。

近田 結局、伊島君と正式に結婚したのはいつ?

安野 2006年のことでした。

近田 その時、天使の足の裏は見えた?

安野 二度目は出ませんでしたね(笑)。

安野ともこ(やすの・ともこ)

1959年、埼玉県生まれ。高校卒業後、西武百貨店勤務を経て、こぐれひでこ氏が主宰するアパレルブランド「2CV」に入社。同社解散後、モデルやシンガーとして活動。以降、フリーのコラムニスト、ライター、プランナーなどを務め、小泉今日子との出会いをきっかけに、スタイリストに転身する。1994年には、スタイリスト事務所「CORAZON」を設立し、衣装デザインにも進出する。2007年、ジュエリーブランド「CASUCA」を立ち上げ、現在、目黒で実店舗「CASUCA HISTORIA」を展開。6月7日(日)から上演される「PARCO PRODUCE 2026 カッコーの巣の上で」では衣装を担当。
Instagram @yasunotomoko

近田春夫(ちかだ・はるお)

1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。
X @ChikadaHaruo

文=下井草 秀
写真=平松市聖

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