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大阪・松屋町の東が“カミがかった街”になった理由は? 河合郁人&福井治人アナがかつて一大ブームを巻き起こした「赤本」の正体に迫る!

  • 2026.4.11
©️ABCテレビ

大阪市中央区松屋町筋の東には、紙に関する会社が集まっている。おもちゃの問屋街として知られる街が、なぜ“カミがかっている”のか? かつて一大ブームを巻き起こしたという「赤本」、その火付け役になった天才の正体に、河合郁人とABCテレビの福井治人アナウンサーが迫った。

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大阪市中央区松屋町は、おもちゃの問屋街、人形の街として知られる。松屋町は「なんでやねん!?」のレギュラーになって初めてロケをした記念すべき場所という河合は、「めちゃくちゃ懐かしい」「今日は初心に戻って100点を取る」と意気込んだ。

©️ABCテレビ

“カミがかった街”のカミとは、神? それとも髪? 推理を巡らしながら松屋町筋の東側を調査し始めた河合と福井アナは、社名に「紙」が付く会社を3軒連続で発見!他にも印刷屋さんなど紙にまつわる会社が次々と現れ、紙を加工する工場で話を聞くと、かつてこの辺りにはもっと多くの紙関連会社があったという証言が得られた。

続いて「桃園(とうえん)公園」を訪れ、二宮金次郎像を見つけた二人は、ここが桃園小学校の跡地であること、さらに近くの小学校を訪れ、この辺りにはかつて4つの小学校があったことを確認。学校が多かったため紙や印刷物が沢山必要になったと推理したが、歴史探訪プランナー森なおみさんに、「印刷屋さんが多いことと学校は関係ありません!」と否定されてしまった。

森さんいわく、松屋町の東側周辺は「上町台地」の一角に位置し、風通しがよくインクがすぐに乾くため、「とても印刷に適した場所と言われている」とのこと。そして松屋町筋の東側に印刷屋さんが多かった最大の理由は、かつて「あるもの」を大量に印刷する必要があったからだと説明。その「あるもの」とは「日本が世界に誇る文化」だとヒントをくれた。

そこで再び調査を開始した河合と福井アナは、二宮金次郎像があった桃園公園の隣に、小説家・直木三十五の記念館があることを発見。「南国太平記」などの作品で知られ、新人作家の登竜門「直木賞」にその名を残す直木三十五は、桃園小学校の出身で、この辺りに住んでいたという証言から、河合は「日本が世界に誇る文化」に直木賞が関係しているのではと予想した。

さらに聞き込み調査を進めた二人は、空掘商店街の紙雑貨の店でこの辺りには「お寺さんが多かった。お寺さんはお経とかで紙を使うことも多い」という証言を得るも、印刷業とは時代が合わないことなどからこの方向性はないと判断。最終的に「日本が世界に誇る文化とは小説」と予想し、森さんとの答え合わせに臨んだ。

©️ABCテレビ

河合と福井アナの推理の結果は、100点満点中、まさかの0点! 二人を絶版漫画を扱う古本屋さんに案内した森さんは、日本が世界に誇る文化の原点とも言うべきものとして「赤本」を見せ、「これがかつて一大ブームを巻き起こした」と解説した。

「赤本」とは戦後間もない頃、粗悪な紙で作られ、表紙に赤色を多用したマンガ本のこと。当時、正規の書店では扱われず、主にオモチャ屋さんで売られていた。つまり松屋町筋で売られていた「赤本」を作っていたのが東側にあった紙屋さん。戦後の資材不足でまともな本が出版されない中、印刷屋さんで余った用紙や粗悪な紙を使って安価で製本したのだとか。

赤本マンガは庶民の間で大流行したが、その火付け役となった漫画家があの手塚治虫。森さんいわく、当時大阪大学の医学部生だった手塚は原稿を持って松屋町の出版社に通っていたとのこと。

手塚はデビュー作の「新宝島」を出版し、約40万部の大ヒット。それをきっかけに赤本ブームが起こり、松屋町界隈には10数軒の出版社がひしめき合い、それに伴って印刷会社が激増したという。

なお、大阪・松屋町の東側にまつわる一連の謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井×河合のなんでやねん!?」4月7日放送回で紹介された。

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