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30年前、日本中が励まされた“売上200万枚超の応援ソング” 伝えたのは「がんばれ」ではなかった

  • 2025.7.15

「30年前の今頃、どんな音楽があなたを励ましてくれたか、覚えてる?」

1995年、J-POPは恋や夢を描くポップチューンが全盛だった。その中で静かに、しかし確かに心を打つ1曲があった。

岡本真夜『TOMORROW』(作詞:岡本真夜/真名杏樹・作曲:岡本真夜)

励ましでも、説教でもない。ただ、「明日へ進む力」を、そっと手渡してくれるような歌。

この曲は、1995年の空気と、そこに生きる人々の感情に深く溶け込んだ。

“励ましの手紙”として生まれた、デビュー曲

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(C)SANKEI

1995年5月10日に、岡本真夜のデビューシングルとして発売された『TOMORROW』。彼女がこの曲を書いたのは、高知からデビューを目指して上京した頃だった。地元のアルバイト仲間から、恋愛や仕事などの悩みを打ち明けられたことがきっかけだったという。

上京後もその女性と手紙でやりとりを続けていたが、やがて「音楽で励ませないか」と思い立ち、書いたのが『TOMORROW』の原型だった。

“涙の数”の歌詞ーーきっかけは祖父からの手紙

曲の冒頭を飾る「涙の数だけ強くなれるよ」という印象的なフレーズ。それは、かつて岡本真夜に届いた、祖父からの一通の手紙に由来する。

上京に強く反対していた祖父は、その手紙に「涙が多いのが人生だ」と綴った。数々の失敗を経ても、まっすぐに歩んできた祖父だからこそにじむ、実感のこもった言葉だった。

その“静かなエール”は岡本の心に深く残り、やがて彼女の言葉として、歌の一節に姿を変えた。

発売直前にCMタイアップが消えた…でもチャンスは来た

もともと『TOMORROW』は、あるCMのタイアップ曲としてリリースされる予定だった。しかし採用は見送られ、発売の話もいったん白紙に――。

そんな状況のなか、ドラマ『セカンド・チャンス』(TBS系)の主題歌に抜擢されるという転機が訪れる。ミディアムテンポだった原曲は、ドラマの雰囲気に合わせてアップテンポにアレンジされ、より前向きな印象に生まれ変わった。

この大胆な変更が功を奏し、楽曲は多くの人の心をつかんでヒットを記録。最終的にダブルミリオンを達成し、まさに、曲自体が“セカンド・チャンス”をつかみ取ったのだった。

甲子園の“希望の入場曲”に

翌1996年春、『TOMORROW』は第68回選抜高等学校野球大会の入場行進曲に選ばれた。栄光に挑む高校球児たちが、ゆっくりと甲子園のグラウンドを行進する。その足元を支えたのは、「明日」を信じさせてくれるこの曲だった。

青春の不安や期待、努力や涙に寄り添うという意味で、これ以上ない“応援ソング”だったといえるだろう。

涙の数だけ、前を向くちからになる

この曲の歌詞は、聴く者の背中を無理やり押すような「がんばれ」という言葉を並べていない。ただ、泣くことを否定せず、そのうえで「強くなろう」「明日は来るから」と伝えている。倒れそうになっている背中をガッチリ支えるような安心感に満ちていて、「がんばる」ことを自ら選ばせてくれる点が、この曲の最たる魅力ではないだろうか。

30年経っても、ふとした瞬間にこの曲を思い出す人は少なくない。立ち止まってしまった日、少しだけ勇気がほしい朝。そのすべてに、この曲は変わらず寄り添ってくれる。

『TOMORROW』は、私たちが“また歩き出せるようになる”その日まで、ずっとそばにある。


※この記事は執筆時点の情報と公式報道に基づいています。