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30年前、日本中がそっと耳を澄ませた“静かなロングヒット曲” 累計40万枚超を叩き出した“三部作の終章”

  • 2025.8.30

「30年前の春、あなたはどんな夜に、どんな歌を小さく口ずさんでいた?」

1995年の東京は、煌めきよりも現実の温度が濃くなっていた。閉店間際のCDショップで流れるのは、ダンス・ビートや勢いのあるヒット曲ばかり。けれど雑踏の隙間でふっと立ち止まったとき、胸の奥に静かに差し込むラブソングに、誰もが耳を預けたくなっていた。

郷ひろみ『逢いたくてしかたない』(作詞:松井五郎・作曲:都志見隆)ーー1995年4月21日発売

『僕がどんなに君を好きか、君は知らない』(作詞:芹沢類・作曲:楠瀬誠志郎)『言えないよ』(作詞:康珍化・作曲:都志見隆)と紡がれた流れを受け、最後に静かに姿を現した“バラード三部作”の締めくくり。三つの歌が描いた季節の呼吸をゆっくりと横切り、その余韻を収める最終章として登場した。

言葉よりも余白が語る“音の景色”

郷ひろみと言えば、若い人たちは鋭い切れ味のダンス・ナンバーや華やかなパフォーマンスを思い浮かべる人もいることだろう。だが彼の歩みを振り返れば、バラードは常に大切な軸として存在してきた。

そのうえで90年代に入った彼は、エネルギッシュなダンス・ナンバーを保ちつつも、バラードでの表現が際立つようになっていった。力強さと繊細さ、その両面を自在に行き来することで、郷ひろみという歌手の輪郭はより立体的に描かれるようになっていった。

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郷ひろみ-1997年撮影 (C)SANKEI

編曲が紡いだ“三部作の呼吸”

三つの曲はそれぞれ違う作詞家によって描かれた。それでもひとつの物語のように聴こえるのは、抑制のなかにじんわりと感情を浮かび上がらせる旋律と、それを受け止める郷ひろみの“成熟した声”があったからだ。

無駄を削ぎ落とした歌い方に、山本健司のアレンジが重なり、三部作は自然と統一された余韻を帯びていった。

ピアノと美しいハーモニーがつくる滑らかな地平に、声がすっと置かれる。聴き手の記憶が音の間に流れ込む。Aメロで小さく灯った焦燥が、サビで大きくなるーーその緩やかな膨張が、当時の空気と見事に重なっていた。

三部作すべての編曲を担ったのが山本健司であることは、単なる統一感を超えて、「これは郷ひろみの“あのバラードの系譜”だ」と一聴でわかる“印”になっている。

派手さを越えて残った“静かな強さ”

本作は単体で累計40万枚超を記録。いわゆる“トップ争い”ではなく、じわじわ伸ばしていく“ロングヒット型”の推移を見せた。派手な初速ではなく、「あとから効いてくる」タイプの支持ーーこれこそ三部作が社会に根づいた証拠だ。曲そのものの体温で売上を積み重ねた点も特筆に値する。

仕事帰りの車内、深夜のラジオ、誰かを思い出す帰り道ーー賑わいの陰にある“間”を埋めてくれる曲が求められていた。『逢いたくてしかたない』は、そんな“間”にそっと置くことのできるバラードだった。

30年後も夜風に漂う“逢いたさの記憶”

30年後の今、あのイントロを聴くと、夜風の匂いと街の明かりが急に鮮明になる。派手さは要らない。ただ“逢いたい”という気持ちが、音の粒の間で呼吸している。時代が変わっても、静けさは強い。

三部作の終曲は、郷ひろみというアーティストに「熱狂の表側」と同じくらい大切な、「静かな背中」を与えた。だからこの歌は、これからも長い時間をかけて、誰かの夜をやさしく照らし続ける。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。