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「これは、フェンディへの恩返し」──デザイナーとしてのスタート地点に回帰した、マリア・グラツィア・キウリの展望

  • 2026.2.26

マリア・グラツィア・キウリが私を見つめる。アイライナーで囲まれたその目を見つめ返すと、急に不安になった。「男性デザイナーはウィメンズウェアを作ることができる。でも、女性デザイナーはメンズウェアを作ることはできない」と彼女は皮肉たっぷりに言う。6月にフェンディFENDI)のチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして初めてメンズウェアのショーを行うことについて質問をしたところだった。私の聞き方が拙劣で、少しズレた解釈をされてしまったみたいだが、ファッションにおける女性差別をはっきりと浮き彫りにする辛辣な回答だ。

饒舌になってきた彼女は、眉を上げて微笑み、身を乗り出した。「天才も、クリエイティブな才能があるのも、男性だけだと言われているからですよ! 」と言い、一拍置く。「でも、ミウッチャ・プラダは? 彼女はブランドの創立者ですよね。シャネルは? スキャパレリは? 気の毒に。まるでシェフの話みたいです。“シェフ”は男性のことを指し、“cuoca(女性の料理人)”とは重みが違います。何ひとつ変わりませんね」

とは言うが、キウリ自身はこれまで数々の功績を残し、改革を起こしてきた。2016年、彼女はディオールDIOR初の女性クリエイティブ・ディレクターに就任し、ウィメンズウェア、オートクチュール、アクセサリーを統括(メンズウェアのディレクションは担わず)。それから9年にわたり、女性を中心に据えた、フェミニズムの精神を感じさせる、コラボレーション重視のアプローチでメゾンのデザインとストーリーテリングに取り組み、ファッションにおける男女格差に確実に革命をもたらした。確かに、彼女のコレクションはときに批評家を二分したが、クライアントの琴線にはほぼ例外なく触れた。そして、在任中にディオールの売上を4倍近く伸ばしたことも忘れてはいけない。

「ディオールの売り上げを大きく伸ばしたから、皆私のことを覚えているのです。 男性デザイナーが数字を出すと、ビジネスセンスがあるからだと言われますが、女性デザイナーの場合は“商業的”だからだと言われます」。ファッション界では“商業的”という言葉を否定的な意味合いで用いる人が非常に多く、キウリも同じ、軽んじるトーンでその単語を強調した(もっとも、ブランドのCEOはそうではないが)。「ある種のメンタリティで、文化の問題です」と言うキウリを聞きながら、私はシャネルCHANEL)時代のヴィルジニー・ヴィアールのことをふと思い出した。

ここで、私は話をフェンディに戻す。昨年10月、ディオールを去って半年後に、キウリはフェンディのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任した。フェンディは、キウリが1989年に24歳でアクセサリーデザイナーとしてのキャリアをスタートさせた場所だ。子どもを授かったときもフェンディに在籍しており、パオラ、アンナ、フランカ、カルラ、アルダという創業家の5人姉妹から指導を受けながら、「ソロリティのような」としばしば表する、協力的な環境で仕事に励んだ。

ジョー・アン・カリスが撮影した、キウイによるフェンディのアクセサリーの新キャンペーン。
ジョー・アン・カリスが撮影した、キウイによるフェンディのアクセサリーの新キャンペーン。

キウリが再び、会話の主導権を握る。「フェンディ姉妹もそうです。みんなカール・ラガーフェルドのことばかり話して、自分たちは何もしてこなかったみたいな顔をするのです。ごめんなさいね」と彼女は腹の底から思い切り笑い、緊張感が解けた。「本当にごめんなさいね! Mi parte proprio la brocca(なんだかすごくカッとしちゃってます)。この業界の仕組みについて議論するのにはうんざりなんです。なんというか……本当につまらなくて」

退屈な話題かもしれないが、トップメゾンの女性クリエイティブ・ディレクターの数を男性と比較してみるだけで、実際に彼女の言う通りだということがわかる。そして、US版『VOGUE』が 指摘したように、キウリの就任が発表されたときには多くの野次が飛んだ。現代において、最も偉大なデザイナーのひとりに無条件に入るデザイナーがいるとすれば、それはキウリだ。にもかかわらずの野次だった。

しかし、キウリは自分の実力などを証明するために、フェンディに復帰したのではないと言う。「私は、恩返しをするために帰ってきたのです。ファッションが全く異なるものだった、今とは違う時代に、まだとても小さな家族経営の会社だったフェンディで、何年も働きました。本当に多くのことを学びましたね。私たちの世代の人が創業者たちと一緒に働けたなんて、信じられないくらい素晴らしいことだったと思います」と続けた。

キウリは今でも、長年従事したフェンディ家の姉妹を尊敬している。「ローマ出身の5人で、1965 年に、彼女たちはシャネルのデザイナーに就任する前のカール・ラガーフェルドを、パリから呼び寄せたんです。自分たちの伝統とバックグランドを守りつつ、まったく異なるタイプの革新的な人と関わりを持つことは、当時は珍しいことだったと思います。彼女たちには、本当に先見の明がありました」

一歩ずつ、着実に歩みを進めるということ

1990年に撮影されたパオラ、アンナ、アルダ、フランカ、カルラ・フェンディ姉妹の写真。
Portraits of the Fendi Sisters, Rome, Italy - 18 Sep 19901990年に撮影されたパオラ、アンナ、アルダ、フランカ、カルラ・フェンディ姉妹の写真。

キウリは1999年、LVMHに買収される直前にフェンディを去った。ピエールパオロ・ピッチョーリとともにヴァレンティノVALENTINO)のアクセサリーチームに加わり、創業者ヴァレンティノ・ガラヴァーニの下で働いた後、2008年に彼の引退を機に後継者に指名された。「フェンディでは、シューズバッグ、ファーなどのアクセサリーについて学び、ヴァレンティノではクチュールについて学びました。ほかにも、大規模なキャンペーンを打ち出すことや店舗展開について教わり、とても印象深い体験でした。ふたりしてクリエイティブ・ディレクターになって、さらなる一歩を踏み出したのもヴァレンティノでのことでしたね。ひとつひとつの経験に、何かしらの学びがあるのです」

キウリがフェンディを去ってから、30年近くが経つ。そして今のフェンディは、かつて彼女が働いていたフェンディとは違う。「ほかのブランドと同様に、昔とは違います。組織も、次元も違います。私が去ったときは家族経営の会社でした」。かと言って、フェンディのオーナー企業であるLVMHの社風に馴染みがないというわけではない。ディオールもLVMHの傘下ブランドのひとつであり、その偉大なメゾンを長く率いたことで、彼女はまた新たな経験を積み、学びを得た。

そしてこれまでの経験のすべてが今、フェンディの次章を形作るために役立っている。現在、ラグジュアリーファッション界全体が大きな進化の時代に差しかかっており、キウリの着任はその幕開けと重なると彼女自身は感じている。「私たちは、また新たな局面に入ろうとしていて、この変化の大きな要因はニューメディアだったと思います。ファッションがより大衆的なものになったことで、ジャーナリストや専門家だけでなく、あらゆる人がファッションを語るようになったのです。そうした声の影響力は非常に大きなものですが、必ずしもポジティブなわけではありません。一部はエンターテインメントのようになってしまったと思います。でも、結局のところ、ファッションはエンターテインメントではないのです」

そして彼女はこう続けた。「私たちは、この仕事の実態よりも、イメージばかりに目が行っていると思います。デザイナーがいて、ただスケッチを描いて、それが形になるというイメージを持っている人もいると思いますが、実際はもっと複雑です……。本当にチームワークが大切で、実にさまざまな技術やスキルが必要とされます」

だが、ファッションのファンタジー的な側面や華やかなイメージを楽しみたい人にとって、デザイナーという仕事が複雑だという事実は、受け止めにくいのではないだろうか。「そうですね。でも、今はときには“イメージ”や“物語”を持つことのほうが、重要視される時代になっています。でも、それが本当に誰かに望まれているかはわかりにくくて、物語の前に、まず創作があるべきです。自分の周りにいるチームが、自分たちが作ったものに満足しているのを見ると、そこにエネルギーを感じて、『ああ、これだ』と思えるのです」

ミラノで開催される2026-27年秋冬ショーは、これまで制作チームという限られた人の間でのみ共有されてきた、キウリによるフェンディの新たな魅力とそのエネルギーを、公に発信する初の機会となる。その魅力を人々にどう受け入れてもらうかと問うと、キウリはまたもや眉を吊り上げた。「私は、売り込むのがあまり得意ではないです! でも、今回のショーには私のフェンディのビジョンを凝縮しました。シルエットに、アクセサリーに、シューズに。そしてウィメンズにもメンズにも込めました。ふたつのコレクションを同時に制作したので、今回はメンズも登場します。私はふたつのチームをひとつのチームかのように捉え、並行してウィメンズとメンズの制作を進めていくので」。しかし、すでに発表されているように、キウリはこのショーとは別に、6月のメンズ・ファッションウィークでもコレクションを披露する予定だ。

2016年に開催されたフェンディの創業90周年パーティーにて、アンナ・フェンディ、カルラ・フェンディ、ピエールパオロ・ピッチョーリと。
Fendi Roma 90 Years Anniversary - Front Row2016年に開催されたフェンディの創業90周年パーティーにて、アンナ・フェンディ、カルラ・フェンディ、ピエールパオロ・ピッチョーリと。

ファーと並んで、昔からメゾンの核となってきたアクセサリーについてはどうだろう。「アクセサリーはとても重要です。サングラスやジュエリーなど、あらゆるカテゴリーに取り組んでいます。メゾンのアイコニックな要素をすべて明確にし、コードとして整理しようとしているのですが、これはとても大切なことなのです。フェンディに限らず、たくさんのこと伝えようとすると、混乱を生むことがあります。まず私自身とチームに、そして外部の人々に対して、フェンディを象徴するものは何かを明確にすることが大切なのです。フェンディがこんなにもクリーンで、インパクトがあり、幾何学的なのは、モダニズム、そしてウィーン分離派からインスパイアされていたカールの影響を受けているからです。フェンディのコードの全体像を描こうとしました。もちろん、そこに自分の解釈を加えて」

最近は、モノグラムという形でブランディングを装飾化するのが当たり前になっている。キウリはそんな風潮から脱却し、代わりに刺繍やその他の素材を用いて、着る人の個性を反映できるようなデザインを提案する方向に持っていっていると言う。「『バゲット』や『ピーカブー』でもそうしました。ロゴはシグネチャーであり、装飾ではありません」と付け加えた。そのシグネチャーをさらに絶対的なものにするために、キウリはレオナルド・ソンノリに、メゾンの「ダブルF」ロゴとフォントの“リフォーム”を依頼した。「このロゴは、ありとあらゆる製品にあしらうのではなく、ロゴにふさわしいものにだけ使うべきだと思います」

キウリはロゴの代わりに、シルエットそのものを通して、フェンディの本質を表現するつもりだ。「私たちが今身を置いているファッション業界は、新しい局面を迎えているので、シルエットにかなりの重点を置くことにしました。フェンディのシルエットを明確にすることが重要なのです。コートジャケットといったもののシルエットを。あとは、どんな女性や男性を参考にしているのかを。それが私の役目です」

アクセサリーでこれほどまで広く知られるようになる以前、フェンディは洗練されたリッチなファーでその名を馳せていた。ファーは主にコートやジャケットとして展開され、フェンディ家の五姉妹は、それぞれ開発やプレゼンテーションの異なる面を担当していた。新たなシルエットを構想するにあたり、キウリはそんな彼女たち5人の核にある特徴を意識したという。「インスピレーションは、フェンディ家の姉妹です。彼女たちはとてもクリエイティブでありながら、とても堅実な働き者でした。だからか、とても合理的だったのです。あと、ファーという素材には、柔らかく、軽やかで、官能的な要素がかなりあるので、センシュアルであることも重要でした。フェンディにとって、ファーと感情は一体なのです」

キウリが何の脈絡もなくファーについて言及したことには、いくぶん驚いた。これまでメゾンは、顧客の要望に応じて“オートフリュール(ファーを用いたオートクチュールコレクション)”を作り続けてきたが、何年もの間、その事実を広く宣伝するようなことはほとんどしていない。「ファーを巡る論争が、いかにセンシティブな話かは十二分に認識しています。今と昔とは事情が違うということも」

そう語る彼女は、アンティークのファーアイテムに対する関心の高まりに応えるため、フェンディのアトリエに「Echo of Love」と名付けた新しいプログラムを立ち上げた。「Echo of Love」は、貴重なヴィンテージのファーピースの解体、修復、再生に特化したプログラムだ。「フェンディ以外のブランドが手がけたファーでも、アトリエに持ち込んでいただければ、修復などを請け負います。ファーは耐久性のある素材です。私を含め、母親や祖母から譲り受けたファーをクローゼットに眠らせている女性は大勢います。そんなファーをクチュールの要領で、コートやトレンチに使用したり、裾直しをしたり、新しい形にリメイクしたりすることで、世界にひとつだけのクチュールピースにすることができます。それに加えて、ファーを扱うときに用いる技術を新しい素材に応用してみたいです」

フェンディのウィメンズコレクションのアーティスティック・ディレクターを4年間務めたキム・ジョーンズは、在任期間中の2021年に、“オートフリュール”の枠にとらわれないクチュールコレクションをパリで発表し始めた。具体的な時期は明かさなかったが、キウリもジョーンズに倣うつもりであることを示している。

「最初からすべてを決めることはできませんし、一歩一歩進むしかないです。まずはグローバルなプロジェクト、グローバルなビジョンに取り組むことがとても重要なので、クチュールは本当にやりたいですけれど、準備が整ってからにしたいですね。今回のコレクションで最初の一歩を踏み出すことができて、とても嬉しいです」。また、初のショーに併せて、アーティストのジョー・アン・カリスとともに手がけた初のキャンペーンが発表される。冷静な眼差しと不穏な構図で、被写体のありのままを捉えるカリスは、キウリの感性と美しく呼応するアーティストだ。そんな彼女と制作したキャンペーンも、キウリの門出を祝うものになっている。

「ブランドの背景にあるストーリーに光を当てたい」

フェンディの新章を担うマリア・グラツィア・キウリ。
フェンディの新章を担うマリア・グラツィア・キウリ。

キウリには、フェンディのチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして新たな道を歩む義務も必要もなかった。私たちは、ローマのカピトリウムの丘のふもとにある、1950年代に設立された劇場のテアトロ・デッラ・コメータにいる。宝石のように美しいこの劇場をキウリは2020年に購入し、娘ラケーレとともに修復した。それは、フェンディへの復帰の話が持ち上がるずっと前のことで、ディオール退任後はファッションの表舞台に戻る代わりに、劇場の修復という個人的なプロジェクトに専念することもできただろう。

「私にとって、フェンディはとても大切なものです」と彼女は言い、こう繰り返した。「だからフェンディに恩返しをするのは、とても大切なこと」なのだと。そして再び身を乗り出し、私をじっと見つめた。「ここだけの話、私はすべてのファッションブランドに愛着があります。フェンディだけじゃありません。本当にファッションが大好きなんです。素晴らしい業界だと思うので、どこでも働けますよ!メゾンを立ち上げた人たちは本当に偉大だと思います。みんな違って、異なる視点を持っていて。中でも歴史あるブランドが好きです。そういったブランドにまつわる素晴らしい物語に光を当てたいので、復興プロジェクトか何かを始めるべきかもしれませんね。本当に美しい物語ばかりで、いろいろなブランドを掘り下げて知ることが、今の私にとっての夢です。創設者たちがブランドを立ち上げるために、どれだけすべてを投げ打っているか、どれだけ努力しているかが本当によくわかります。ときどき、それが十分に伝わっていない気がするのです。ひとつひとつの名前の背後にある、真の情熱が」

ラグジュアリー業界の人材コンサルタントが聞いたら、すぐにでもスカウトしたくなるような発言だが、当分の間、キウリは一途にフェンディとその創業家に向き合うに違いない。24歳で初めてフェンディに就職したころの記憶が、これからの創作に自伝的な要素として反映されるのではないかという問いには、否定的な反応を示した。「今の私には、あのころの自分をうまく呼び起こせないのです」と、首を振りながら言う。しかし、この日彼女が語ったことと、彼女が描くフェンディ姉妹の人物像を照らし合わせると、似通ったところがあるのがわかる。クリエイティブで、想像力豊か。それでいて、堅実で秩序を重んじ、勤勉であり情熱的。フェンディの新章が、マリア・グラツィア・キウリ自身の精神に呼応するものとなることは確かだ。

Text: Luke Leitch Adaptation: Anzu Kawano

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