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30年前、日本中の耳を奪った“飾らぬロックな女の子” バブル崩壊後の女性像に風穴を開けた“衝撃の1曲”

  • 2025.7.12

「30年前の今頃、どんな曲が街に流れていたか覚えてる?」

1995年の音楽シーンは、Mr.Children、globeやH Jungle with t、B’zやX JAPANなど、小室ファミリーからビジュアル系まで幅広いサウンドがチャートを彩っていた。

そんな1995年の11月8日。突如現れた新人女性シンガーが、世間の耳目をさらった。

その名は相川七瀬

デビュー曲のタイトルは、『夢見る少女じゃいられない』(作詞・作曲:織田哲郎)。どこかまだ幼さを残す彼女の見た目からは、想像もつかないロックなサウンド、激しく揺れる髪、力強い眼差し。思わず口に出したくなるキャッチーなタイトルも相まって、音楽ファンに“大きな衝撃”を与えた。

街中に鳴り響いた“ロックな衝動”

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(C)SANKEI

『夢見る少女じゃいられない』は、単なるロック系J-POPのヒットではなかった。

当時の女性シンガー像といえば、歌唱力で勝負するバンド・アーティスト系か、かわいらしさを武器にしたアイドル系が主流。しかし相川七瀬はそのどちらにも属さない、“ロックと等身大の女の子を融合”した存在だった。

プロデュースを手掛けたのは織田哲郎。ZARDやWANDSらビーイング系と呼ばれるアーティストを次々にヒットに導いた彼が、この曲では作詞も担当。耳をつんざくようなイントロ、ギターリフを前面に押し出したラウドでパワフルなロックサウンド、そこに乗っかってくる相川の歌声は、誰もが思わず耳を傾けたくなるほどのインパクトだった。

CDセールスは当時としては大ヒットとまではいかなかったが、カラオケが日常風景となった当時、女性が歌うお決まりの1曲になるほどの人気楽曲へとなっていった。

なぜ時代を超えて残り続けたのか?

1995年当時の社会は、「夢」や「理想」だけでは乗り越えられない現実に直面していた。バブル崩壊後の不況、就職氷河期。キラキラした歌よりも、「本音でぶつかる言葉」や「ありのままの姿勢」にリアルがあった。

『夢見る少女じゃいられない』のタイトルは、まさにその象徴だった。

理想だけじゃ生きていけないーーそんな時代の空気をまといながらも、“それでも前へ進もうとする意思”が曲全体に込められていた。

その佇まいに、多くの若者、特に同世代の女性たちが自分を重ねたのだろう。新たなアイコンとして相川の髪型やメイク、ファッションをお手本にする女性たちが続出。“強く、美しく、生きる女性像”の新しい系譜がここから始まったといっても過言ではないだろう。

“飾らぬロックな女の子”が残したもの

この曲で大きな認知を獲得した相川七瀬。その後、『恋心』『トラブルメイカー』『Sweet Emotion』など数々の楽曲がヒットを記録した。

だが、最も語り継がれるのは、やはりこのデビュー作だ。

翌年の1996年に発売した『恋心』(作詞・作曲:織田哲郎)は、最終的にミリオンセールスを記録するほど大ヒットとなったが、初出場した1996年の第47回NHK紅白歌合戦(NHK)では、『夢見る少女じゃいられない』を披露している。それほど、記録よりも記憶に残る楽曲なのだ。

30年経った今、令和のJ-POPにおいても、女性アーティストたちは自己表現の幅を広げ、ジャンルやジェンダーの枠を超えて活躍している。だがその原点のひとつには、“かわいいだけじゃなく、格好よくて、本音で叫ぶ女性像”を初めて提示したこの曲の存在がある。

夢を見ていられなかった時代に、“目を覚ますような一撃”を

『夢見る少女じゃいられない』は、華やかな希望ではなく、現実と向き合う決意を鳴らした楽曲だった。その衝動は、今もなお、私たちの中に静かに息づいている。

30年前、ロックな“目覚め”をもたらしたこの曲は、「本当の強さとは何か」を教えてくれる、時代を超えたメッセージソングだったのかもしれない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。