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美容医療が当たり前の時代。美人といわれるのは一体誰なのか?

  • 2026.3.22

もう美容医療の流れは止まらない。そこで変わる美人の分布図

一年前には、美容医療なしに生きていく美容を提案したいと考えていた。でもそれって意味あるの? 人にそういわれ、時代は変わったのだと明快に実感した。そもそも“美容医療のいらない未来”を考えなければと思ったのも、やり始めたら一生やり続けなければいけない、それが経済的に可能ならばやればいいけれど、美容医療のエンゲル係数がとてつもなく高い人生なんて悲しすぎると考えたから。いやそもそも一般的な収入で美容医療を生涯受け続けるのは難しく、その結果、金持ちだけが若く美しいという残酷な格差社会をつくってはいけないと考えたからなのだけれど、施術によっては低価格化していく流れ。何より、美容医療に対する抵抗が本当になくなって、ちょっと前まで整形大国といわれる韓国を冷ややかな目で見ていた人が韓国に施術旅行に行く時代、いよいよ不可逆的に意識が変わってきているのだ。

そこでもう一度考えた。美容医療が当たり前になった時代の美しさとは何なのか? ふと思い出したのは20年近く前、こんなコラムを書いたこと。プチ整形がどんどんポピュラーになりつつあることを受けて、美しい人を見ても「あの人いろいろやったのね」としか見られない残念な時代になると。それは、ある意味当たっているが、ある意味間違っている。なぜなら美容医療の台頭で美人にも一気に多様性が生まれたから。

単純に、あれこれやった感のある美人と、およそやった感のない美人、まったくやっていない美人……それぞれの美しさがあるという、どこか寛容で、次世代的な美意識が生まれてきているということなのだ。言い換えればこれからは、そのうちどの美人を選ぶか?という選択肢の問題になってくるということ。そしてもっというなら、どれも正解だということなのだ。以前はやったかやらないか、それしかなかった。やったことがバレバレだと、美しいという拍手をもらえない的な不文律があった。しかし今はいろんなケース、いろんな段階がある。つまり今や整形を認めても、ちゃんと美しく見える方法があるということ。前号のコラムでも書いたが、たとえばニコール・キッドマンは、公の場に出るたびに頻繁に整形疑惑を報道され、一度ボトックスを認めたものの、もうやらないと言ってから以降も出てくるたびに顔が違うことを、なおも指摘されてきた。それでも圧倒的な女優魂で、まぁそれはそれという空気になり、やっぱりこの人は美しいという新たな評価まで得ている。逃げ切りというべきなのだろうが、もっというなら「結局は人による」という結論。つまり人間性だったり才能だったり、そういうことが同時に問われ、整形をくり返しても評価を得る人は得る、そんな時代が始まっているのだ。

一方、リンジー・ローハンは一体どうするとこんなに顔が変わるのか!?というくらいに別人になってしまったが、その仕上がりがあまりに美しいので、逆に評価を得てしまったりしている。もはや美容医療も一つの芸術作品なのだろう。この仕上がりならば褒めてあげるという不思議な価値観が生まれているのだ。やってるやってないではない、どうセンスよくバランスよく仕上げるか、そこで評価が分かれてくる。仕上がりに知性が感じられれば、オーケーという時代なのである。

整形疑惑だらけのファミリーの主役、キム・カーダシアンは勝利するのか否か

考えうる限りの美容医療をやっているに違いないのに、なおもある種のカリスマであり続けるのがカーダシアン・ファミリー。リアリティー番組が大ヒットし、彼女たちはみな特別なポジションに君臨し続けている。ただ切っても切れないのが整形疑惑。その辺りメディアは残酷で、一人一人時系列で写真を見比べて、極めて冷静に何をどうしたかを解析、それでも彼女たちが人生の成功者であるところが、今の時代の不思議なのである。

とくに、爆乳爆尻、顔も見るたびに整っていく“ビジュアルモンスター”というべきキム・カーダシアンは、誰になんと言われようと美においてNo.1であり続け、そんな自分を見て見てという顕示欲を曲げない。そのためには手段を選ばず、元夫のカニエ・ウェストの新しい妻とネイキッドドレスで、ほぼ裸を競い合ったりもするのは、もはや意味がわからないが、いくらお騒がせでも注目の的であり続けるのは、やはりきっちり美しくなっているからだろう(あの爆乳は疑問だが)。もちろん案外プライドの高いアメリカのセレブ社会には「才能もないのに」という冷ややかな見方をする人もいる。しかしそんなネガティブなどどこ吹く風、今や直せば直しただけ美しくなれ、何をしようと仕上がりが美しければ評価が得られる面白い時代、彼女はそれを謳歌しているのだ。

そういえば先頃Amazonの創業者ジェフ・ベゾスが超豪華な結婚式を挙げたお相手は、やはりびっくりするような爆乳、唇ぽってりのいかにもやった感のある元キャスター、でも世界指折りのお金持ちがこういう際どい美の探求者を選ぶのだと、そこは認識を新たにさせられる。だって前妻は明らかにナチュラル系の人。今の時代、人工美の勝ちなのか? 何だか考えさせられる。

しかし美は移ろいやすく、バランスをくずしやすい。美の魔法に取り憑かれた美女には、どうしたって時間経過による歪みが出てくるはずで、わずかでもバランスがくずれ、痛々しさが出てきたらもう危ない。だから人としてバランスをくずさないために別の才能がもう一つ不可欠なのは事実。もちろん、徹底的に美を極める選択があってもよいが、それが永遠でないとちゃんと気づけるかどうかが分かれ道なのだ。

実は最初からそれに気づいていたのが、父親違いの妹カイリー・ジェンナー。化粧品事業で空前絶後の大成功を収め、史上最年少の21歳で大富豪に。当然のようにくっついてくる整形疑惑も「馬鹿げている」と、基本的にすべて否定。実際少女の頃とはまったく別人だが、「みんな私が整形手術で顔を全面改造したと思っているけれど、それは完全に間違い。みんなヘアメイクや化粧、フィラーの力をわかっていない」と、一度だけ唇にフィラーを入れたのを認めた。さらに最近、豊胸はやったとその詳細までSNSで報告。みんなも頑張ってね的な軽やかなコメントは、逆に絶賛を浴びた。そして何より若きハリウッド・キング、ティモシー・シャラメの恋人という金字塔を打ちたて、ひょっとしてファミリーへの偏見もまた整形疑惑も打ち消すほどの才能と魅力の持ち主なのじゃないかと思わせた。最近のオーラからは、やっちゃってもいいんだと、妙な勇気をもらえるのである。

そしてキム・カーダシアンに話を戻せば、前号のこのコラムでも書いたように、もうしばらくすれば人間本当に歳を取らなくなる。100%不老長寿の時代がやってくる。キム・カーダシアンがずっとあのまま歳を取らなければ、結果的に勝利してしまう可能性もなくはなく。“美のモンスターは最後に笑う”というのもまたドラマとしては面白い。そんな未来も見てみたい気もする今日この頃なのである。

やったかやらないかを考えさせない、普通すぎるのが正解の時代?

さて、美容医療が常識となる時代を象徴するのが、およそやっていることがわからない人たちの美しさ。というより、普通に美しい人、普通に歳を取らない人は皆何かやっていると考えるのが無難。だからといって別にそれを追求する必要性も感じないほど自然な仕上がりが、今の美容医療ならば可能だし、それこそ自分のもっとも美しい顔以上を求めなければ、10年前、20年前の顔を再現するだけなら、それを咎める気配はもうないのだ。

逆にいえば、何もしない人のほうが目を引き、一体なぜ?と理由を探られる時代に入るのかもしれない。先頃亡くなったフランスの女優ブリジット・バルドーは、現役の頃は世界一の小悪魔美女と騒がれ圧倒的な人気を誇ったが、一切のメンテナンスをせず、シワくちゃの顔が何度も報道され、我々の夢を壊すな的な批判も浴びたほど。今後はそういう妙な偏見がエスカレートしたりするのかも。つまり常識的な若返りは身だしなみのうち、くらいの認識となるのだろうか。さらに逆をいえば、目立たないくらい普通にメンテナンスしておく、それが正解の時代がやってくる?

たとえば、今回のミラノ・コルティナ冬季オリンピックの開会式、50歳のシャーリーズ・セロンを見ただろうか。平和へのメッセージを慈愛を込めて語った姿は、美しいというより女神の如く神々しかった。これだけ美しいと当然のこととしてハリウッドには整形報道があったというが、さすがは知性派シャーリーズ・セロン。それを毅然と論破した。「男性は年齢を重ねてもワインのように熟成したと評価されるのに、女性は切り花として枯れるだけ。私はそういう考えに立ち向かおうと思う。女性は自分が正しいと思う方法で歳を重ねていけばいいのよ」と。それはノイジーな報道を一切黙らせるほど説得力あるものだった。自分がそうしたいと思う方法で歳を取ればよいだけと。そう、まさにそれなのだ。美容医療の進化は、いわば“自分がなりたい外見を自在に選べる時代”をもたらすわけで、どんな外見を選ぶか、美容医療とどう付き合うか、それは一人一人の自由。まさにそういう選択肢を、私たちが獲得することだけは確かなのだ。

どちらにせよ美容医療に対して確固たる意志を持っておくことなのだろう。人がやるからやる、バレたら嫌だからやらない……そういうことではなく。

でもそれ以上に、やったかやらないかという議論など吹き飛ばし、黙らせるほどに超然とした、生物としての若さと活力を感じさせる存在になるべきなのではないか。つまり最低、人工的であってはいけない。たとえ美容医療を欠かさなかったとしても、結果として生命感が煌めくような存在美を保てること、それがこれからの時代の美人なのである。

美容医療をやったかやらないかという議論など吹き飛ばし、黙らせるほどに超然とした、生物としての若さと活力を感じさせる存在になるべきなのではないか?

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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