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朝ドラが“従来の枠”を静かに超えてきた瞬間「涙が出た」「帰ってきたかと」今までとはひとあじ違う“家族の描写”

  • 2025.9.19
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『あんぱん』第25週(C)NHK

第25週で描かれた、田川岩男(濱尾ノリタカ/二役)の息子・和明(濱尾ノリタカ/二役)の登場。SNSには「岩男が帰ってきたかと」「外国のモデルさんみたい」「涙が出た」という声が並び、視聴者は一瞬、亡き岩男本人が画面に戻ってきたかのような錯覚にとらわれた。あの戦中を生き抜いた人物の影が、子の世代を通してふたたび浮かび上がる。その瞬間、朝ドラ『あんぱん』が掲げてきたテーマが、強烈な説得力をもって結晶したように思えた。

※以下本文には放送内容が含まれます

和明の告白「父親としてどう接したらいいかわからない」

和明の登場シーンは、ただの新キャラクター紹介にとどまらない。彼は嵩(北村匠海)や八木(妻夫木聡)たちの前で、こんな言葉を口にする。

「私には今、息子がいるのですが、父親としてどう接したらいいのかわからないんです。それは、父の記憶がないからなのではないかと思っています。だから、少しでもいいから父親のことが知りたいんです」

このセリフの切実さは、朝ドラらしい“家族の物語”を越えて、世代を超えた普遍的な問いを突きつける。父を知らない子が、父親になったとき、どう生きればいいのか。息子とどう向き合うべきなのか。その悩みは、視聴者の胸に鋭く響いた。

記憶の継承としてのドラマ

和明の問いかけに応えるように、八木や嵩が岩男のことを語り始める。ここで重要なのは、父を直接知らない和明が、仲間や友人の証言によって父を“追体験”していく構造だ。血のつながりだけではなく、記憶を共有する共同体の力によって“父の物語”は引き継がれていく。

SNSでの「岩男が帰ってきたかと」という反応は、まさにこの再現を視聴者が体感した証拠だろう。画面に現れたのは息子であるにもかかわらず、その姿は確かに父の影を呼び戻していた。

和明の言葉は、未完の親子の対話を象徴しているようだ。戦争によって奪われた命、残された家族の空白。和明はその空白を埋めるように、必死で父の足跡を探す。

この姿は、単なる親子のエピソードではない。日本の戦後社会そのものが抱えてきた“父の不在”を代弁しているのだ。父を知らずに育ち、やがて自らが親になるとき、どうすればよいのか。これは世代を超えて語り継がれるべき問いであり、『あんぱん』はその重みを物語に盛り込んだ。

仲間がつなぐ“父の物語”

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『あんぱん』第25週(C)NHK

和明の求めに応じる形で、岩男のことを語る八木や嵩。彼らの存在は大きい。和明にとって、彼らは岩男の友人、そして仲間であり、“父の記憶を証言する者たち”である。

これは、朝ドラの常套的な血縁の話ではなく、共同体のなかで父の存在を語り継ぐという、新しい家族像の提示のようにも見える。戦争で断たれた親子の対話を、仲間の言葉が補完する。血筋だけでなく、人とのつながりによって父が蘇る。そこにこそ『あんぱん』が描き出した希望がある。

従来の朝ドラは、女性の一代記を中心に描かれることが多かった。『あんぱん』も基本的にはヒロイン・のぶ(今田美桜)の物語だ。しかし、和明の登場は“父を知らない息子”という視点を加え、作品を単なる女性史から、血脈と記憶の物語へと拡張する機能を持っている。視聴者はそこに、父の物語が確かに続いていることを見たのだ。

和明のセリフに込められた切実さは、『あんぱん』という作品の核を照らし出す。父を知らない息子が、父になるときどう生きるのか。その問いに対する答えは、まだ和明自身も見つけられていないだろう。

しかし、仲間の言葉を通じて父の姿を少しずつ知ること。それこそが、未完の親子の対話を継ぐ唯一の道なのかもしれない。

『あんぱん』は、夢や創作を描くだけでなく、世代を超えた記憶の継承を物語に織り込んだ。和明の登場は、そのテーマをもっとも鮮やかに体現した瞬間だった。岩男の影は消えていない。子が父を求め、仲間が語り継ぐ限り、記憶は生き続ける。


連続テレビ小説『あんぱん』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_