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1997年に放送された“独特の怪しさ”を放つ名作ドラマ 完璧な冒頭部分と“悪夢”を見ているようなオープニング

  • 2025.9.30
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室井滋 (C)SANKEI

1997年に放送された木村拓哉主演の『ギフト』は、記憶喪失の男が“届け屋”として様々な荷物を届ける姿を描いた一話完結のヒューマンドラマだが、第一話冒頭がミステリアスでとても魅力的なプロローグとなっている。
物語は木村拓哉のモノローグから始まり、人それぞれの“思い出話”について語られる中、室井滋が演じる車を運転する女が登場する。彼女は岸和田という男の家に踏み込むのだが、部屋は血痕だらけで、金庫に隠していたお金もなくなっていた。
そして、彼女がクローゼットを開けると全裸で血まみれの男がゴロンと倒れ落ちてくる。
この男を木村拓哉が演じているのだが、傷だらけでありながらギリシャ彫刻のような美しさと怪しい色気を漂わせており、思わず見入ってしまう。
その後、男は病院に運び込まれ、彼が記憶喪失だということがわかる。
そして再び木村のモノローグが被さりOP映像が流れるのだが、主人公を紹介する導入部として完璧である。

OP映像も魅力的で引き込まれる。ブライアン・フェリーの主題歌『TOKYO JOE』が流れる中、スーツを着た木村拓哉が怪しい荷物を持って歩く姿が流れるのだが、届けた先で荷物が突然動き出し、木村拓哉は荷物を追いかけることになる。映像は明るくポップだがどこか不穏で、悪夢を見ているようなバッドトリップ感が延々と続いていく。
そして不思議なOP映像が終わると、物語の舞台は3年後となる。記憶喪失の男は早坂由紀夫と呼ばれるようになり、彼を発見した女・腰越奈緒美(室井滋)の経営する人材派遣会社で、怪しい荷物を届ける“届け屋”として働いているのだが、スーツを着てマウンテンバイクで東京を疾走する木村拓哉の姿がとにかくかっこいい。

男が惚れる色気のある男を木村拓哉が演じたドラマ

物語は“届け屋”の由紀夫が荷物を届ける中で出会った人々とのヒューマンドラマと、彼の記憶にまつわる謎が少しずつ描かれていく。 脚本は『NIGHT HEAD』や『沙粧妙子-最後の事件-』の飯田譲治と、のちに『GOOD LUCK!!』や『エンジン』といった木村拓哉主演の連続ドラマを多数執筆する井上由美子が担当している。
どちらも作家性と職人性を兼ね備えた実力ある脚本家で、一話完結のドラマとしてのクオリティがとても高い。
そして、物語と同じくらい魅力的なのが小道具や建物のディテール。
由紀夫が暮らしている廃業したレンタルビデオショップの内装や、小道具として使われるストップウォッチや荷物を届けた証拠を撮影するポラロイドカメラの使い方など、描写の一つ一つがカッコよくて、映像を観ているだけで心地良い。
観ていて連想するのは、萩原健一が主演を務めた『傷だらけの天使』や松田優作が主演を務めた『探偵物語』といった70~80年代に作られた一話完結の探偵モノのドラマ。
また、当時の木村拓哉が醸し出す男の色気は、映画『太陽を盗んだ男』で主演を務めた沢田研二を彷彿とさせるものがあり、昭和に活躍した色気のある男性俳優がアウトローの危険な男を演じた名作ドラマや映画の平成版を、木村拓哉主演で作ろうという番組スタッフの意気込みが映像の節々から感じられる。

90年代の木村拓哉はアイドルグループSMAPとして活躍する傍ら、俳優としては高く評価されていた。
『あすなろ白書』や『ロングバケーション』といった恋愛ドラマでは、女性視聴者が憧れを抱く理想の恋人役を演じる一方、『若者のすべて』や『人生は上々だ』といった青春ドラマでは、どこか影のあるアウトローの男を演じ、男から見ても魅力的な俳優だった。

『ギフト』の由紀夫はどちらかというと後者の役柄で、当時の木村拓哉が持っていた影の部分が強く打ち出されており、本作で平成の沢田研二になってほしいという作り手の思いが映像の節々から伝わってくる。

昭和を感じるノスタルジックなドラマの中にある平成の空気

その意味でも、放送当時はどこか昭和の空気が漂うノスタルジックなドラマというのが『ギフト』の印象だった。
しかし、主人公の由紀夫は記憶喪失で自分のことがわからない男となっていた。
これは『傷だらけの天使』や『探偵物語』とは異なる主人公像で、本作ならではの魅力である。

由紀夫は記憶がないからこそクールで、自由にふるまうことができる。
木村拓哉の演技も温度が低く、暑苦しさがない。 タメ口でボソボソと話す体温の低さこそが、平成の若者のリアリティであり、国民的なスターでありながら当時の若者の気分を芝居で表現できたことが、俳優としての木村拓哉の当時の魅力だった。

その意味で木村拓哉にピッタリのハマり役なのだが、一方で本作は記憶がないため「本当の自分がわからない」ことに対する由紀夫の不安も描いている。
“届け屋”として働く中で、由紀夫の記憶は少しずつ戻っていき、やがて本作が「本当の自分」を探す「自分探し」の物語だったことが最終的に明らかとなる。
この「自分探し」というモチーフは90年代のフィクションで流行したテーマである。当時は村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』やロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が心理学的アプローチによって人気作となっており、「本当の自分」とは何なのか? を探求する「自分探し」の物語を通して、心の奥底に踏み込んでいく内省的な表現が盛り上がっていた。
一見、軽やかでクールなドラマに感じる『ギフト』も物語が終盤に向かうにつれて、由紀夫が自分の中にある「心の闇」とどう対峙するかが大きなテーマとなっていく。

放送当時は70~80年代初頭に作られた男臭いドラマに対するノスタルジーを感じた『ギフト』だが、記憶喪失の主人公の「本当の自分がわからない」ことに対する不安を描いた本作もまた、90年代という時代が生み出したドラマだったのかと、作品を観返して実感した。

若き日の木村拓哉のカッコよさの背後に漂う90年代の空気も今となっては懐かしい。
令和の視点で観ると、昭和と平成の空気を同時に感じることができる、二重の意味でノスタルジックなドラマである。


ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。