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28年前リリース→日本中に染み込んだ“不器用すぎる愛の歌” 名だたる歌手がカバーした“理想なき名曲”

  • 2025.7.11

1997年11月21日、斉藤和義の15枚目のシングルとして発売された『歌うたいのバラッド』(作詞・作曲:斉藤和義)

当時の音楽シーンは、まだJ-POPの熱気が色濃く、きらびやかなアレンジと派手な演出が主流だった。どこか浮ついた理想や夢を語る歌が多かった中、この曲は異彩を放っていた。

アコースティックギターを軸に、余計な装飾を削ぎ落としたサウンド。“静かな爆発力”とも言えるその存在感は、聴くものの心の奥にじわじわと染み込んでいくように広がっていった。

静かに音楽と向き合い続けた男

1993年にシングル『僕の見たビートルズはTVの中』でデビューした斉藤和義。音楽番組『星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!』(TBS)での5週連続勝ち抜きという実績を携えての船出だったが、期待ほどの華々しいスタートには至らなかった。

その後、愚直で鮮烈な歌詞を携えた『君の顔が好きだ』、子供向けテレビ番組「ポンキッキーズ」(フジテレビ系)のオープニングテーマに起用された『歩いて帰ろう』などで注目を集めるも、一躍トップアーティストに躍り出るわけではなかった。むしろ、静かに、着実に、自分の音楽を積み上げていくような姿勢が際立っていた。

そんな彼が、シンガー・ソングライターとしての等身大の彼を映し出した、自らの内側をストレートに吐き出すように世に放ったのが、『歌うたいのバラッド』だった。

“しつこいほど心に残る”持続する共鳴力

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(C)SANKEI

この曲は、派手さではなく、「聴いた人の記憶に残り続ける力」があった。ライブハウス、ラジオ、ストリート。限られた場でも、聴いた人の胸に深く刺さった。

決して華々しくチャートを駆け上がったわけではない。だが、数多くの音楽好きやミュージシャンたちの間で、「本当に良い曲」として語り継がれ、櫻井和寿や奥田民生、鈴木雅之など、名だたるアーティストたちがこの曲をカバーした。やがて“知る人ぞ知る名曲”から、“時代を越えて愛される定番曲”へと昇華していく。

“飾らない”は、かっこ悪いことじゃない

1990年代後半、音楽は夢や愛を高らかに叫ぶ“理想”を売るものだった。夢、自由、大恋愛。言葉が強ければ強いほど売れた。しかし斉藤和義は、そことは距離を置いた。

この“理想なき曲”が数多くのアーティストにカバーされている理由は、単に“名曲だから”ではない。

言葉を飾らずに、まっすぐに感情をぶつける構成。シンプルなコード進行。それでいて、歌い手の人間性が透けてしまうような危うさ。どんなに歌が上手くても、“うそがつけない”曲なのだ。それがこの曲の、そして斉藤和義のすごみだ。

等身大で、不器用すぎて、でもどこまでも誠実な“語り”のように響くメロディー。聴く人の人生に、そっと寄り添ってくる歌詞。どこまでも真っすぐに想いを伝えようとするこの歌は、“飾らないかっこよさ”という我々の心の真芯をとらえてくる。

28年経っても、“言葉を尽くしても足りない”想い

令和の今、SNSがあふれ、感情の表現が飽和している中で、『歌うたいのバラッド』の存在感はむしろ際立つ。

「短いけど聞いておくれ」と自らの言葉で伝える「愛してる」。

ごまかしのない真っすぐさ。多くを語らずとも、“本気で伝えたい”という気持ちだけが浮かび上がる。それは、時代が変わっても変わらない、人の根っこの部分だと言っていい。

そんな我々の心の奥底に語りかけてくる存在が、歌うたい・斉藤和義であり、そして『歌うたいのバラッド』なのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。