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【中学受験】小6の長男、過去問に手を出したら…震えるほどヤバい事実が判明した…。

  • 2025.10.17

小6長男の中学受験が、いよいよ佳境にはいってきました。前回のコラムでは「あと100日を切りました!」なんて、焦りつつも爽やか風に書いていましたが……。はい、ここで訂正。爽やかだったのはあの時だけです。今の我が家、空気は湿度100%・プレッシャーMAX・睡眠不足200%。“中学受験という名のジェットコースター”が、いよいよ最終カーブを曲がろうとしています。きっとここからも最終カーブのうねりが続きまくると思います。安全バーから手を離さないように!

マズイことしか起きてない我が家、またマズイこと発生

うん。ここにきて、またマズイことが起きました。いや、正直に言うと、マズイことしか起きていないのが我が家の平常運転。ただ、今回のマズさはちょっとレベルが違いました。志望校の過去問を、メルカリや各種ネットワーク、あらゆる手段で集めに集め――気づけば十数年分。これはもう「コレクター」か「アーカイブ管理人」か、もはやどちらか分かりません。えー過去問なんてネットで売ってるじゃん!と思うかもしれませんが、違います。需要が多い最上位校だったら手に入るでしょう。ですが、ボリュゾ(ボリュームゾーン)が受けに行くような学校は、そう簡単にむかーしの過去問が手に入る訳ではない。直近は売っていますが、10年前となると入手困難。子供への受験サポートが下手な私ですが、過去問の入手と受験の手続きだけは抜かりなく!と思いながら生活をしてきました。他のサポート、お弁当は作ったことないですし(塾の近くのお弁当屋に委託)、勉強も国語以外は全部本人任せ。ファイリングは下手くそですし、グズグズもよいところです。ですが宣言通り、十数年分の過去問を入手。そして我が家は、最も古い年度から順に解いていました。「過去を知れば未来が見える」とか、そんな悟りを開いたようなノリで。夏休み前から過去問三昧。傾向もつかめてきて、「よし、9月はタイムを縮めて、過去問をさらにシビアにやろう!」なんて、もはや中学受験界のアスリート宣言。が、ここで異変が起きます。

塾からの指令「近年の過去問はやらないで~!」

先週、ふと思ったんです。「そろそろ直近、去年の過去問、やっといた方がいいんじゃ?」と。でも、塾からはこう言われていました。「近い年度の過去問は塾で使うから、あんまりやらないで~!」“あんまり”ってどのくらい?“ちょっとだけ”ならいいの?その曖昧さが母にはつらい。とはいえ、直近5年分以外の過去問はほぼ消化済み。ここまで来て、「やることがない」という受験家庭の奇跡的事態。「どうする? 100日切ったし、記念に去年のやってみる?」そんな軽いノリで、我が家はついに禁断の封印を解きました。

ついに解禁、2025年度(昨年度)過去問!

長男も、どこか緊張した面持ち。無理もありません。去年の問題といえば、知っている中1の先輩たちが実際に受けた問題。

いざスタート。

国語が終わった瞬間、長男が言いました。「お母さん、なんか、すごく難しかった……」算数が終わった瞬間。「あれ? 得意な算数でやらかしたかも」設問形式も、難易度も、まるで別世界。古い過去問で鍛え上げた筋肉が、まったく通用しない。いや、通用どころか――「野球の素振りを10年分やってきたのに、いきなりサッカーの試合に出された」そんな感じ。本人、呆然。母、呆然。家中、沈黙。あれだけ過去問をやり込んできたのに、なぜ……。なんとなんと、簡単に言うと、

時代が変わってた

問題を見比べてみると、明らかに傾向が変わっていました。特に算数の思考力問題と国語の記述。ここ数年、5年ほどで出題傾向がガラリと変化。より「思考力・記述力・論理構成」を問う方向に。つまり――十数年前の問題は、“まるで別の競技”。「え、これ、同じ学校の入試?」って疑いたくなるほど。まさかの“過去問耐性ズレ”発覚。これまで「うちの子、この学校に合ってる!」と微笑み合ってたのは、過去のその学校だったのです。

焦り、そして冷静に分析する夜

全然点が足りない。足りないどころじゃない。これは、根本的にやり方を見直すしかない。100日切ってから、そんな現実を突きつけられた母。頭の中で「やばい」「どうしよう」「もう無理」の三重奏。でも、ふと冷静になって考えました。過去問って、「点を取るための練習」でもありますが、「その学校の思考を理解するための作業」なんですよね。古い問題をやることで基礎力はつくけど、直近の問題をやらなければ“今の入試”の感覚は掴めない。ここはイタイところ。ただ、4教科をぶっ通しで午前中ずーっとテストに打ち込むという集中力・体力・精神力は確実に養われた。つまり――古い過去問を数年分もやってきたのはムダじゃない。……はず(強めに言い聞かせ中)。とはいえ、母も菩薩観音ではない。精神修行もできていない。

母、焦る焦る焦る~~~!

心の中は焦りのお祭。えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、よいよいよいよい~焦る・落ち込む・また焦る。「なんでこんなことに!」「でも夏の時点じゃ塾の予定わからなかったし!」「むしろ塾が使う問題を避けられただけ良かったんじゃ!?」と、自分を慰める言葉を探して徘徊。そして思う、「ギリギリまで昨年の過去問を残しておかなくてよかった~」あくまでも我が家の場合です。繰り返しますが、昨年度の過去問は、塾で『対策をする』というカテゴリーに入っていなかったから手を出しました。このころ合いや対応の仕方は塾や受ける学校によっても違うと思います。過去問は限られた年度しかないものなので、ご利用は計画的に…ってお前が言うなよ。この「母の精神修行」こそ、中学受験の本番なのかもしれません。子どものメンタルより、親の感情コントロールが試される。焦らない。比べない。振り回されすぎない。分かってるけど、できない。受験あるあるです。

ラストスパート、そして哲学タイム

関西の受験はあと3か月となりました。今の私は、もはや悟りを開いた僧のような心境です。過去問を通じて見えてきたのは、“効率”より“継続”、“最短距離”より“地道な努力”。それって、まさに人生と同じじゃないですか。長男も私も、タイパ良く仕上がるタイプではない。でも、泥臭くても、迷っても、転んでも、前を向いて進むことだけはやめない。それこそが、究極の「人生に必要なこと」なのかもしれません。その非効率の中にしか、「人間の底力」って育たない気がする。全然ダメでも、腐らず、諦めず、ひたすら向き合う。ずいぶん昔の過去問を通して、私たちはきっと“人生の問題”を解いていたのかもしれません。うん。前を向きます。受験生のみなさん、あと少し。健闘を祈ります!

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