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生や死の先にある“無限の時間”を追い求めるジョシュ・サフディ監督。『マーティ・シュプリーム』までの道、ティモシーと弟ベニーについて【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

  • 2026.3.16

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』(公開中)のプロモーションにおいて、主人公のマーティ・マウザーが乗り移ったように世界を股にかけて走り回っているティモシー・シャラメにこそ及ばないものの、監督のジョシュ・サフディもかつてないほど積極的にインタビューを受けている。ニューヨーク・インディー映画の歴史を引き継ぐサフディ兄弟、とりわけ兄ジョシュ・サフディは、その精神的支柱の一人であるマーティン・スコセッシのように映画の話をし始めたら止まらない。

【写真を見る】フォトグラファーのディレクションに呼応してポーズを決めるジョシュ・サフディ監督

【写真を見る】フォトグラファーのディレクションに呼応してポーズを決めるジョシュ・サフディ監督 撮影/黒羽政士
【写真を見る】フォトグラファーのディレクションに呼応してポーズを決めるジョシュ・サフディ監督 撮影/黒羽政士

このインタビューでは主に、『マーティ・シュプリーム』の舞台となった1950年代のアメリカと劇中のムードを決定づけている1980年代的なサウンドとポップソングの関係、そして海外のインタビューでもあまり直接的には答えていない“サフディ兄弟監督”解消の理由と同時期に単独監督デビューした弟ベニー・サフディの『スマッシング・マシーン』について訊いた。主演のティモシー・シャラメについては、北米公開から3か月近く経っているということもあり、他に例を見ない彼の作品プロモーションへの意欲の源泉について探りを入れてみた。どれも、ほかのインタビューでは読めない内容になっていると思う。

放っておくとすぐにマーク・フィッシャーやジャック・デリダやジャン=リュック・ゴダールの引用を始めるジョシュ・サフディは、典型的なインディー気質の芸術家タイプの映画監督とも言えるだろう。そして、ニューヨーク生まれのユダヤ系という共通するバックグラウンドがあるとはいえ、いまや世界屈指のポップアイコンでありながらそんなインディー気質の芸術家とも完璧にシンクロできる点において、やはりティモシー・シャラメが特別な俳優であることがわかる。

いまのところサフディ兄弟の最後の作品となった前作『アンカット・ダイヤモンド』(19)が日本をはじめとする多くの国でNetflixを通しての配信公開となったように、映画が映画として存在するのが当たり前ではなくなった時代。『マーティ・シュプリーム』はアートとマーケティングの両輪がフルに加速し続けたことによって、各国で大ヒットを記録し、アワードシーズンで主要作の一端を担い、時代に刻まれる傑作となった。

※本記事は、ネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)を含みます。未見の方はご注意ください。

「『アンカット・ダイヤモンド』完成までの屈辱にまみれた強烈な日々は、『マーティ・シュプリーム』に大きなインスピレーションを与えています」(ジョシュ・サフディ)

「映画のことは監督に訊け」最新回に『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』で来日したジョシュ・サフディ監督が登場 撮影/黒羽政士
「映画のことは監督に訊け」最新回に『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』で来日したジョシュ・サフディ監督が登場 撮影/黒羽政士

ジョシュ・サフディ(以下、ジョシュ)「(刷り上がったばかりの『マーティ・シュプリーム』のパンフレットを受け取って)僕は映画パンフレットを収集しているんですが、きっかけは日本の神保町で映画関連の専門店を見つけたことだったんです。当時、ミュージシャンのトクマルシューゴと仕事がしたくて、神保町のサクラホテルに泊まっていて。一泊30ドルで、相部屋に6人くらいほかの宿泊客がいて、神保町がどういう街なのかも知らないままホテルの近くを歩き回ってました。僕は21歳で、日本の文化に恋をしていたんです。それで、ずらっと並んだ古書店の一軒にたまたま入ったら、何千冊もの映画の書籍や映画のパンフレットがあって、そこからパンフレットの収集が始まりました。いまでは膨大なコレクションを持ってますが、そこに自分の作品のパンフレットを加えることができるのは本当にエキサイティングです。君が書いたのはどのページ?」

ジャパンプレミア当日に会場でも販売された『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』劇場用プログラム 撮影/編集部
ジャパンプレミア当日に会場でも販売された『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』劇場用プログラム 撮影/編集部

――こことここ(作品レビューとダニエル・ロパティンの劇伴についての寄稿)です。

サフディ「ワオ、すごくクールなページですね! (ページをめくる手が止まらず)……オーケー、取材に入りましょう(笑)」

――はい(笑)。今日これから『マーティ・シュプリーム』のジャパンプレミアにあなたは登壇するわけですが、2017 年の『グッド・タイム』日本公開直前の一般観客向けの試写では、自分が壇上で作品の解説をしていたことをふと思い出しました。

ジョシュ「そうだったんですね。その節はありがとう(笑)」

――そう考えると、あれから約10年経って、映画監督としてのあなたのポジションも、作品への注目度も、大きく変わりました。この10年を振り返って、あなたにとってそれはどのような時間でしたか?

サフディ「『グッド・タイム』からの10年よりも、『アンカット・ダイヤモンド』までの10年が自分にとっては本当に困難な旅路でした。『アンカット・ダイヤモンド』の脚本を書き始めたのは2010年で、そこから2019年に作品が公開されるまで、僕は病的な夢想家でした。毎日が、夢にうなされているような切迫感の中にありました。なぜなら、誰も映画の完成を信じてくれなかったから。あの頃の、夢が現実味を帯びなくなるように感じられる日々はとても屈辱的でした。自分を信じてくれない人々を、自分で正当化してしまいそうになる気持ちとも戦わなければならなかったのです。まるで自分の時間を奪ってくる強盗に出くわしたような気持ちに何度もなりながら、夢を実現するための方法を見つけ出そうとしてました。誰かの手に握られた自分の運命を、なんとか強奪する方法ばかり考えてました」

『アンカット・ダイヤモンド』(19)撮影中のベニー・サフディ、ジョシュ・サフディ、主演のアダム・サンドラー [c]Everett Collection / AFLO
『アンカット・ダイヤモンド』(19)撮影中のベニー・サフディ、ジョシュ・サフディ、主演のアダム・サンドラー [c]Everett Collection / AFLO

――まるで『マーティ・シュプリーム』の主人公、マーティ・マウザーのようですね。

ジョシュ「その通りです。あの屈辱にまみれた強烈な日々は、『マーティ・シュプリーム』に大きなインスピレーションを与えています。10年間、休みなんて1日もありませんでした。ロニー(共同脚本家のロナルド・ブロンスタイン)と脚本を書いていない時は、いつもマンハッタンのダイヤモンド・ディストリクト(宝石街)に実地調査のために足を運んでいました。あるいは、貴重な宝石の展示会があるとそのためにラスベガスに飛んでいました。さらに、たくさんの俳優に会いに行き、映画に投資してくれるお金を持った男たちをなんとか説得しようとして…その道のりには、あまりにも多くの異なる戦いがありました。そして、その戦いの果てで大きな虚無感を抱くようになりました。完全に目的を失ってしまった、夢を失ってしまったと感じたんです。それはとても憂鬱なものでしたし、非常に実存的なものでもありました。僕は大きな虚無感の中、周りを見渡して自分自身にこう問い直すことを強いられました。『夢とはなんなのか?』。『夢とは自分のような孤独な人間のためのものなのか?』。その直後、自分のキャリアに劇的な変化が訪れました。そのプロセスと、その時の感情は、明らかに『マーティ・シュプリーム』に反映されています。ティモシー・シャラメに初めて会ったのは2017年でした。その時、彼の中に自分と重ね合わさる部分を見つけることができたのです」

ティモシー・シャラメの中に「自分と重ね合わさる部分を見つけることができた」と語るサフディ監督 [c]Courtesy of A24
ティモシー・シャラメの中に「自分と重ね合わさる部分を見つけることができた」と語るサフディ監督 [c]Courtesy of A24

――闇雲に夢を追いかけている、というところですか?

ジョシュ「そうです。だから、ティモシーとの出会いはごく自然なことでした。そして、2018年になって1950年代の卓球の世界を発見しました。だから、僕は幸運にも自分を現実につなぎ止めておける『アンカット・ダイヤモンド』とは別の炎、別の夢を持つことができたんです。結局、そこからまた6年かかりましたが」

――1950 年代前半を舞台にした『マーティ・シュプリーム』の劇伴や選曲に1980年代のモチーフを当てた理由の一つとして、ロナルド・レーガン時代の80 年代のアメリカが掲げていた理想が50 年代のアメリカだったことだと、あなたは別のインタビューで話していました。それで言うと、現在のアメリカはどのような「時代のサイクル」に入っていると思いますか?時間の間隔でいうと『マーティ・シュプリーム』からレーガン時代までの30 数年と、レーガン時代からドナルド・トランプ時代まで、ほぼ同じ時間が経過しているわけですが。

ジョシュ「現在起きていることは、1950年代から起きていることの続きだと信じています。僕たちはこれをこの先も永遠に見続けることになるでしょう。マーク・フィッシャーも『資本主義リアリズム』で『資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい』と書いてましたが、資本主義以外の道はないということは、1980年代からマーガレット・サッチャーのような政治家からたびたび口にされてきましたよね。僕たちが生きているこの時代がその延長線上にあることは間違いないです」

撮影/黒羽政士
撮影/黒羽政士

「僕らはフォトコピーのフォトコピーの時代に生きていて、そこでは資本主義も、アメリカンドリームも、本来の意味や目的が失われています」(ジョシュ)

「現在のアメリカ人は50年代のフォトコピー(複写)の中に生きているようなもの」と語る 撮影/黒羽政士
「現在のアメリカ人は50年代のフォトコピー(複写)の中に生きているようなもの」と語る 撮影/黒羽政士

――そうですね。

「マーク・フィッシャーはまた、ジャック・デリダの憑在論という言葉を引用して、かつて存在した未来、あるいは存在したかもしれない未来が、現在の文化に幽霊のように取り憑いている状態こそが現代であると指摘してます。特定の過去を参照しようとすると、その過去がさらに参照していた過去に取り込まれて、時間のループの中に閉じ込められたような感覚になっていく。でも、きっとそこには一次ソースがあり、それはおそらくポップカルチャーが生まれた1950年代なんです。ロックンロールが誕生したのも、消費者としてのティーンエイジャーという概念が誕生したのも、その後も参照され続けているチャールズ&レイ・イームズ、ル・コルビュジエ、ブルータリズムのごく初期などのデザインや建築が生まれたも、全部50年代でした。その後、ベトナム戦争があって、不況がやってきて、そこにレーガンが登場して『50年代の良かった頃に戻ろう』と言いました。『Make America Great Again』も、もともとはレーガンの言葉です。だから、現在のアメリカ人は50年代のフォトコピー(複写)の中に生きているようなものなんです。80年代にはまだそこに現実味がありました。なぜなら、それは最初のフォトコピーだったので輪郭も色もまだそこまでボヤけてなかった。でも、2010年代になると、僕たちは50年代のフォトコピーだった80年代のさらに劣化したフォトコピーしか手にすることができませんでした。そして2020年代の現在、アメリカンドリームの効力はますます現実味を失っています」

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』の舞台はニューヨーク市マンハッタンに位置するロウアー・イーストサイド [c]Courtesy of A24
『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』の舞台はニューヨーク市マンハッタンに位置するロウアー・イーストサイド [c]Courtesy of A24

――(『マーティ・シュプリーム』の音楽を担当している)ダニエル・ロパティンが、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの音楽で表現していることにも通じる話ですね。

ジョシュ「そうですね。僕らはフォトコピーのフォトコピーの時代に生きていて、そこでは資本主義も、アメリカンドリームも、本来の意味や目的が失われています。『マーティ・シュプリーム』では、ダニエル(・ロパティン)による80年代風の音楽が亡霊のように劇中を彷徨ってます。ダニエルの音楽や、そこで使用した80年代のポップソングは、いわば未来からの『これが彼がかつて望んだ未来だ。でも、実際に彼が手に入れた未来はこれじゃなかった』という声なんです。僕たちはいつか夢を諦めますが、夢はそこで死んで消えるのではなく、亡霊のように残りの人生においても僕たちを追いかけてきます。この作品は、そのような感覚に全編が取り憑かれているのです」

――例えば80年代と比べて明確に変わったこととして、人々はみなスマホを手にし、タバコを吸わなくなりました。そういったディテールは、あなたにとってあまり大きな意味を持たない?

ジョシュ「いや、タバコを吸うのはまたクールなことになってますよ(笑)」

――私もそう思ってますが(笑)、それはそれとして人々の生活様式は大きく変わりましたよね。

ジョシュ「でも、80年代はみんなタバコを吸っていたのと同時に、健康やジョギングやジムでのワークアウトといった概念が始まった時代でもありました。いまではそれは当たり前のことになったし、ちょっと過剰すぎて狂気じみてさえいますよね。 僕が80年代に抱いている関心の中心にあるのは、やはり音楽です。テレビのニュースなどで使われているジングルは、実は80年代からほとんど変わっていません。また、いまのポップミュージックではどれも80年代のようなサウンドが鳴らされている。それは、80年代が真の意味で“モダン”だった最後の時代だったからだと思うのです。僕は80年代のそうした持続的な影響力に魅了され続けています」

「サフディ兄弟作品の特徴は『マーティ・シュプリーム』により直接的に引き継がれていて、ベニーは別のスタイルを探求しているように見えました」(宇野)

――確かに、ある時期では“80年代リバイバル”みたいな文脈でとらえられていましたが、実はリバイバルですらないことが明らかになってきましたよね。一方で、あなたとこれまでずっと一緒に映画を作っていた弟のベニー・サフディは、単独監督デビュー作の『スマッシング・マシーン』で90年代後半の格闘技の世界を舞台にしています。これまでのサフディ兄弟作品の特徴は『マーティ・シュプリーム』により直接的に引き継がれていて、ベニーは別のスタイルを探求しているように見えました。今後、もう兄弟で映画を作ることはないのでしょうか?

サフディ「未来がどうなるかを予測するのは難しいです。いま言えるのは、自分は自分の作りたかった映画を作っていて、弟は彼が作りたかった映画を作っているということです。僕はマーティ・リーズマン(実在の卓球選手)に着想を得たキャラクターを通して自分を表現したかったし、彼はマーク・ケアー(実在の格闘家)を通して自分を表現したかった。弟と一緒に仕事をしていた『アンカット・ダイヤモンド』までの作品でも、僕とベニーの間には異なる役割がありました。スクリーンに映っているもの、つまり観客が目にしている視覚的な要素の多くは、主に僕が担当していました。もちろん彼も関わっていましたが、実質的には僕の方がより深く入り込み、彼は視覚的ではないセクションにより深く関わっていました。 だから、次の映画を作る時が来たとき、僕は自然にこれまでの共同作業者である(撮影監督の)ダリウス・コンジや、(衣装デザインの)ミヤコ・ベリッツィのところへ行った。一方で、ベニーは新しい共同作業者と仕事をすることを望んだんです。なので、お互いの映画のDNAについてはなんとも言えません」

マーティ・マウザーは実在の卓球選手マーティ・リーズマンにインスピレーションを得たキャラクター [c]Courtesy of A24
マーティ・マウザーは実在の卓球選手マーティ・リーズマンにインスピレーションを得たキャラクター [c]Courtesy of A24

――『マーティ・シュプリーム』が完成した後、ベニーとは作品についてなにか話をしましたか?

サフディ「彼にはかなり早い段階で映画を見てもらいました。僕がずいぶん長い間取り組んでいた作品なので、もちろん彼はストーリーは知っていたわけですが、あの映画の中にある熱狂、エネルギー、クレイジーさに反応してくれて、信じられないような様子でした」

――ベニーの『スマッシング・マシーン』に、あなたはどういう印象を抱きましたか?

サフディ「あの作品のきっかけは、ドウェイン・ジョンソンが僕とベニーに連絡をくれて、2002年にHBOが制作したマーク・ケアーについてのドキュメンタリー映画『The Smashing Machine: The Life and Times of Extreme Fighter Mark Kerr』(『スマッシング・マシーン:マーク・ケアーの人生と戦い』)を送ってくれたことでした。暴力の容赦のなさや、依存症の容赦のなさを描いた素晴らしいドキュメンタリーで、ベニーはそのドキュメンタリーから受けた感動を自分の作品として再現したがっていました。ベニーの関心は、リアリズムの映像言語と語彙を通して映画を作ることです。一方、僕の関心はリアリズムをサブテキストとして使い、そこから表現としてハイパーリアルなものへと昇華させていくことです。時として、ハイパーリアリズムの方が、より真実に迫ることができます。なぜなら、それは感情により密接に結びついているからです。そして、上手くいけばそこに“熱狂”が生まれます。『マーティ・シュプリーム』は非常に熱狂的な映画だと思います。対して、『スマッシング・マシーン』はよりリアリスト的な映画です。でも、ベニーのアプローチは題材に相応しいものだと思います。僕は『スマッシング・マシーン』を観て、ベニーがマーク・ケアーというキャラクターを通じて自分を表現していることに気づき、もし一緒に作っていたら決してできなかった方法で彼を理解することができました。それは、僕たち2人が別々に映画を作ったことから得られた最高のことです」

『スマッシング・マシーン』は5月15日(金)公開 [c]2025 Real Hero Rights LLC
『スマッシング・マシーン』は5月15日(金)公開 [c]2025 Real Hero Rights LLC

「『マーティ・シュプリーム』の結末は、あなたにとって一つの達成、一つの偉大なゴールのようにも思えた」(宇野)

――ここまで話してきたように『マーティ・シュプリーム』と『アンカット・ダイヤモンド』は非常に近しい精神や審美眼から生まれた作品なわけですが、『マーティ・シュプリーム』の主人公が『アンカット・ダイヤモンド』の主人公とは正反対の結末を迎えた瞬間、これはあなたにとって一つの達成、一つの偉大なゴールのようにも思えたんですね。そして、もしかしたらあなたの次作はこれまでとはまったく違うものになるんじゃないかとも。

マーティの幼なじみにして不倫相手でもあるレイチェル役は気鋭のオデッサ・アザイオン [c]Courtesy of A24
マーティの幼なじみにして不倫相手でもあるレイチェル役は気鋭のオデッサ・アザイオン [c]Courtesy of A24

サフディ「それは、僕自身が現在最も興味を持っていることです。結局のところ、映画というものはそれ自体が作り手にとっては“生存の証明(proof of life)”なんです。かつて(ジャン=リュック・)ゴダールが『すべての映画はドキュメンタリーである』と言ってましたが、それはあるレベルにおいて、真実だと自分も思います。 もしなんらかの知的生命体が僕たちの映画を見つけ、その時に人間の種族がいなくなっていたとしたら、彼らはなにがリアルでなにがフェイクか分からないでしょう。そう考えると、結局のところ自分の作る映画もすべてはただのドキュメント(記録)なのです。だから、映画において僕が最も興味があるのは、物語がもたらす時間の無限の広がりです。『アンカット・ダイヤモンド』の結末でも『マーティ・シュプリーム』の結末でも、僕が描いたのは“無限(infinity)”についてです。 『アンカット・ダイヤモンド』のハワードは中毒者です。彼の物語が終わる唯一の方法は、あの終わり方しかありませんでした。『マーティ・シュプリーム』のマーティは夢に取り憑かれています。だから、もしその夢が死ぬと、それは残りの人生でずっと彼を悩ませるだけでなく、彼の曾孫をも悩ませるでしょう。曾孫たちが『僕の曾おじいちゃんは世界最高の卓球選手だったんだ』と言うと、その友達は『じゃあ証拠を見せてよ』と言うでしょう。その時、曾孫は『証拠はないんだ。日本では試合はカウントされなかったから』と答えるしかありません。そうやって、マーティの夢の失敗は広大な時間を彷徨い続けることになります。そして、マーティが自分の子どもと目を合わせた時、彼が自分の子どもの目の中に見ていたのも“無限(infinity)”です。彼は子どもの目の中に、自分の人生を見ています。そして、その時間の無限の広がりを前に、彼は謙虚にさせられました。非常に強烈な方法で、彼は最後に謙虚にさせられているのです。 ハワードは“死”に対することで謙虚になり、マーティは“生”に対することで謙虚になる。だから、君の言うように、あの2つの結末が正反対だとは言えないかもしれません」

お茶目なポーズを次々と繰り出すジョシュ・サフディ監督 撮影/黒羽政士
お茶目なポーズを次々と繰り出すジョシュ・サフディ監督 撮影/黒羽政士

――なるほど。

ジョシュ「きっと次の映画も、そこには常に僕自身が含まれ、僕にとって意味のある人生の出来事や物事を通じた人生の解釈が含まれることになるはずです。(共同脚本家の)ロニーと僕のやり方は、まず自分たちを表現するための物語の器や枠組みを作って、まるで薬物中毒者がドラッグを探すように自分たちの人生を掘り下げてそこから意味を探していきます。なので、その過程では自分でも何が作ろうとしているのかわからないことが往々にしてあります。次作のアイデアはあります。ロニーもアイデアを持っています。きっと、そこではこれまでと同じように時間の無限の広がりに興味を持ち続けるでしょうし、その経験を象徴する小さな物語に興味を持ち続けることになるでしょう」

「ティモシーがすごいのは、“コンセプチュアル・マーケティング”を本能的に理解しているところ」(ジョシュ)

――最後に、このタイミングだからこそ質問したいことが一つあります。『マーティ・シュプリーム』のワールドプロモーションにおけるティモシー・シャラメの活躍ぶりには、驚きを超えて、感動すら覚えました。彼は自分の力を完璧に理解していて、『マーティ・シュプリーム』の文化的なインパクトを高めるため、それを最大限に利用していましたね。

サフディ「ティモシーには本当に驚かされましたよ。初期の段階でのプロモーションのアイデアで、僕はティモシーにマーティの夢を生き続けさせようと思っていました。この映画の憑在論的な性質、つまり過去が未来を悩ませ、未来が過去を悩ませるというところから、マーティの写真をウィーティーズ(北米のシリアルのナショナルブランド)のパッケージに載せて、それが街中に広がっていくことをイメージしました。コカ・コーラでも、リーバイスのジーンズでも、M&M'sのチョコレートでもよかったんですが、マーティの夢を称えるために、そうした象徴的なアメリカのブランドの広告にマーティの顔を載せたかったんです。彼の夢を称えることで、『マーティ・シュプリーム』という映画の持つ“誰かの夢に取り憑くような性質”が表現できると思ったからです」

映画を体験する前に、キャラクターを世界に浸透させるプロモーションを続けたティモシーを絶賛した [c]Courtesy of A24
映画を体験する前に、キャラクターを世界に浸透させるプロモーションを続けたティモシーを絶賛した [c]Courtesy of A24

――なるほど!今回の日本でのプロモーションでマーティの写真が載った日清カップヌードルを作ったのもその流れだったんですね。

ジョシュ「そうです。でも、ティモシーはそれをさらに上回ることを世界中でやってくれました。彼がすごいのは、“コンセプチュアル・マーケティング(概念的な宣伝)”を本能的に理解しているところです。彼は概念的な思考の持ち主で、プロモーションに映画の中のキャラクターを持ち込むことで、観客が映画を体験する前に、そのキャラクターを昔から知っているように思わせる方法を会得しています。だからいま、映画を観に来る人々は、映画のスチールを一枚も観る前から、すでに映画の中のマーティの思考回路や視点になじまされています。その手際の鮮やかさは本当に驚くべきものでした。なので、作品のプロモーションにおいては、僕は彼にすべて従うことにしました。『マーティ・シュプリーム』の前例のないあのプロモーションは僕のアイデアではありません。僕のアイデアは、ウィーティーズのパッケージに彼の写真を載せることだけでした(笑)」

撮影中も話が尽きないジョシュ・サフディ監督と宇野維正 撮影/黒羽政士
撮影中も話が尽きないジョシュ・サフディ監督と宇野維正 撮影/黒羽政士

取材・文/宇野維正

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