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いい話だけじゃない。宗教・神話・商業が絡み合うクリスマス11の起源

  • 2025.12.15
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宗教や文化の垣根を越え、古くから世界中の人々が祝ってきたクリスマスは、多くの人にとって楽しい思い出がたくさん詰まったイベント。クリスマスツリーに飾りつけをしたり、プレゼントを贈り合ったりと、クリスマスの時期に伝統的に行われてきたことは、それぞれに習慣となったきっかけや理由がある。

特にアメリカで広く受け継がれてきた11の風習には、どのような歴史や背景があるのだろうか。

※この記事は、海外のサイトで掲載されたものの翻訳版です。

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ヤドリギ(ミスルトゥ)

毒性をもち、宿主となる木々の高い枝の上で育つ半寄生植物のヤドリギ(宿り木、ミスルトゥ)の下でキスをすることは、なぜクリスマスの風習となったのだろうか?

それは、北欧の神話に登場する美しい神「バルドル」と関係があるのかもしれない。バルドルはその存在を妬んでいた悪神に、ヤドリギの枝でつくった槍で殺されてしまう。そして、バルドルの母であるフリッグがその後、ヤドリギを「平和の象徴」としたのだと伝えられている。

また、古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、「ドルイドの司祭たちはヤドリギを崇拝していた」と記しており、そのこととも、関係があるのかもしれない。

その後、ヤドリギは17世紀に発表された詩や、1784年に公開されたコミック・オペラ、チャールズ・ディケンズの連載小説などにも登場している。

アメリカでは19世紀に入り、ヨーロッパを旅行中にクリスマスの伝統について学んだワシントン・アーヴィングが『昔なつかしいクリスマス』を出版したことがきっかけとなり、広く知られるようになったとされている。

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クリスマスツリーのデコレーション

発祥の地ドイツで何世紀も前から続く伝統のクリスマスツリーは、12月24日の聖人アダムとイヴの記念日(聖名祝日)に常緑樹にリンゴを飾っていた「パラダイスツリー」がその前身だとされている。

そしてその伝統はイギリスでも、移住してきたドイツ人たちによって広められていった。特に、ドイツ生まれのアルバート公がヴィクトリア女王の夫となったことで、それはイギリスに確実に根付くことになった。

アメリカでは、人気のあった女性誌が1850年にデコレーションを施したクリスマスツリーを紹介したことで、多くの人がツリーを飾るようになったとされている。1851年にはNY市内に初めて、州北部のキャッツキル山地で伐採されたツリーの屋外販売所が開設され、1870年代にはすっかりアメリカの伝統の一部となっていたとみられる。

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クリスマスカード

19世紀、クリスマスシーズンの手紙のやりとりの多さに閉口していたロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の初代館長、ヘンリー・コールは1843年、アーティストの友人にカードにイラストを描いてほしいと依頼。それが、最初のクリスマスカードになったとされている。

その後、アメリカではミズーリ州カンザスシティでポストカードを製造・販売していたホール兄弟(後にホールマーク社を設立)が、1915年にクリスマスカードの販売を開始。

年末年始の挨拶もオンラインで済ませるほうがずっと簡単ではある一方、アメリカでは今も毎年およそ13億枚のクリスマスカードが発送されている。

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プレゼント交換

ローマ時代以前の習慣では、お互いに贈り物をすることは隣人との良好な関係を維持することが目的だったとみられ、年明けに行われていた。その後、毎年12月の冬至の時期に農神サテュルヌスを祝う祭りを行うようになったローマ人たちは、そのときにプレゼントを交換するようになったといわれる。

キリスト教が広まっていくなかでも、贈り物の交換は年始に行われていた。だが、聖書には幼子イエスに黄金と乳香、没薬を捧げるため、旅をした東方の三博士(マギ)が登場。そのこととの関連性もあったのかもしれない。中世に入ると、人々は身分にかかわらず、この祝祭日にも贈り物をするようになった。

イギリスではヴィクトリア朝時代に、クリスマスは「家族で祝うもの」になった。アメリカにはドイツからの移民たちによって、サンタクロース(聖ニコラウス)の物語が広められた。20世紀には、現在のように家族間でプレゼントを交換する習慣が根付いていたとみられている。

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ポインセチア

ポインセチアは初代の駐メキシコ・アメリカ大使だったジョエル・ロバーツ・ポインセットが1800年代前半にアメリカに持ち帰ったもので、それにちなんで「ポインセチア」と呼ばれるようになった。メキシコとそれ以南のラテンアメリカの国々が原産のこの低木を飾ることが、アメリカでクリスマスの習慣になったのは20世紀に入ってからのこと。

ポインセチアがクリスマスのシンボルとされるようになったのは、赤い苞葉(ほうよう)の配置がベツレヘムの星を連想させるためだといわれている。大半の人が花だと思っているポインセチアの赤く色づく部分は、実は花芽を保護する「苞」と呼ばれる葉(苞葉)のこと。

アメリカでは1950年代に、カリフォルニア州南部にあるエック家の農場で、植木鉢での栽培に適した植物にするための改良が開始された。その後、1960~70年代にかけて、人気のテレビ番組を通じた販売が開始されたことによって、クリスマスの花とされるようになりました。

現在では、渦巻きのような模様や斑入り(ふいり)の苞葉が特徴のものから、その色が白やピンクのものまで、さまざまなポインセチアが販売されています。

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アドベントカレンダー

アドベントカレンダーは、ドイツの家庭で子どもたちが12月25日の降誕祭や年明けの1月6日に祝う公現祭(東方の三博士が訪れ、キリストの誕生を祝った日とされる)までの日数を数えるのを助けるために使われたものが起源だとされている。

印刷された最も古いアドベントカレンダーは、1900年にミュンヘンで制作されたものだそう。そして、ドイツの出版社ゲルハルト・ラングは1904年から毎年、児童書のイラストレーターにデザインを依頼した新版を発売するようになった。

チョコレートを入れたアドベントカレンダーが登場したのは、1926年といわれており、現在では、キャンディ類からコスメやフレグランス、ワイン、ペットのおやつまで、あらゆる製品を使用したアドベントカレンダーが販売されている。

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ユールログ(ブッシュ・ド・ノエル)

キリスト教が広まる前の北欧には、1年で最も日照時間が短い冬至を光と火で祝う「ユール」という祭りの伝統があった。大きな丸太(ユールログ)を燃やし、その火を12日間絶やさないようにしていたその習慣は、経緯は不明であるものの、その他の多くの風習と同じように、キリスト教のクリスマスのお祝いに取り入れられるようになった。

日本ではフランス語の「ブッシュ・ド・ノエル」の名で親しまれ、現在はロールケーキとしてつくられるのが一般的になったユールログ。ルーラード(巻いた)スタイルのこのケーキは、メレンゲでつくった小さなキノコや、砂糖漬けのクランベリーで飾りつけたりする。

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ジンジャーブレッドハウス(ヘクセンハウス)

クリスマスに「お菓子の家」がつくられるようになったのは、16~18世紀のドイツだとされている。その後、1812年にグリム兄弟がドイツで語り継がれてきた民話をまとめた『グリム童話集』を出版。そこに登場する『ヘンゼルとグレーテル』、森の中で道に迷い、パンやケーキ、砂糖でできた魔女の家を見つける兄妹の話によって、「お菓子の家」はより広く知られるようになった。

イギリスでどのようにしてお菓子の家をつくることがクリスマスの習慣になったのか、その経緯は明らかにされていない。ただ、英国のレシピ編さん者レディ・アン・ブレンコーが1694年から書き溜めていたレシピにはジンジャーブレッドのつくり方が含まれており、当時からすでに一般的なお菓子になっていたと考えられる。

ジンジャーブレッドハウスもまた、ドイツとイギリスからの移民たちによってアメリカにもたらされた伝統で、現在では世界中のホリデーシーズンに欠かせないものの1つとなっている。年末年始には各地で、プロ・アマチュアを問わずお菓子づくりの腕を競うジンジャーブレッドハウス・コンテストが開催されている。

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キャンディケイン

羊飼いの杖(ケイン)に見立てた「キャンディケイン」は1670年、ドイツのケルンにあるケルン大聖堂の聖歌隊の隊長が、礼拝が行われている間は子供たちがおとなしくしていてくれるようにと考え、配ったのが始まりだといわれている。

ヨーロッパでは古くから、クリスマスツリーのデコレーションにクッキーやスティックキャンディなど、食べ物を型どった飾りが取り入れられていた。そうした習慣も、移民たちによってアメリカに伝えられた。

例えば、オハイオ州ウースターではドイツから移住したオーガスト・イムガードが1847年、森から切り出した木に紙の飾りやクッキー、キャンディケインなどでデコレーションを施し、クリスマスツリーとして飾り、それが近所の人たちの間で評判になり、広まっていったことが伝えられている。

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焼き栗

ヨーロッパグリは4000年以上前に、ギリシャで栽培されるようになった。そして、栄養価が高い栗をヨーロッパ全域に広めたのは、ローマ人たちだった。秋の終わりから冬の初めにかけてたくさんの実をつける栗が、お祝いの季節に欠かせないものになるのは自然なことだったと考えられる。

アメリカでは、焼き栗がクリスマスの定番になったのは1800年代。山積みの栗を輸送する列車を紹介する新聞記事がきっかけだったという。だが、当時は豊富にあったアメリカグリの木は残念ながら、胴枯れ病が広まったことで、50年ほどの間に全滅してしまった。

その後はグレート・チェスナット・エクスペリメントといった企業が、病気に耐性のあるアメリカグリの栽培から関連製品の開発などまでを行っている。

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『スヌーピーのメリークリスマス』

もちろん、これはその他の習慣のように、古い起源をもつものではない。だが、アメリカで1965年に初めて放送されたスヌーピーのメリークリスマス(原題:A Charlie Brown Christmas)は、クリスマスに欠かせないものの1つになっている。

1950年から新聞で連載が開始された連載マンガ『ピーナッツ』のメインキャラクターが登場するこのクリスマスの特別番組は、作者のチャールズ・シュルツとプロデューサーのリー・メンデルソン、アニメーターのビル・メレンデスの協力によって制作された。

いくつかの思い切ったことに挑戦したこのアニメ番組は、訓練を積んだ大人の声優ではなく、子供たちを起用した。また、背景音楽にジャズを採用した他(現在では珍しいことではないが)、録音された笑い声を入れなかった。

さらに、シュルツは同作に登場する知性的なキャラクター、ライナスに聖書(聖ルカによる福音書 第2章8-14節、降誕の場面)を朗読させることを主張した。シュルツの妻によると、アニメーターから「アニメ番組でそのようなことをした例はない」と言われたシュルツは、「私たちがやらなければ、誰がやるんだ」と答えたと言う。

この番組は、優れた放送作品に贈られるピーボディ賞、優れたテレビ番組と製作関係者に贈られるエミー賞をどちらも受賞している。放送から50年が経った2015年には、記念コンサート(写真)も行われている。

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