1. トップ
  2. 恋愛
  3. 【ロングインタビュー】テレビ局員・マンガ家 真船佳奈さん「テレビとマンガの共通点は人を笑顔にできること」

【ロングインタビュー】テレビ局員・マンガ家 真船佳奈さん「テレビとマンガの共通点は人を笑顔にできること」

  • 2026.4.7

テレビ局の社員として働きながらマンガ家として精力的に活動し、4歳になる男の子のママでもある真船佳奈さん。はじめての子連れのお出掛け、ママ友とのお付き合い、ワンオペ育児など、自らの子育て体験を描いた笑いあり、涙ありのエッセイマンガ『正しいお母さんってなんですか!?』(幻冬舎)は、たくさんのママパパの共感を呼びました。バイタリティあふれる真船さんの原点とは。

【ロングインタビュー】テレビ局員・マンガ家 真船佳奈さん「テレビとマンガの共通点は人を笑顔にできること」の画像1

「こうすべき」に縛られず 伸び伸びとした子ども時代

――幼い頃の思い出は?

いつも七つ道具バッグっていうのを持ち歩いていたんです。なんだかすでにテレビ局のADみたいなんですけれど、ハサミやセロハンテープ、ペンなんかをかばんに詰めて、外遊びのときにも持っていて。黙々と工作したり、欲しかったおもちゃを見よう見まねで作ったり、公園で摘んできた草でわらじを作ったりしていました。

3歳上に姉がいるのですが、かわいいものやプリンセスが大好きな女の子らしい姉に対し、私は正反対というか、母からすると「なんだか独特な子が生まれたな」という感じだったかもしれませんね。

――絵を描くことも子どもの頃から好きだったそうですね。

誰に言われたわけでもなく自然とやっていたんですが、小学校に入ったばかりの頃から授業のノートは絵でとっていたんです。テストのときも裏側に絵を描いていて。

先生のお話や授業の内容を基にして即興でストーリーを組み立てて、それを絵やマンガみたいにするんです。そのほうが覚えやすいというのもありましたが、それよりも「字じゃなくてマンガにしたほうがもっと面白くなるはず」って、幼いなりにいかに楽しむかを考えていたような気がします。

――大人には叱られてしまいそうですが。

それが、注意するどころか絵に花丸をくれるような先生たちばかりだったんです。「ノートは字で書かなきゃダメ」って、早いうちに言われていたらさすがにやめていたと思うのですが、誰からもとがめられたことがなくて。「絵を描くと、みんなが喜んでくれるんだ!」という感覚でした。

――理解のある先生方だったのですね。

私は勉強ができるタイプではなかったんですけれど、絵ばかり描いていても否定されずに受け入れてもらえる雰囲気があったんだな、と。本当にありがたいですね。

父は中学校で国語の教師をしていたのですが、私が中学時代に教わった理科の先生が父に「当時の娘さんのノートです」と、見せてくれたことがあったそうなんです。「素晴らしかったので、娘さんにお願いして一冊もらったんですよ」って。そのノートも、理科の勉強の内容をマンガで描いてあったそうです。

――お母さまは、何もおっしゃらなかったのでしょうか。

母も何も言いませんでした。むしろ「習わせてあげたい」って、絵画教室に通わせてくれたんです。でも、最初に行った教室で好きにリンゴの絵を描いたら、先生に「あっ、違う、違う。リンゴは赤でしょう?」って、直されてしまったんです。そうしたら母が「ここじゃなくて、違う教室に行こう」って言ってくれて、自由に描かせてくれる教室に通うようになりました。今思うと、上手に描けるようになることよりも「絵が好き」という気持ちを伸ばそうとしてくれていたのかなって思います。

――お父さまは学校の先生だったということで、なんとなく厳格なイメージがありますが。

父親は教師ですけれど、厳しいところはありませんでしたね。それどころかうちの家族は普段からふざけてばかりで、みんなおしゃべりなんですよ。誰かしらが変なことを言ったり、思いついたことを好き好きに話したり、全員が同時にしゃべっていることもざらなんです。夫と一緒に実家に帰ったとき、夫がびっくりしていました。「なんでみんなが違うことをしゃべっているの?」って。

――賑やかなおうちだったのですね。

本当に。全員が漫談しているみたいな家庭です。みんな自分の話を聞いてもらいたいんだけれど、ウケる話をしないと注意を引きつけられないものだから、普段から面白エピソードをためておくといった感じで。今の私の原点なんでしょうね。「オチがない話をしては申し訳ない。絶対に笑わせなきゃ!」みたいなマインドは、そのまま今につながっています。

うちの家族はケンカもしましたけれど、いつも誰かが面白いことを言って、つい笑っちゃってそれで仲直り。落ち込むようなことがあっても、笑えば気持ちが元気になる。「笑いって、人を救うんだな」ということはすごく感じていて、最強の回復法なんだって肌で感じてきました。楽しませたい、笑わせたいとうずうずしてしまうのは、あの家庭で育ったからなんでしょうね。

――福島県で生まれ育って、中学卒業後は東京の高校に進学したそうですね。

両親はお金は一円も遺さないけれど、子どもの教育ややりたいことには全力投球するという考えだったんです。当時の地元では珍しかったんですけれど、姉も私も県外受験をして東京の高校に入りました。母の実家は東京なんですが、私が高校に入学するタイミングで母も上京して、祖母の家で一緒に暮らしていました。そこから父はずっとひとり暮らしをしているんです。よそから見たらちょっと気まずい感じに見えているかもしれないんですけれど、そんなことはなくて、離れていても仲はいいんです。でも、娘たちの教育のためとはいえ、早くから子どもと離れて暮らすなんて寂しかったんじゃないかなって思うんですけれどね。

テレビ業界を目指したのは 人を楽しませたかったから

【ロングインタビュー】テレビ局員・マンガ家 真船佳奈さん「テレビとマンガの共通点は人を笑顔にできること」の画像2

――大学は文学部で国文学を学んでいたそうですね。絵の道に進むことは考えなかったのでしょうか。

高校生になってからも絵を描くことは好きで、美術のクラスを取ったりはしていましたが、周りと比べると上手じゃなかったんですよ。絵で食べていったり、マンガ家になるなんておこがましくて夢にも思わないし、自分の将来の選択肢には入っていなかったんです。

――大学に入学した頃、将来はどのような仕事をしたいと思っていましたか?

当時は父と同じように国語の先生になりたかったんです。母も専業主婦でしたが、国語の教員免許を持っていて、両親ともに文学や本が好きで。それもあって、小さい頃から両親にはたくさん絵本を読んでもらっていたんです。

――好きだった絵本は?

たくさんありますけれど、かこさとしさんの絵本が好きでした。特にお気に入りだったのは『たべもののたび』(かこさとし/童心社)ですね。食べたものが体に入ってからどうなっていくかというお話で、お行儀がよくないかもしれないんですけれど、その絵本を見ながらごはんを食べるのが好きだったんです。「今、口に入れたものが、体のこのあたりを通っているのかな」なんて考えながら。

当時読んでいた絵本を母はずっと持っていてくれて、今、私の子どもに読んでいるんです。息子もすっかりお気に入りです。かこさとしさんの『どろぼうがっこう』(偕成社)に「『へーい。』『ほーい。』『わかりやしたー。』」というセリフがあるんですが、読みながら親子三代で盛り上がっています。

自分が幼い頃に両親に絵本を読んでもらって、すごく嬉しかった記憶が残っているので、私も息子に読んであげたくなっちゃって。絵本はたくさん集めているんです。

――学校の先生から方向転換してテレビ業界を目指したのは、どうしてだったのでしょう。

それが私、大学でけっこう遊んでしまっていたので「誰かにものを教えられる立場じゃないよな」と(笑)。就職活動では漠然と「人を楽しませたり、元気にする仕事をしたい」と思って、マスコミ業界を目指したんです。

ちょうどその頃、一般人が参加するトークバラエティ番組に出演する機会があったんです。そこで一気にテレビ業界に興味を持つようになりました。プロの芸人さんをブッキングして、撮影中のトークはあますことなく放送していいぐらいに盛り上がって面白いのにさらに厳選して、照明や美術、撮影とか、いろいろなプロフェッショナルたちが結集して「面白い」を発信する。「テレビの現場って、なんて楽しくて贅沢なんだろう!」と思ったんです。

――大学を卒業して晴れてテレビ東京に入社しました。真船さんの新人AD時代のエピソードを基にしたマンガ家デビュー作では、多忙なテレビマンライフが描かれています。

あこがれていたテレビの世界になんとか入れたものの、肩にセーターを巻いてサングラスをかけて、椅子に座って「はい、キュー!」みたいな感じでは全くなかったです(笑)。それこそAD時代は番組で急遽使うことになった数百個の燭台を東京中探し回ったりとか、世界中に住んでいる仙人の情報をひたすらリサーチしたりとか、とんでもない仕事ばかりで。本当に何でもやっていました。

――思い描いていた仕事像とギャップもあったのでは。

若手あるあるかもしれないんですけれど、「テレビ局に入ったし、自分、最強かも!」って思っていたのに、ちっとも最強ではないし、自分は特別じゃないっていうことに早々に気づいてしまって。最初のうちは大きな仕事を任せてもらえないし、「自分には向いていない、もう辞めたい」って、しょっちゅう思っていました。

それでも音楽番組を担当していたとき、番組の中の1コーナーを任せてもらったことがあったんです。何もない真っ白なスタジオをアーティストや楽曲の世界観に合わせて演出するんですが、これがすごく得意だったんです。周りからの評判も良くて、そのコーナーだけは伝説のディレクターみたいになって。「こんな自分でも輝けるんだ!」と思える場所を持つことができ、やっと仕事が楽しく感じられるようになりました。

振り返ってみると、子どものときに夢中になっていた工作の世界に近い感じがするんですよね、ないものを一から作る感じとか。

――社会人になってから、絵は描いていましたか?

音楽番組担当になってからよく描いてました。収録の前にカメラのアングルや構図をまとめたカット割りという撮影用の台本のようなものを作るんです。みんなは専門用語で書いていたんですが、私、それが全然覚えられなくて。自分だけ絵にしていたんです。

――小中学生の頃の授業のノートと同じですね。

本当にそうですね。それがあったからなのか、だんだん周りから「真船は絵が描ける人」と認識されるようになったみたいで。「ちょっとこれ描いてよ」とか、頼まれるようになったりしていました。もちろん、美術のスタッフさんのようにめちゃくちゃ上手に描けるわけではないんですが、セットを発注するときにスケッチを描いてイメージを伝えたりとか。

――真船さんのマンガ家デビューは、当時、同じ会社の先輩だった佐久間宣行さん(テレビプロデューサー)に趣味で描いていたマンガを見てもらったことがきっかけだったそうですね。

そうなんです。私が描いたものを佐久間さんがご自身のSNSにアップしてくれて、それがご縁で単行本を出させていただくことになりました。佐久間さんは副業がまだ世間的に珍しかった時代からラジオパーソナリティーをするなど会社員として異例の活躍をしている人で、その背中を見て「会社員やりながら別の分野でも活躍する道があるのか……!」と思いました。佐久間さんがいなかったら会社員をしながらマンガを描いていこうと思うことすらなかったかもしれません。

 

真船佳奈
 
まふねかな/1989年福島県郡山市生まれ。大学卒業後の2012年、テレビ東京に入社。2017年にテレビの制作現場のエピソードを描いた『オンエアできない! ~女ADまふねこ(23)、テレビ番組つくってます~』(朝日新聞出版)でマンガ家デビュー。テレビ局の業務と兼業しながらマンガ家として活動し、数々の著書を発表している。

インタビュー/菅原淳子 撮影/大森忠明 ヘアメイク/片岡順子(kodomoe2026年4月号掲載)

元記事で読む
の記事をもっとみる