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11年前、吉高由里子主演の朝ドラで“夢半ばで消えた若者”として出演していた大人気俳優、短い登場でも確かな存在感

  • 2025.9.19

NHK連続テレビ小説『花子とアン』は、主人公・村岡花子(吉高由里子)が翻訳家として『赤毛のアン』を世に送り出すまでの半生を描き、平均視聴率22.6%という大ヒットを記録した朝ドラだ。言葉や文学の力を信じて歩んだ花子の姿はもちろん、多くの視聴者を惹きつけたのは、個性豊かな登場人物たちである。そのなかで、花子の夫となる英治(鈴木亮平)の弟・村岡郁弥を演じた町田啓太は作品を印象づけたひとりだ。わずかな登場ながら、翻訳のきっかけを花子に与え、そして震災で命を落とすという運命を背負った郁弥。まさに“もう一人の影”として物語に深い余韻を残したのだ。

参考:NHK朝の連続テレビ小説|ドラマ | 過去の視聴率| 週間リアルタイム視聴率ランキング

郁弥という存在:翻訳の扉を開いた人物

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吉高由里子 (C)SANKEI

花子が翻訳家への道を歩み出す転機は、郁弥との出会いにある。銀座のカフェ・ドミンゴで初めて顔を合わせ、彼女の英語力に興味を示した郁弥は、イギリスで入手した『The Prince and The Pauper』を花子に手渡す。この一冊が、のちに『王子と乞食』として誌面に掲載されることになり、花子が翻訳の才能を花開かせる重要なきっかけとなった。

郁弥は物語上、主役でもなければ長く登場する人物でもない。しかし、彼が差し出した一冊がなければ、花子が翻訳者として世に羽ばたく未来は訪れなかったかもしれない。

花子の成功の背後に、“名もなき支え手”としての郁弥の存在が確かに刻まれている。

消えた希望の象徴

郁弥の魅力は、花子に影響を与えただけでなく、彼自身の青春模様にもある。甲州弁を話す女給、かつ花子の妹であるかよ(黒木華)への真摯な思いは、彼の素朴さと人間味を際立たせた。忘れな草を贈り、音楽隊を呼んで盛大にプロポーズを準備する姿は、まっすぐで不器用な青年そのものだ。

ここで町田啓太の演技が光った。真面目さと軽やかさの同居、どこか照れくさい表情。視聴者は、彼が画面に現れるたびに“郁弥の物語も、もっと見たい”と感じたはずだ。郁弥が花子や英治の影に埋もれることなく、自らの人生を懸命に歩もうとしていたことが伝わってきた。

しかし、郁弥の人生はあまりにも短かった。大正12年9月1日、かよへのプロポーズの直後に関東大震災が発生。火災に巻き込まれて命を落としてしまう。残されたのは、生前に自慢していたイギリス製の腕時計だけだった。

この展開は衝撃的であると同時に、朝ドラらしい歴史の描き方でもある。花子が文学によって未来を切り拓く一方で、郁弥は“夢半ばで消えた若者”として物語から姿を消す。その対比は、時代がもたらす非情さを映し出していた。郁弥は、“消えた希望”を象徴する存在だったのだ。

町田啓太の演技がもたらしたもの

郁弥役での町田啓太は、短い登場ながら確かな存在感を放った。誠実でありながら、かよへの恋心に真っ直ぐ身を委ねる青年の可笑しみを、自然体な佇まいで表現。さらに、震災に散るという重い運命を背負った役を過剰にドラマチックにせず、淡々としたリアリティで描いたことで、かえって視聴者の胸に強く残った。

その後も町田は、ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』で王子様のようなキャラ・黒沢優一を演じたり、ドラマ『テッパチ!』で自衛官・国生宙の葛藤を体現したりと幅広い役柄をこなしている。さらにNetflixドラマ『グラスハート』では、ロックバンド・TENBLANKのギタリスト・高岡尚を熱演。孤高の天才(佐藤健演じる藤谷直季)に寄り添う努力型のカリスマとして、音楽と友情に生きる姿を繊細に描き出し、俳優としてのさらなる進化を示した。

郁弥という役は、彼の俳優としての振れ幅を証明する初期の代表例だったといえるだろう。

『花子とアン』は、主人公・村岡花子の成功物語でありながら、その輝きの裏には郁弥のように歴史に飲み込まれた人々の存在が描かれていた。翻訳のきっかけを与え、恋を夢見て、そして震災で命を落とした郁弥。彼の短い生涯があったからこそ、花子の物語はより一層の重みを持つことになった。

郁弥という“もうひとりの影”を思い出すとき、『花子とアン』は単なる成功譚ではなく、夢と喪失、希望と挫折が織りなす人間の物語であることが、あらためて浮かび上がる。町田啓太が演じたこの短命キャラは、確かに視聴者の心に深い痕跡を残している。


ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧・Twitter):@yuu_uu_