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マリリン・モンローの“スタイル革命”──知られざる美の戦略とレガシー

  • 2025.6.2

20世紀の偉大なスタイルアイコンの誕生

マリリン・モンロー、1954年の映画『帰らざる河』撮影時のポートレート。
マリリン・モンロー、1954年の映画『帰らざる河』撮影時のポートレート。

ブロンドのカールヘアにセクシーな動き、絶妙な場所に位置するホクロ。マリリン・モンローは、20世紀で最も偉大なスタイルアイコンの一人であり、大衆のイマジネーションから決して遠く逸れることはなかった。

1953年、モンローは『ナイアガラ』や『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』といった映画のヒットに押され、セックスシンボルとしてハリウッドの頂点に立った。
1953年、モンローは『ナイアガラ』や『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』といった映画のヒットに押され、セックスシンボルとしてハリウッドの頂点に立った。

彼女は、美の女神アフロディーテであると同時に、隣にいそうな少女のようでもあり、また傷つきやすく見えて、官能的でもある。この一見矛盾した彼女特有の性質は時代を超え、「グラマー」という概念を確立したのだ。

私たちをひきつける彼女の魅力や伝説は、今もなお収まる気配がない。2016年には、1962年にモンローがジョン・F・ケネディにセレナードを歌うために着たジャン・ルイ(JEAN LOUIS)のドレスが、オークションの世界記録480万ドル(約5.3億円)で競り落とされた。

ジョン・F・ケネディ米大統領の45回目の誕生日にてモンローが歌った「ハッピー・バースデー」は、歴史の残るワンシーンとなった。この日モンローが着ていた、ヌードカラーのタイトドレスもアイコニックなルックとして知られる。
ジョン・F・ケネディ米大統領の45回目の誕生日にてモンローが歌った「ハッピー・バースデー」は、歴史の残るワンシーンとなった。この日モンローが着ていた、ヌードカラーのタイトドレスもアイコニックなルックとして知られる。

シドニーのオペラハウスや、あるいはモナリザのように、彼女のイメージは私たちにとって馴染み深く、どこにでも目につくものになってしまった。その圧倒的な存在感が原因で彼女が「スタイル」というものにどれだけ貢献してきたのか、またどれだけそれに精通していたのか、ということに目を向けることを困難にしている。

計算され尽くした美しさ。ファッションとメイクの哲学

1955年、ニューヨークのアンバサダー・ホテルを出る前に「シャネル N°5」を纏うモンロー。
1955年、ニューヨークのアンバサダー・ホテルを出る前に「シャネル N°5」を纏うモンロー。

わずか16年にわたるキャリアの中で、モンローは女優として、プロデューサーとして、歌手として、ビジネスウーマンとして、野心的な知識人として、そしてとりわけセックスシンボルとして、名声を確立した。1950年代のハリウッドでは内気で控え目な女性像を理想としており、モンローは遠くかけ離れていた。だが彼女は、「性の女神」としてのイメージを不朽のものとするためにファッションやメイクをツールとして巧みに操っていた。例えば、敢えて乳首を強調するために衣服の胸もとにボタンを縫い付けたり、唇を半開きにしたり……。数々の写真に収められたこのポーズは「ルック」として人々に広く認知されるようになった。

1955年、マディソン・スクエア・ガーデンで催されたチャリティ・サーカス・イベントでピンクの象に乗るパフォーマンス前のモンロー。
1955年、マディソン・スクエア・ガーデンで催されたチャリティ・サーカス・イベントでピンクの象に乗るパフォーマンス前のモンロー。

デザイナーのビル・ブラスは、自叙伝でモンローのアパートで仮縫いしたときのことに触れている。「モンローは私が出会ったなかで、全注意を自分のヒップに向けるただひとりの女性だ」と彼は思い起こした。「縫い目がそこでどうあるべきかを正確に熟知していた」

映画『紳士は金髪がお好き』(1953)のためにウィリアム・トラヴィーラがデザインしたプリーツの入ったゴールドラメのドレスは、検閲官に露出が過ぎると判断され、映画ではほんの少しの間しか見られない。しかしモンローは、ビバリーヒルズホテルでの1953年フォトプレー・アワードの受賞式でそのドレスを着用することを譲らなかった。

私たちの脳裏に焼きつく、スクリーンの中のモンロールック

トム・イーウェルと共演した映画『七年目の浮気』。モンローの白いスカートが地下鉄の通気口の風で舞い上がるシーンはアイコニックだ。
トム・イーウェルと共演した映画『七年目の浮気』。モンローの白いスカートが地下鉄の通気口の風で舞い上がるシーンはアイコニックだ。

モンローのスタイルで最もよく知られているものは、ほとんどが映画のスチール写真からだろう。『7年目の浮気』(1955)の大きくうねる白いホルターネックのドレス、『紳士は金髪がお好き』(1953)で着たピンクのダッチスサテンのトップと、それにマッチしたグローブ、そして『お熱いのがお好き』(1959)の薄い生地のビーズ付きガウン(それは驚くほどシアーで、妊娠中の彼女にはタイトすぎた!)などは、私たちのイマジネーションに焼き付いている。

モンローが1953年の映画『紳士は金髪がお好き』で歌った「ダイヤが一番」は、アメリカン・フィルム・インスティチュートが20世紀の最も優れた映画挿入歌の12位に選出した。
モンローが1953年の映画『紳士は金髪がお好き』で歌った「ダイヤが一番」は、アメリカン・フィルム・インスティチュートが20世紀の最も優れた映画挿入歌の12位に選出した。

今なお続く影響力。女性像とスタイルを再定義

モンローは、映画におけるセクシュアリティというひとつのパラダイムを提供した。しかし、女性がいかに着飾るかということに本当にインパクトを与えたのは、彼女のオフスクリーンファッションだ。曲線を見せるために丁寧にダーツを入れたハイウェストのジーンズ、シャキッとした白いシャツ、ポロネック、ペンシルスカート、くびれた黒のミディドレス、ベルト付きのキャメルコート、そしてキャットアイサングラスなどがモンローのワードローブにはあった。

マリリン・モンロー、イングルフィールドグリーンの自宅前にて。
マリリン・モンロー、イングルフィールドグリーンの自宅前にて。

1950年代には彼女が身に着けていたものは現代ではスタンダードとなっているが、当時はリスキーとされていた。女優ジョーン・クロフォードはモンローの衣裳を「下品」と非難した。しかし後になってこそ言えることではあるが、今見れば、彼女のファッションへのアプローチは全く別のものにみえる。簡単にいえば、彼女がファッションに残したレガシーは「女性らしさを独自に攻略しパワフルにしたこと」だ。そして、それは今でも同じように通用する。

Photos: Getty Images Text: Libby Banks

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