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5年前の朝ドラでふたりが見せた“演技の真骨頂” 4年後の“再共演の月10”で進化した姿で視聴者を圧倒

  • 2025.9.30

2020年に放送されたNHK連続テレビ小説『おちょやん』は、上方女優・浪花千栄子をモデルに、戦前から戦後にかけ、貧しい少女が女優として歩んだ半生を描いた物語だ。数々の人との出会いと別れを経ながら、竹井千代(杉咲花)は人生を切り拓いていく。そのなかでも特筆すべきは、物語序盤に出会う小暮真治(若葉竜也)との関係だろう。ふたりは互いに惹かれ合いながらも決して結ばれない。その“未完の関係”こそが、杉咲と若葉の演技の真骨頂であり、ドラマ全体に深い余韻を与えている。

熱と抑制:対照的な演技スタイル

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杉咲花(C)SANKEI

杉咲花の演じる千代は、人生の苦難を全身で受け止め、感情を迸らせる役柄だ。大声で泣き叫ぶのではなく、声の震えや目の動き、息遣いで“必死に生きる姿”を表現する。観客は彼女の一挙一動から、人生の重みや情熱を感じ取ることができる。

一方、若葉竜也の演じる小暮はその正反対にある。寡黙で抑制された演技。目線を逸らす仕草や言葉を飲み込む間合いに、誠実さと諦めきれない思いが滲む。彼の演技は、観客に“これは演技か、それとも素なのか”と錯覚させるほどの自然さを帯びていた。

このふたりのスタイルの対比が、画面のうえで絶妙な化学反応を生んだ。千代が夢へと突き進もうとする“熱”と、小暮が抑え込む“静”の間に火花が散り、視聴者はその一瞬の緊張に心を奪われるのだ。

求婚シーンに宿る“もし違う未来があったなら”

この物語においてもっとも象徴的なシーンのひとつ、小暮が千代に求婚する場面だ。貯金を失い、女優を諦めかけた千代に、一緒に東京に行こうと差し伸べられる手。だが千代は最終的に女優の道を選び、小暮の想いは叶わなかった。

この場面において、杉咲は涙をこらえながらも揺るぎない決意を目に宿す。一方、若葉は押し殺すような声で、それでも千代を想う心を滲ませる。互いに交わらないまま、しかし互いを強く照らし出す。視聴者の胸には“もし、ふたりが一緒に進む未来を選んでいたら”という想像が残り、その余韻が物語の奥行きを広げる。

ドラマにおける恋愛は多くの場合、結ばれるか破綻するかの二択で描かれる。だが『おちょやん』の千代と小暮は、そのどちらにも属さない。結ばれなかったこと自体が、物語に深いリアリティをもたらしているのだ。

人生において、出会ったけれど結ばれなかった関係は、誰の記憶にもひっそりと残るものだ。杉咲と若葉はその地に足着いた感情を、演技という枠を超えて観客に届けた。未完であることが、むしろ完成された愛以上の切なさと温度を持つ。その稀有な体験を視聴者に与えたのである。

『おちょやん』から『アンメット』へ:進化した共演

このふたりはその後、ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』でふたたび共演を果たした。記憶障害を抱える脳外科医を演じた杉咲と、寡黙な天才外科医を演じた若葉。『おちょやん』で見せた熱・静の対比はそのままに、互いの演技が成熟した形で結実した。

とりわけ長回しで撮られたシーンでは、セリフよりも沈黙と表情が支配する世界のなかで、ふたりの呼吸の合い方が視聴者を圧倒した。『おちょやん』での未完の関係が、新たな作品では信頼と共鳴へと移行していく。その道筋を見守ることもまた、視聴者の大きな楽しみとなった。

『おちょやん』の千代と小暮の関係は、物語の中心軸ではない。しかし杉咲花と若葉竜也というふたりの実力派が演じたからこそ、その未完の関係はドラマを支えるもう一つの大きな柱となった。

交わらぬふたりが照らし合い、互いの存在を通じて輝きを増す。その瞬間、ドラマは単なるフィクションを超え、人の記憶に深く刻まれる。

未完の共演が放つ余韻。それこそが『おちょやん』の最大の魅力の一つであり、ふたりの演技が証明した新しいドラマの表現の可能性だったのだ。


ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_