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豊臣秀吉神秘的な出自をもっていた…? 武将たちが使う“権威”のブランディング戦略/戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか⑦

  • 2026.3.5

『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』(河合敦/ポプラ社)第7回【全7回】

『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』を第1回から読む

戦うだけが仕事じゃない! 戦国武将も、現代人と同じ悩みを抱えていた。武田信玄は浮気を弁解、織田信長は正倉院の宝物である香木を切り取り、伊達政宗は恋に泣き、高山右近は地位よりも信仰を優先し、茶の湯で政治を操り、南蛮料理に夢中になり、人身売買で財力を築く。戦場以上に熱い、濃厚なドラマを暴く。戦国武将の仕事からオフタイムまで、知られざる素顔をのぞく1冊、ぜひお楽しみください!

『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』 (河合敦/ポプラ社)
『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』 (河合敦/ポプラ社)

夢を創作して権威づけをおこなった豊臣秀吉

■夢を政治に利用する

豊臣秀吉は、自らの権力と権威に神秘性をも加えるため、「夢」を政治利用した。

文禄二年(一五九三)、秀吉が「高山国」(日本が呼んだ台湾の古称)へ宛てた入貢要求の国書で、自分の誕生秘話を次のように披露している。

「妊娠中の母が『瑞夢』を見た夜、部屋の中が昼間のように明るくなり、驚いた人びとが占いを立てたところ、胎内の子はやがて、四海に覇を唱える人物になると出た」

この不思議な光は、小瀬甫庵の『太閤記』にも受けつがれ、「或時、母懐中に日輪入給ふと夢み、已にして懐姙し誕生しけるにより、童名を日吉と云しなり」(檜谷昭彦・江本裕校注『新日本古典体系60太閤記』岩波書店)と記されている。つまり、日輪(太陽)が体内に飛び込む夢を見て、秀吉の母が秀吉を妊娠したというのだ。

このように、母親が胎内に何かが入る夢を見て偉人が誕生する、という逸話は非常に多い。

こうした夢を「入胎夢」とか「托胎霊夢」といい、高僧の伝承に多く見られるのが特徴だ。たとえば空海の母親は、聖人が胎内に入る夢を見ているし、その弟子の円珍の母も、朝日が口の中に入り込む夢を見て妊娠したといわれている。そのほか『往生要集』を著した源信、臨済宗を開いた栄西など、数え切れないほどの高僧の実母が妊娠する直前に「入胎夢」を見ていることが確認できる。

『本朝高僧伝』は、千六百六十四人もの高僧の生涯が載る江戸時代の書物である。それを詳細に調べた研究者の関口忠男氏は、「そのうち一三一名が何らかの神秘的な出生譚を有しており、さらにそのなかで入胎夢をもつとされる者は、八九名にも達する」(河東仁著『日本の夢信仰――宗教学から見た日本精神史』玉川大学出版部)としている。

そのパターンとして、関口氏は「日輪を呑む、または抱く」、「剣(剃刀)を呑む、または抱く。あるいは梵僧から刀を授かる」、「明星を呑む、または明星が懐に入る」、「梵僧から神珠を授かる、または宝珠を呑む」、「梵僧がきて懐に入る、あるいは投宿する」、「白玉が脇(懐)に入る、あるいは梵僧から白玉を授かる」、「白蓮が腹に生ずる」、「室のなかに三層の塔を建てる」(同書)をあげている。

秀吉の母親の夢は、このうち「日論が懐に入る」というものであったわけだ。もちろんそれは、己の出自を飾るための秀吉、あるいは豊臣政権の創作だろう。

それが江戸時代後期の『絵本太閤記』になると、秀吉が生まれたときに屋外に霊星が現れたとか、生まれながら歯が生えていたとか、日輪受胎説に怪奇性が加えられていく。

余談だが、秀吉は日吉(山王)権現の申し子だとする説もある。大政所(秀吉の母)が日吉権現に祈って得たのが秀吉であるとし、その証拠として、秀吉の顔が日吉権現のお使いである猿に似ていること、幼名を日吉丸と称したこと、誕生日が天文五年(一五三六)正月で、この年が申年だったことがあげられる。ただ近年では、秀吉の誕生日は、二月六日説が有力になっている。いずれにせよ、秀吉は、己の出自を粉飾するため、夢をうまく利用したのである。

そんな秀吉は天下統一から八年後、幼い息子の秀頼を残して六十二歳でこの世を去った。その辞世の句は、「露と落ち 露と消えにし 我身かな 浪速のことも 夢のまた夢」というもの。きっと、自分が天下人となり、壮大な大坂城から全国を統治していたなんて、まさに夢のようで、当の本人が一番信じられなかったのではないだろうか。

ちなみに、北条早雲( 伊勢宗瑞)も夢を巧みに利用している。

駿河の今川氏の客将だった早雲は、伊豆(現在の静岡県伊豆半島)を平定すると相模へも進出していった。そんな早雲の前に立ちはだかったのが、関東管領の一族である扇谷上杉氏と山内上杉氏であった。あるとき早雲は、正月に三嶋大社に参籠し、「私から七代目に関東地方を支配できるように」と祈願した。すると二日の夜に次のような夢を見た。

広い大地に二本の大杉がそびえ立っている。そこに一匹の鼠が現れ、大木の根元をガリガリとかじり始めたのである。そして、ついに大木を二本とも倒してしまった。その瞬間、鼠は虎に変じた(『小田原北条記』)。

早雲はこの夢を部下たちに語り、夢の内容を次のように解釈した。

「二本の杉というのは両上杉氏だろう。私は子年生まれなので、鼠は私であり、やがて上杉氏を倒して関東を平定し、子孫代々にわたり東国の主になることを示した吉夢なのだ」

そう言って大いに喜んだのである。

このように戦国時代の大名たちは、夢というものをうまく利用しながら生きていたのだ。

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