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7年前、賛否両論を巻き起こした教師と生徒の“純愛” ドラマ初出演の俳優が魅せた“リアリティ”な芝居【火曜ドラマ】

  • 2025.9.30

2018年10月から12月にかけて放送された、有村架純主演のTBS系 火曜ドラマ『中学聖日記』は、女性教師と男子中学生の恋愛というセンセーショナルなテーマを扱い、放送当時、大きな賛否両論を巻き起こした。

放送当時、平均視聴率はそれほど高くなかったものの、視聴者の心に深く刺さる物語だったためか終了後も熱心に語られ、特別編が制作されるほどの熱量を持って迎えられた。本作は、スキャンダラスな設定ではあったものの、そのことを登場人物たちも自覚していることをはっきりと描いており、それゆえに自分の本心が社会から受け入れられないことに苦しむ様を丁寧に描いたことで、普遍的な共感ポイントを獲得したと言えるだろう。

そんな本作が、なぜ多くの人々の記憶に深く刻まれたのか。本稿では、その魅力を振り返ってみたい。

理性と良識の狭間で描かれた“純愛”

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有村架純 (C)SANKEI

本作は、中学3年生の黒岩晶(岡田健史、現在の芸名は水上恒司)と、彼の担任となる25歳の教師・末永聖(有村架純)の、10歳差の恋愛を描いている。この設定だけを聞けば、すべてを捨てて禁断の愛に走る2人を想像するかもしれないが、この作品では一貫して2人は社会の中にとどまる。逃避的な愛にはならず、社会の中で生きる人間として、どうすれば相手が一番幸せになれるのかを真剣に考える姿勢があった。

二人が一線を越えることはなく、安易に過激な路線に走ることもない。ドラマを盛り上げるためだけの露悪的な妨害者も登場しない。晶の母・愛子(夏川結衣)の行動は息子を思う親として当然のものであり、聖の元婚約者・勝太郎(町田啓太)の忠告もまた、社会のルールに照らせば至極もっともなものであった。

晶は当初、聖への想いをただぶつけるだけの未熟な少年だったが、自らの行動が愛する聖を社会的に追い詰めていく現実を学び、他者を思いやり自らの心を犠牲にする“大人”へと成長していく。聖もまた、教師という立場と一人の女性としての感情の狭間で激しく揺れ動きながらも、最終的には晶の未来を思い、一度は身を引くという良識的な決断を下す。自分勝手に逃避的な愛に愛する人を引きずり込まない、社会の中で幸せになってほしいと願う2人の姿は、社会の中で許されないものだが、確かに純愛だった。

物語に命を吹き込んだ、有村架純と岡田健史の名演

この繊細で崩れやすい恋愛物語を見事に支えたのが、主演を務めた有村架純と岡田健史の名演だ。

有村架純が演じた末永聖は、長年の夢だった教師になり、将来を誓った婚約者もいる、はたから見れば順風満帆な人生を歩んでいるはずの女性だ。しかし、その内面は常に自信のなさと不安に揺れている。社会のルールから外れてはいけない、模範的な存在でなければならないと自らにプレッシャーをかけ、本当の自分を抑え込んで生きているような人物だ。有村は、そんな聖が抱える脆さ、危うさ、そして心の奥底に眠る情熱を、抑制の効いた演技で丁寧に表現した。晶という、制御不能な存在によって心の均衡を乱され、感情と理性の間で引き裂かれる苦悩、そして思わず溢れ出る涙のシーンは、視聴者の胸を強く締め付けた。

一方、黒岩晶を演じた岡田健史は、本作がドラマ初出演。数千人規模のオーディションから抜擢された彼は、思春期特有の焦燥感、持て余すエネルギー、そして聖に対して向けられる、一点の曇りもない真っ直ぐな眼差しを持って、晶というキャラクターに圧倒的な説得力と生命力を与えた。演技経験がないからこそのリアリティがあり、計算された芝居では生み出せない説得力があった。

中学生時代の青い衝動から、3年の時を経て少し大人びた高校生の姿まで、その成長の過程を見事に体現し、多くの視聴者を引き込んでいった。

傷つきながら見つけた「自分の意思で選ぶ人生」

『中学聖日記』は、教師と生徒のラブストーリーであると同時に、一人の女性が本当の意味で自立していくまでの成長物語でもあった。物語を読み解く上で重要なキーワードが、劇中に登場する“なりたい自分”という言葉だ。

当初の聖は、自分の人生を自分で選択しているという実感を持てない女性だった。婚約者の勝太郎に流されるまま、自分の意見をはっきりと伝えられない、いつも周囲に流されてしまいがちな人物だ。

晶との許されない恋は、そんな聖に、初めて自分の内なる声と向き合わせる。しかし、彼女が最終的にたどり着いた“なりたい自分”は、自らが進む道を選べる存在になること。たとえ傷つき、すべてを失うことになっても、自分の意志で人生を選び取り、歩んでいく強さを獲得することだった。

そのために、彼女は夢だった教職を辞し、最大の理解者であった友人からも厳しい言葉を投げかけられ、家族からも見放されかける。一度は晶と共に歩むことを決意するが、それさえも彼の未来のために手放す。そして最後に、自らの意志で異国の地バンコクへ渡り、日本語教師として“ゼロからやり直す”ことを選ぶ。それは過去からの“逃避”ではなく、未来に向けた明確な“選択”であった。

この聖の成長譚は、同じように社会の顔色を窺い、自分の人生を生きている実感を持てずにいる多くの視聴者の共感を呼んだ。自分の足で立ち、真摯に人生と向き合っていれば、いつか手放したはずの未来さえも奇跡となって訪れるかもしれない。晶との再会で締めくくられるラストシーンは、そんな希望に満ちた力強いメッセージを、私たちに伝えてくれた。

『中学聖日記』は、単にスキャンダラスな恋愛を描いたドラマではない。それは、困難な状況の中で理性と思いやりの尊さを描き、主演二人の魂の込められた演技が観る者の心を揺さぶり、そして、禁断の恋という嵐を乗り越えた一人の女性が、本当の自分を獲得するまでの物語だった。


ライター:杉本穂高
映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi