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「優先されて当然だろ?」「感謝の気持ちはないのか?」“子連れ様”論争が再燃!「ベビーカー優先」エレベーター問題に見る《マナーとルール》のバランス

  • 2025.11.4

SNSで頻発する「子連れ様」「子持ち様」論争

SNSで頻発する「子連れ様」「子持ち様」論争
SNSで頻発する「子連れ様」「子持ち様」論争

「子連れ様」「子持ち様」とは――。SNS上で使用されるこれらの言葉は、主に「子育てをしているという理由で、公共の場での配慮や譲歩を過度に要求したり、横柄な態度を取ったりする親」を揶揄(やゆ)する目的で使われるスラングです。この言葉が登場する背景には、「子育て世代への配慮」と「利用者間のマナー・公平性」のバランスが崩れているという、一般利用者の不満の蓄積があります。

「子連れ様」ということばがSNSを炎上させるたび、激しい論争が巻き起こります。今、その火種は「ベビーカー・車いす優先エレベーター」へ。単なる「優先」をめぐる権利とマナーの対立を超え、「子どもがいるから偉い」と感じさせるような態度への不満、さらには「同行者」のエレベーター利用の是非にまで議論が広がり、社会の断絶が浮き彫りになっています。

発端は名古屋のデパートから!「場が凍った」一言の波紋

今回、議論のきっかけとなったのは、11月上旬ごろに投稿されたX(旧ツイッター)上の体験談でした。

投稿者が名古屋のデパートの優先エレベーターに乗り合わせた際、満員にもかかわらず、途中階からベビーカー連れの夫婦が乗車しようとしたといいます。

見かねた他の利用者が自ら降りてスペースを譲ったところ、ベビーカーの母親が「ベビーカー優先のエレベーターだしね」と、周囲に聞こえるように放ったという内容でした。

この投稿には、「優先されて当然といった傲慢な態度だ」「感謝の気持ちがないのが残念だ」といったもやっとした気持ちが添えられています。「子連れは優先されて当然」という“マウント”のように見える姿勢が、再び「子連れ様」論争に火をつけることとなりました。

モヤモヤする人々の本音は「上から目線に感じる」と「同行者」への疑問

この投稿に多くの人が反応したのは、エレベーター以外の手段で移動可能な利用者が抱く「譲歩したのに、感謝もされない」というモヤモヤを代弁したからです。

たとえルール上ベビーカーが優先されるべきであっても、親切を無にするような振る舞いは、「子連れに対して不快な感情を抱いてしまう」といったネガティブな感情を誘発します。

さらに、今回の事例のようにベビーカーを押す「親」だけでなく、「その同行者(ベビーカーを押していない親)」までエレベーターに乗る必要性があるのかという点についても、疑問の声が上がっています。

「ベビーカーを押す親は仕方ないとしても、もう一方はエスカレーターを使えないのか」「同行者がいるなら、荷物を持って先回りするなどの配慮があっても良いのではないか」

といった意見も散見され、この感情的な摩擦が、過去から繰り返されてきた「子連れ様」論争の根底にあるといえます。

子連れ側が訴える「現実の理不尽」とは

しかし、この批判に対し、子連れ側からは反発が寄せられています。彼らが訴えるのは、「安全な移動手段がエレベーター以外にない」という現実と、「優先ルールがあるのに守られていない日常」の理不尽さです。

「優先エレベーターはルールに基づきベビーカーが優先されて当然だ。なぜ子連れだけが『当然』と批判されなくてはならないのか」

「ベビーカーはエスカレーターに乗れない(事故リスクが高い)。優先エレベーターすら満員で乗れない現状を、他の利用者は意識しない」

報道によると、ベビーカー関連のエスカレーター事故が報告されており、ベビーカー利用者がエレベーターにこだわるのは、安全確保のための切実な理由があるのです。彼らにとって、「優先」はマナーではなく命と直結する「ルール」なのです。

「ルール」と「マナー」の永遠の対立

国土交通省のガイドラインでもベビーカー優先が推奨されている通り、移動困難者の円滑な移動を保障することは社会的な責務です。今回の論争の対立点は、大きく「ルール(権利)」と「マナー(態度)」の二点に集約されます。

ベビーカー擁護派は「ルール(権利)」の徹底を主張し、安全のためにも施設の改善を求めています。対する他の利用者(批判派)は、ベビーカー利用者側の「マナー(態度)」の欠如を問題視し、相互の思いやりを訴えています。

ベビーカー利用者が「優先」の権利を行使する際も、譲ってくれた人への「ありがとう」の一言は、社会の分断を防ぐ重要なマナーです。同時に、エレベーター以外の手段で移動可能な利用者も、ベビーカー利用者がエスカレーターを使えないという安全上の現実を理解し、「お互い様」の精神を持つことが求められます。

論争を終わらせるには?

この「優先」をめぐるマナーとルールの論争が繰り返される中で、根本的な解決策とされるのが「専用エレベーター」の増設です。

その好例が、東京・渋谷にある「渋谷スクランブルスクエア」の取り組みです。この施設では、ベビーカーや車いす利用者、およびそれに準ずる人を対象とした「専用」のエレベーターを複数設置し、一般利用者の利用を明確に区別しています。

しかし、このインフラ整備による解決策は一歩前進ですが、車いすユーザーである作家の乙武洋匡氏は、「専用」と明記されていても、課題は山積みであると、すでに2023年2月には指摘しています。

乙武氏は自身のX(旧ツイッター)などで、渋谷スクランブルスクエアの「専用エレベーター」について、

「“専用”と書いてあっても、エレベーター以外の手段で移動可能な方々で満員。見送らざるを得ないことが日常化しています。『専用』と書いてもダメなら、いったいどうしたら……」

と、本来の利用者が乗れない現実を報告しています。

これは、インフラが「専用」化されても、ルールやモラルが追いついていない現実を示しています。「専用」という言葉が、エレベーター以外の手段で移動可能な人々に「自分たちには関係ない」と受け取られ、結果としてエレベーターの利用を強く求める人々(車いすやベビーカー利用者など)と、それ以外の利用者との間に、かえって「分断」を生んでしまっているのではないかという、根深い問題を示唆しています。

「子育てしやすい社会」の実現には、ルール整備だけではないことがこの「子持ち様論争」が示唆しています。「お互い様」の精神を持つことが、この論争を終わらせるための鍵となりえるのでしょうが……。

(足立むさし)

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