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35年前、日本中が耳を澄ませた“力強い雨バラード” 派手さを排し深い余韻を残し“普遍的な名曲”

  • 2025.8.30

「35年前、雨の夜に耳を澄ませていた音楽を覚えてる?」

1990年の秋。街にはまだバブルの余韻が漂い、夜の繁華街にはネオンが瞬いていた。ディスコではダンスビートが鳴り響き、テレビの音楽番組は華やかな衣装に包まれた歌手たちで賑わっていた。だがその一方で、人々の心のどこかには、先行きへの不安や、抑えきれない寂しさが忍び込んでいた。

そんな時代の空気を切り取ったように、しっとりと流れ出した曲がある。

森高千里『雨』(作詞:森高千里・作曲:松浦誠二)ーー1990年9月10日発売

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森高千里-1994年撮影 (C)SANKEI

デビューから『雨』までの軌跡

1987年に『NEW SEASON』(作詞:HIRO[伊秩弘将]・作曲:斉藤英夫)で歌手デビューした森高千里は、2枚目のアルバムのタイトル曲『ミーハー』やシングル『ザ・ストレス』などで自ら作詞を担当。ユーモアや風刺を織り交ぜた詞の世界観が話題を呼び、早くから「自分の言葉で歌うアーティスト」としての姿勢を鮮明に示していた。

その流れの中で生まれた『雨』は、森高の表現をさらに深めた一曲だった。

過激なメッセージやユーモラスな視点から一歩距離を置き、恋の切なさをまっすぐに描く。つまりこれは、すでに確立していた作詞家としての側面を、より内面的で繊細な方向へと拡張させた作品だった。

静けさに宿る“感情”

『雨』の最大の魅力は、派手な起伏ではなく“抑制された美しさ”にある。森高の歌声は透き通りながらも、強く泣き叫ぶことはない。その距離感が逆に聴き手を引き込み、誰もが自分自身の記憶を投影できる余白を残している。

編曲の斉藤英夫は、楽曲全体を静謐にまとめあげた。シンセサイザーの淡い響きが空間を漂い、音の一つひとつに“雨の気配”を宿らせた。そのサウンドの中で森高の歌声が淡々と響くことで、曲は聴く人の心に深い余韻を残す。

バージョン違いとカバーが物語る普遍性

『雨』はリリース当初から複数の形で存在している。シングルとアルバム『古今東西』収録のバージョンではサビの長さが異なり、同じ曲でありながら印象に微妙な違いを生んでいた。

その後も1999年にはリメイク版、2013年にはセルフカバーなどが発表され、そのたびに歌声や解釈の変化がファンを魅了してきた。若き日の瑞々しい歌唱と、成熟した大人の表現。いずれも“雨”というテーマの普遍性を際立たせている。

さらに、この楽曲はさまざまなアーティストによってカバーされてきた。歌い手によって“静けさ”の解釈が異なり、しっとりとしたバラードにも、力強いポップにも変貌する。にもかかわらず曲の芯が揺らがないのは、メロディと詞に普遍的な強度があるからだ。聴き手にとっては、その時代、その瞬間に寄り添う“自分だけの『雨』”が存在する。

35年を経ても色あせない理由

『雨』を聴くと、都会の夜の匂いや、ふとした恋の記憶が蘇るという人は少なくない。派手な演出ではなく、静かな余白を残すことで、人生のさまざまな場面に寄り添う曲となった。

そして今もなお、カラオケやライブで歌い継がれ、世代を超えて共感を呼び続けている。音楽の聴き方がレコードからCD、配信へと変化しても、『雨』の持つ“静けさの力”は少しも衰えていない。

ーー降りしきる雨音とともに、あの頃の気配を運んでくる一曲。それが森高千里の『雨』だ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。