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35年前、日本中が心躍った“地に足ついた空の名曲” バブル終焉に羽ばたいた“ユニーク職人集団”の真骨頂

  • 2025.7.15

「35年前の今頃、どんな曲が心のBGMになっていた?」

1990年。平成が始まってわずか1年、日本社会はバブル景気の余熱をまだ感じていた頃だった。

とはいえ、その煌びやかな空気の中にも、「どこか違う場所へ行きたい」「日常を離れて飛び立ちたい」ーーそんな“静かな渇き”が若者たちの胸に潜んでいたのも確かだ。

そんな時代にまるで空から舞い降りてくるようなヒットソングが生まれた。

米米CLUB『浪漫飛行』(作詞・作曲:米米CLUB)

元は1987年発売のアルバム『KOMEGUNY』の1曲だったが、1990年4月8日に10枚目のシングルとしてシングルカットされたこの楽曲は、当時放送された「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」のCMソングとしても話題を呼び、一気に大ブレイクを果たすことになる。

“旅立ち”のイメージが広がった、あのイントロ

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(C)SANKEI

『浪漫飛行』がラジオやテレビから流れてくると、それだけで「どこか遠くへ行きたい」気持ちが湧き上がってくる。

印象的なイントロ、リズミカルなのにどこか情緒的なメロディ。

米米CLUBという個性の塊のようなバンドが、“飛行”というテーマを通じて魅せたのは、ただの旅情や爽快感ではない。「心の自由」そのものだった

7枚目のシングル『KOME KOME WAR』(作詞・作曲:米米CLUB)や9枚目のシングル『FUNK FUJIYAMA』(作詞・作曲:米米CLUB)などコミカルな一面が注目されがちな米米CLUBだが、この『浪漫飛行』では、むしろ“洗練”されたサウンドと、ミドルテンポでゆるやかに包み込むようなアレンジが際立つ。

その音は、まるで空港のロビーで感じる微かな緊張と期待、機内で窓の外を眺める静けさ、そして目的地へ向かう高揚感のようだった。

なぜ『浪漫飛行』は人々の記憶に残り続けたのか?

1990年の社会を振り返ってみると、日本はまさに“動き出す前の静けさ”の中にあった。まだ大崩壊は来ておらず、人々は何かに向かって進んでいるようでいて、実はどこかにモヤモヤを抱えていた。

その空気の中で、『浪漫飛行』が示したのは、物理的な旅以上に、“心の中の移動”だった。

「ときめきを忘れない」「どんな時でも夢を」ーーそう願うすべての人に対して、心の奥底が曇らぬように、「飛び立っていいんだよ」と肯定するような音楽。その背中を押してくれるような前向きさに、日本中が心躍った。

それは時に、進学や就職といった現実的な“旅立ち”と重なり、またある時は、叶わない恋ややり場のない感情と結びついて、静かに寄り添ってくれるような存在だった。

米米CLUBの“別の顔”を世に知らしめた1曲

米米CLUBは、見た目の派手さやユニークなキャラクター性で注目を集めたグループだ。

だが『浪漫飛行』は、そんな彼らの中にある“本質的な音楽性の高さ”を多くの人に知らしめた曲でもあった。

一見、騒がしそうな彼らが奏でる、静かで洗練されたサウンド。曲名に冠した「飛行」とは裏腹に、その中身を見れば実に堅実で“地に足ついた”ものであった。

これは、「バンド」という枠を軽々と越えて、演奏・アレンジ・構成すべてに隙がない“職人集団”としての米米CLUBの真骨頂だったと言える。

その後もドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)の主題歌となった『君がいるだけで』(作詞・作曲:米米CLUB)など大ヒットを連発する米米CLUBにとって、この『浪漫飛行』は“その始まりを決定づけた”楽曲として、今も特別な位置を占めている。

令和になっても飛び続ける“浪漫”の力

35年が経ち、音楽の形も聴き方も大きく変わった今。それでも『浪漫飛行』がなお支持される理由は何だろうか。

それは、“飛び立ちたい”という気持ちが、時代や世代を超えて普遍だからだ。

スマホやSNSでどこでもつながれる時代にあっても、人はときに現実から離れたくなるし、新しい景色を見たくなる。『浪漫飛行』はそんな気持ちに、35年前と変わらず、さりげなく寄り添ってくれる

音を聴くだけで、風の匂いがする。雲の上にいるような感覚がする。

それが『浪漫飛行』という曲の持つ“魔法”、言うならばア・ブラ・カダ・ブラなのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。