1. トップ
  2. 実は“9年ぶり”の再タッグ “大泉洋でなくては成り立たない”…トップ脚本家が手がける傑作サバイバル映画

実は“9年ぶり”の再タッグ “大泉洋でなくては成り立たない”…トップ脚本家が手がける傑作サバイバル映画

  • 2025.11.22

大泉洋は、本当に稀有な才能を持った俳優だ。『水曜どうでしょう』の頃から、理不尽な目に遭うキャラクター像がよく似合うし、どれだけ大スターになっても、うだつの上がらない男を演じさせるとすごくハマる。それでいて格好良さも失わない。

そんな彼の魅力を存分に引き出しているのが、今期放送中のテレビドラマ『ちょっとだけエスパー』だ。「だれでもやっている」と本人がうそぶく程度の些細な横領で、離婚の慰謝料で借金だらけで住む場所さえ失った、職なし、希望なしの男がとある会社で「エスパーになって世界を救ってもらう」と言われて奇妙な事件に巻き込まれていく。取り柄のない男がヒーローへと変貌していく様をコミカルに描いた作品だ。大泉洋ではなくては成り立たないような主人公と言えるだろう。

undefined
大泉洋 (C)SANKEI

このドラマの脚本を書いたのは、いまや押しも押されるトップ脚本家となった野木亜紀子だ。大泉洋という俳優の特性をよく理解してキャラクターを組み立てている。その野木と大泉は、以前もうだつの上がらない男がヒーローになっていく様を描く作品でコンビを組んだことがある。花沢健吾のマンガを原作にした、2016年に公開された佐藤信介監督による映画『アイアムアヒーロー』だ。

冴えない男が本物のヒーローになるまでの物語

『アイアムアヒーロー』は、いわゆるゾンビものの体裁をとった非日常サバイバル活劇だ。主人公は、30歳半ばにもなって漫画家のアシスタントとしてパッとしない日々を送る鈴木英雄(大泉洋)。長年同棲している彼女(片瀬那奈)には、いつになったらデビューできるのかとどやされ、漫画編集者にも相手にされなくなりつつある。

そんな失意の日々を送っていた英雄だが、ある日、謎のウイルスが蔓延し、人々がおかしくなっていく。やがて、そのウイルスに感染した者はZQN(ゾキュン)と呼ばれるようになり、日本中がパニックになる。英雄の彼女もゾキュン化し命からがら逃げ出す英雄だが、街はすでに阿鼻叫喚の様相を呈していた。趣味で所有していた猟銃だけを持ち出し、途中で女子高生の比呂美(有村架純)と出会い、2人でショッピングモールへと逃げ込むことになる。

このような非常事態では、平和な日本では使う機会のない銃を使って、いまこそヒーローになるチャンスなのだが、いざとなると英雄は撃つ勇気が出せない。むしろ、比呂美に助けられる時もしばしば。物語は、ショッピングモールでのいざこざの中、彼がついに銃を手にして、押し寄せるZQNに立ち向かう姿を描く。

本作は、冴えない主人公が銃が趣味というだけの情けない男が、銃を撃てるようになるまでの物語を描いている。ゾンビパニック映画の本場アメリカなら、銃を撃つことはもっと容易だろうが、日本ではそうはいかない。日本を舞台にすれば銃を撃つのか、撃たないのかという葛藤で2時間の物語が作れるのだ。

大泉洋が、主人公の英雄を得意の巻き込まれ芝居で演じており、見事にはまっている。情けなさと理不尽に巻き込まれるという大泉の真骨頂とも言える要素をあわせもった役柄であり、そこからの成長が無理なく表現されている。中年の成長劇を演じさせたら、彼は本当にぴか一の役者だということがよくわかる作品だ。

その他、途中で半ZQN化する女子高生・比呂美を演じる有村架純、ショッピングモールで出会うたくましい女性の藪役の長澤まさみなど、力強い女性キャストの存在も作品の強度を高めている。

日常と非日常が混在するパニック描写が秀逸

本作は日本映画としては極めて大掛かりな撮影を敢行しており、アクション活劇としても見ごたえがある。街にZQNがあふれだす初期段階の頃に、救急車が炎上し、道路が事故車で溢れかえる中、ZQNの大群から逃げ出す英雄たちのシーンは圧巻だ。映画前半の山場となるシーンなのだが、ここで面白いのは日常と非日常が混在しているところだ。同じ画面の中で、ZQN化している人がいる一方で、それを気にせずに歩いている人々もいる。パニックの始まりというのは、案外そういうものかもしれないと思わせるリアリティがあるのだ。

そして、クライマックスのショッピングモールでは大量のZQNに猟銃だけで立ち向かう英雄の姿が描かれる。押し寄せるZQNを的確に撃ち抜く英雄の格好良さも見どころだが、容赦なく画面が流血と死体だらけになっていくのも圧巻。本作はR15+なだけあって、残酷描写も手を抜いていない。

「ただの“ひでお”です」が意味すること

本作はタイトルが示す通り主人公がヒーローとなっていく物語だ。元々、名前だけは“英雄”と書いて“ひでお”と読むこの主人公は、自己紹介する際もわざわざ「えいゆうと書いて“ひでお”です」と付け加えている。しかし、ショッピングモールでの活躍を経て、本当のヒーローになった時、彼は「ただの“ひでお”です」と名乗り方を変えるのだ。

本当のヒーローは、自分で自分のことをヒーローとは言わない。「ただの“ひでお”」と言えるようになったその時が、この主人公が本当にヒーローになった瞬間なのだ。「ただの“ひでお”です」と言う時の、大泉洋の力の抜けた言い方が実に素晴らしい。気取りも気負いも照れもなく、脱力した感じがとても様になっている。大泉洋ならではのヒーロー像が堪能できる一本だ。


ライター:杉本穂高
映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi