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21年前にブレイク→日本中の期待を背負う“不変の変幻自在”俳優 観る者を“沈黙で唸らせる”視聴率男

  • 2025.7.10

2026年、TBS系ドラマ『VIVANT』の続編が放送される。今や“視聴率男”とまで呼ばれる堺雅人が再び主役を務めるとあって、大きな注目を集めている。まさに今、日本中の期待を背負っていると言っても過言ではない。

だがそこに寄せられる期待は、単なるヒット作の続編という理由だけではない。彼が長い時間をかけて築いてきた、役に人間を宿らせる力への信頼ゆえだ。

かつて、国立大学を目指し、官僚として働く未来を思い描いていた青年は、やがて演劇の世界に魅せられ舞台へ、そしてテレビ・映画へとその表現の場を広げていった。

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2001年の堺雅人 (C)SANKEI

そして今、「どんな役を演じても、その人物がそこに“いる”と感じさせる俳優」として、映像作品の中核を担う存在となっている。

一度見れば忘れられない存在感。堺雅人の魅力は、派手さとは無縁の、“静けさの中にある確かさ”にこそ宿っている。映画の中でもその力は発揮されているが、連続ドラマという舞台では、その魅力がさらに際立つと言っていい。

微笑の奥にある哀しみを演じきった初期代表作

2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』で演じた山南敬助は、堺にとって最初の大きな転機だった。ここが彼の世間的なブレイクのタイミングと言って差し支えないだろう。

新選組の中でも穏やかで、理性的な人物。仲間思いで、礼儀正しく、常に笑顔を絶やさない。だが、堺が演じた山南には、その優しさの裏に葛藤や迷いが静かに滲んでいた。

組織が過激になっていく中で、理念とのズレに苦しみ、やがて粛清される運命を受け入れる。その流れを、堺はセリフよりも“沈黙”で語っていた。

まなざしや呼吸のわずかな変化から伝わる山南の決意。堺を“人物の内部を生きる俳優”として印象づけた。

史に刻まれた“記号”を、人間として描く演技

2008年のNHK大河ドラマ『篤姫』では、徳川家祥(家定)を演じた。歴史の教科書では「愚鈍な将軍」と片付けられがちな人物だ。政治的にも無力だったという評価もある。

だが堺は、そんな記号的な人物に血を通わせ、記憶に残る“生きた人間”として描き出した。

最初は言葉数も少なく、目線も定まらない。篤姫との距離が縮まるまでは、彼の動きはぎこちなく、どこか痛々しい。だが、ゆっくりと打ち解けていく過程で見せた笑顔には、まるで別人のような温かさがあった。

堺は、“心の奥に知性があること”を諦めなかった。言葉にできない痛みを抱えながら、愛を学んでいく将軍の姿は、歴史ファンのまなざしすら変えてしまった。

暴走の中に“孤独”をにじませる技術

ドラマ『リーガル・ハイ』(2012年〜・フジテレビ系)で演じた古美門研介は、それまでの堺のイメージを覆すキャラクターだった。

早口で毒舌、常に上から目線。誰に対しても容赦なく、空気を読む気配もない。だが、その“ウザさ”の中には、綿密に計算されたリズムがあった。

そのセリフ回しは、単なるハイテンションではない。一語一句に抑揚があり、沈黙の取り方にも“芝居の設計”があった。

古美門というキャラクターがただの道化にならなかったのは、堺がその背後に“孤独”と“信念”を忍ばせていたからだ。その巧みな緩急が、古美門をただの道化ではなく、“人物”として立たせていた。

ふざけているようでいて、心のどこかで法の力を信じている。笑わせながら、観る者の感情をじわりと動かす。堺はこの作品で、コメディーとヒューマンを両立させる難しさを見事に乗りこなしてみせた。

怒りを突き抜けて“正義の矛盾”を引き受ける

堺の綿密なセリフ回しを、より強く印象付けたのがTBS系・日曜劇場『半沢直樹』(2013年・2020年)だ。主人公・半沢直樹は、“正義の代弁者”として国民的キャラクターとなった。

だが、もし堺が半沢を単なるヒーローとして演じていたなら、あれほどの熱狂は生まれなかっただろう。銀行というシステムの中で理想と現実の狭間でもがく半沢を、堺は全身で表現した。

怒鳴り声や決めゼリフの迫力もさることながら、むしろ印象に残るのは声を荒らげない場面かもしれない。組織に飲み込まれそうになる不安や絶望を、堺は目線のゆらぎで表現していた。

「やられたらやり返す、倍返しだ!!」という名セリフが大流行したのは、堺がその内側にある怒りと矛盾を、すべて受け止めた上で放ったからだ。

人格が切り替わる“沈黙”の妙

声を荒げず、目線で示す。堺雅人の真骨頂とも言えるその演技力を、あらためて世に知らしめたのが、TBS系・日曜劇場『VIVANT』(2023年)だった。

彼が演じた乃木憂助は、堺にとってもかつてないほど複雑な役柄。序盤では穏やかで人当たりのよい商社マンとして振る舞っていたが、物語が進むにつれ、別人格が少しずつ浮かび上がってくる。

その演じ分けは、わずかな表情の揺れ、目線の切り替え、呼吸と声の抑揚だけ。とくに圧巻なのは、人格が切り替わる“沈黙”の瞬間。どちらも堺が演じているのに、まるで「全く別の人間」が立ち上がっているように感じさせ、観る者を唸らせるのだ。

堺雅人が持つ表現の繊細さは、単に技術の話ではない。物語の奥深くにある痛みや真実を、観る者の感情にそっと届けてくる力だ。来年放送予定の『VIVANT』続編では、彼がまた新しい“乃木”を生きるのだろう。そのとき、私たちは再び、言葉にならない何かをその“沈黙”から受け取ることになる。

カメレオンではなく“人格の引き出し”を持つ男

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(C)SANKEI

堺雅人はしばしば「変幻自在」と評される。確かに、役ごとの振れ幅は大きい。だがそれは、単なる振れ幅ではない。一つひとつの人物を丁寧に理解し、誠実にその人物を生きているからこそ、結果としてそう見えるだけだ。

彼は、役ごとに劇的な見た目の変化を見せるタイプの俳優ではない。だが、その“変わらなさ”こそが、演じる人物の内面をくっきりと浮かび上がらせる。

「顔は同じなのに、人格はまるで違う」

それは、ただの技術ではなく、堺雅人という“不変の変幻自在”俳優が持つ、演技に対する“思想”の深さにほかならない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。