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ローマ帝国と唐の時代に「人と暮らすネコ」が知らぬ間に別系統に入れ替わっていた

  • 2025.12.1
Credit:川勝康弘

ネコ好きな人ならば、日本の路地裏のキジトラも、ノルウェーの森で暮らすモフモフの長毛種も、北アフリカにいた「リビアヤマネコ (F . lybica)」であることは知っているでしょう。

ですがヤマネコならば世界中に存在します。

日本でもイリオモテヤマネコというアジアに広く分布するベンガルヤマネコの近縁の野生ネコが存在します。

しかし日本各地の軒先で寝ているイエネコたちの遺伝子は、日本の地元のヤマネコではなく、世界中のイエネコと同じく北アフリカ起源のヤマネコ (F. lybica) の系統を祖先に持つと考えられています。

なのになぜ北アフリカのヤマネコだけが世界中に広がり、私たちのイエネコとしての「ネコ枠」を独占しているのでしょうか?

イタリアのローマ・トル・ヴェルガータ大学(University of Rome Tor Vergata)や中国の北京大学(PKU)で行われた2つの研究によって、人間と一緒に暮らしていた中国とヨーロッパのネコが気付かない間に別系統になっていたことが示されました。

研究では「かつて中国やヨーロッパなどで、地元のヤマネコたちが地域ごとに人と一緒に暮らしていたものの、あとから流れ込んだ北アフリカ製のヤマネコにその座を奪われた」ことが示されています。

なぜ北アフリカのヤマネコだけが、世界を席巻する魅力を持ちえたのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年11月27日に『Science』および『Cell Genomics』にて発表されました。

目次

  • 中国とヨーロッパで確認された猫の入れ替わり現象
  • なぜリビアヤマネコは地元のヤマネコを置き換えたのか?
  • 今では世界各地のヤマネコがイエネコに置き換わりつつある

中国とヨーロッパで確認された猫の入れ替わり現象

中国とヨーロッパで確認された猫の入れ替わり現象
中国とヨーロッパで確認された猫の入れ替わり現象 / Credit:Canva

誰もが知る猫と人間のファーストコンタクトとして以下のような物語が知られています。

その物語とは簡単に言えば

農耕の始まりとともに人類の集落に穀物の蓄えが生まれると、それを狙うネズミが大発生し、それまで人里離れた場所にいたヤマネコが人間の居住地でネズミを狩るようになった。人間にとってもネズミ退治をしてくれるネコは有益であり、古代の農耕民は喜んで受け入れた。加えて猫は人間の主食である穀物には興味がなく「主食が競合しない」という大きなアドバンテージがあった。

というものです。

イエネコの祖先である北アフリカのヤマネコも、ネズミを追ってエジプトの穀倉地帯やメソピポタミアの肥沃な三日月地帯へやってきたと考えられています。

しかし実はヤマネコがネズミを追って人間の居住地にやってくるという事例は、意外にも いくつもの地域で確認されている 現象でした。

たとえば中国では紀元前3400年ごろから紀元150年ごろまで人里に出入りしていた猫はアジアヤマネコと呼ばれる北アフリカのヤマネコとは異なる種でした。

実に3500年という期間、アジアヤマネコは中国の人々の間でネズミを狩る「ほぼイエネコ」のポジションを維持していたのです。

ただ残念なことにその後約600年間に渡り、ネコの痕跡は中国の遺跡から姿を消しました。

アジアヤマネコの痕跡が途絶えた理由として研究者たちは、紀元150年ごろが漢王朝末期~崩壊直前にあたる時期で、戦乱・寒冷地化・農業生産の低下・人口減少が重なったことを背景に、こうした変化が起きたと考えています。

この混乱の時代に大規模な農村や穀物倉が減り、ネズミも減り、アジアヤマネコも元いた山に去ってしまった と考えられています。

アジアヤマネコは人間の居住地に住み込みイエネコになり得る極めて有力な候補でありながら、家畜化(イエネコ化)には失敗し、人間の元を去ってしまったのです。

そして現在の中国にいるイエネコの ゲノム(生き物が持つ遺伝情報) を調べると、西アジア〜北アフリカのヤマネコ起源で説明できる ことがわかりました。

空白の期間を突かれて、今から1400年前の唐の時代に人間のネコ枠を北アフリカ産のヤマネコに奪われてしまったのです。

同様のいいところまで家畜化(イエネコ化)したものの、結局は失敗した例はヨーロッパでも知られています。

ヨーロッパにはアジアヤマネコとは異なるヨーロッパヤマネコがおり、地元の農業文明でネズミを狩る存在として有難がられていました。

実際、2025年に行われた最新の研究では、ローマ帝国期以前(紀元前)のヨーロッパ各地のネコの骨を分析した結果、すべてがヨーロッパヤマネコ系統に属することが示されています。

しかし現在のヨーロッパにいるイエネコはほぼ全てが北アフリカのヤマネコを祖先に持っており、ヨーロッパヤマネコは人間の元を去ってしまったことがわかっています。

つまりヨーロッパヤマネコも家畜化(イエネコ化)の有力な候補でありながらも、最終的には家畜化に失敗してしまったのです。

ヨーロッパイエネコには中国のアジアヤマネコのように農業文明が大規模に崩壊したという背景は、少なくとも今回の研究では主要な理由としては挙げられていません。

そのため地元のヤマネコに愛想をつかされたわけではないようです。

しかし今から2000年前ごろになると、北アフリカのヤマネコ(Felis lybica)由来の系統(すなわち現代のイエネコの祖先)が急速に欧州全域へ広がり、地元のヨーロッパヤマネコは人間の元から去っていきました。

そして北アフリカのヤマネコの遺伝子は現在に至るまで大部分のヨーロッパのイエネコに引き継がれています。

つまり北アフリカのヤマネコがヨーロッパヤマネコの「ネコ枠」を完全に奪い去ってしまったのです。

これらの結果は北アフリカのヤマネコが、中国でもヨーロッパにおいて、地元ヤマネコがいたにも関わらず、シェア争いの勝者になったことを示しています。

中国の場合はライバルがいないスキを狙われましたが、ヨーロッパの場合は地元ヤマネコを人間の元から押し出す形でシェアを獲得した感じだと考えられます。

そうなると疑問が湧きます。

なぜ北アフリカのヤマネコだけが、家畜化に成功し、世界を席巻することになったのでしょうか?

なぜリビアヤマネコは地元のヤマネコを置き換えたのか?

なぜリビアヤマネコは地元のヤマネコを置き換えたのか?
なぜリビアヤマネコは地元のヤマネコを置き換えたのか? / Credit:Canva

なぜ、北アフリカのヤマネコF. lybicaだけが「完成品イエネコ」になるところまでたどり着けたのでしょうか?

ここでは、家畜化研究とゲノム研究から見えてきた「チューニングの中身」を、階層ごとにざっくり見ていきます。

まず時系列です。

進化生物学者のDriscollらが描いたモデルでは、北アフリカのヤマネコの家畜化にはざっくり次のステージがあります。
肥沃な三日月地帯〜ナイル上流の半砂漠・ステップに住み、小型げっ歯類を狩る単独ハンター。
農耕が始まり、穀物倉やゴミ捨て場にネズミが大発生。好奇心が強く、人間にあまりビビらない F. lybica 個体が、村の周りに通い始める。キプロス島の9,500年前の「人とネコの合葬墓」は、この段階の象徴とされる。(中国のレオパードキャットやヨーロッパヤマネコも、似た時期までは進んだと考えられます)
村ごとに“人慣れヤマネコ”が定着し、自然選択によって「人や他のネコに寛容な性格」が少しずつ増える。ただし繁殖の主導権はまだネコ自身にあり、完全な家畜とは言い難い。
新王国期エジプトの絵画には、首輪をつけ、家の椅子の下で餌をもらうネコが繰り返し描かれる。女神バステト信仰や大量のネコミイラから、神殿での集団飼育・計画的繁殖が行われていたと推定される。
ここまでチューニングされた F. lybica 由来のイエネコが、地中海の船やローマ帝国の交易網、さらにシルクロードに乗って世界各地に運ばれていく。
エジプトのナイルや肥沃な三日月地帯は農業が特に盛んであり、北アフリカのヤマネコたちはネズミだけでお腹いっぱいになっていたことでしょう。

一方で人間のほうは、ネズミを退治してくれる北アフリカのヤマネコに対して 中国やヨーロッパではほとんど見られない規模の「神格化」 という文化的な側面からの支援を与え、人間との関係が長期化し、寺院などでの大量飼育もおこなわれました。

さらにネコは豊穣の女神バステトと結びつき、神殿で大量に飼育され、ミイラとして埋葬されました。国外にネコを持ち出すことが禁じられていた、という記録すら残っています。(※実際には交易や密輸によってエジプト猫は地中海世界に広がっていきます)

すると北アフリカのヤマネコたちの間で進化が起こりました。

行動面では、「怖がりすぎない」「他のネコと同居できる」「人間をある程度は信頼できる」という性質が少しずつ濃くなっていったと考えられています。

また脳と遺伝子のレベルでも、微妙なチューニングが行われました。

ゲノム解析では、恐怖条件づけや記憶、報酬系に関わる神経遺伝子群に強い選択のシグナルが見つかっています。

要するに、「新しい刺激に対して過剰にパニックを起こさず、人からのご褒美や安心感を学習しやすい脳」へと、じわじわと偏りが生じてきたということです。

これは古典的な「キツネを何世代も選んで飼いならすと、勝手に“イヌっぽくなる”」実験ともよく似ています。

見た目も、少しずつ“人間好み”に寄っていきました。

現代のイエネコは野生のヤマネコに比べるとわずかに小柄で、顔つきが幼く、毛色や模様のバリエーションが極端に広がっています。

とくにエジプト以降の時代になると、斑や白斑、トラ模様など、「人が面白がって残したくなる柄」が増えていきます。

このあたりは、もはや自然選択というより「エジプト人とその後継文明による猫いじり」の結果と言ってもいいかもしれません。

このように北アフリカのヤマネコだった存在は、人間社会で進化していくことで人間好みのツンもデレも兼ね備えた「真のイエネコ」になっていったのです。

そしてこの真のイエネコがヨーロッパに持ち込まれると、ヨーロッパヤマネコは人里から元々の山に生息地を戻していった と考えられています。

さらに興味深いことに、DNAの分析によると、ヨーロッパでのネコ枠の置き換えは今からおよそ2000年前のローマ全盛期であったことがわかりました。

これはヨーロッパに北アフリカ生まれのイエネコが入り込んだのは 新石器時代にはすでに起きていたと長く考えられてきましたが、 実際は遥かに浅い歴史しかなかったわけです。

まとめると「新石器時代〜鉄器時代まではヨーロッパヤマネコだけの世界」→「ローマ帝国期に、北アフリカ製の“イエネコ完成品”が大量流入」→「その子孫が、現代ヨーロッパのペットネコのほぼすべてを占める」といった感じです。

エジプトでチューニングされた「真のイエネコ」は野生的過ぎるヨーロッパヤマネコに比べて人間にとって非常に好ましい存在であり、置き換えは容赦なく進んでいったと考えられます。

実際この時期のローマ帝国の文字資料や絵の中にイエネコ的な猫の登場が増えていったことは考古学的には知られています。

ただ悲しいのは、人類たちは自分たちのそばにいるネコの系統が入れ替わってしまったことに気付かなかったようです。

今では世界各地のヤマネコがイエネコに置き換わりつつある

今では世界各地のヤマネコがイエネコに置き換わりつつある
今では世界各地のヤマネコがイエネコに置き換わりつつある / Credit:Canva

こうして北アフリカのヤマネコ由来のイエネコは、ローマ帝国やシルクロードのネットワークに乗ってユーラシアの主要都市へ広がり、各地の「ローカルほぼ家ネコ候補」を押しのけて、ペットのネコ枠を独占していきました。

でも物語はそこで終わりません。

21世紀のいま、イエネコは単に“ネコ枠”を奪っただけでなく、野生のヤマネコそのものを遺伝子レベルで侵食し始めていることが、いくつかの研究から示されています。

ヨーロッパでは、古代にはきれいに分かれていたヨーロッパヤマネコとイエネコが、近代以降の人里拡大とペット増加によって 交配する例が増え、地域によっては大きな問題になっています。

古代DNAと現生ゲノムを比較した研究によると、「純粋なヨーロッパヤマネコ」がほとんど残っていない地域も出てきており、一部の保護区では「どこまでがヤマネコで、どこからがイエネコの血か」をめぐって議論が続いています。

中国西部では、「中国マウンテンキャット」と呼ばれる山地性のヤマネコと、近くの農村で飼われるイエネコのあいだで 数%レベルの遺伝子のやりとりが起きている ことが報告されています。

かつてレオパードキャットが“ほぼ家ネコ候補”として村に出入りしていた中国の山岳地帯でも、いまはF. lybica系イエネコが山に入り込み、一部の地域では逆に野生側の遺伝子プールを塗り替え始めていると懸念される、という皮肉な状況です。

かつて世界には、中国のレオパードキャットやヨーロッパヤマネコのような“ローカルほぼ家ネコ候補”がたくさんいました。

彼らは、完成品イエネコが到来したとき、人間社会のネコ枠から押し出されました。

いま私たちが直面しているのは、その次のフェーズ――比喩で言えば、「世界のヤマネコそのものが、F. lybica単一フォーマットのネコに吸収されていく」という段階に達しつつある、ということかもしれません。

膝の上でのどを鳴らしているネコは、北アフリカで生まれたローカルブランドがチューニングされ、文明とともに世界に広がった“グローバル製品”です。

その成功の裏側で、どれだけ多くのローカル候補と野生のネコたちが席を譲らされてきたのか。

「かわいい」の向こう側にある、この長い競争と置き換えの歴史を知ることは、これからの“ネコとの付き合い方”を考えるうえで、静かなスタートラインになるのかもしれません。

元論文

The dispersal of domestic cats from North Africa to Europe around 2000 years ago
https://doi.org/10.1126/science.adt2642

The late arrival of domestic cats in China via the Silk Road after 3,500 years of human-leopard cat commensalism
https://doi.org/10.1016/j.xgen.2025.101099

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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