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「妻はいるけど、夫婦関係が成り立っているかは別」経営者52歳のプライベートとは

  • 2025.5.5

男という生き物は、一体いつから大人になるのだろうか?

32歳、45歳、52歳──。

いくつになっても少年のように人生を楽しみ尽くせるようになったときこそ、男は本当の意味で“大人”になるのかもしれない。

これは、人生の悲しみや喜び、様々な気づきを得るターニングポイントになる年齢…

32歳、45歳、52歳の男たちを主人公にした、人生を味わうための物語。

▶前回:「バツイチ」は武器になる。離婚して10年、45歳広告代理店男のプライベートとは

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Vol.3 麻布十番のパーティー 会社経営者の52歳、後藤祐一の場合


東麻布の中華『紫玉蘭』の2階の長方形のホールは、60人の人々で賑わっていた。

貸切の立食パーティー。行き交う人々みんなと挨拶を交わす僕には、洗練された美味しい中華料理を味わう暇もない。

だけどそれは、僕にとってはこの上なく心地よい慌ただしさなのだった。

「後藤さん、点心めちゃくちゃ美味しいです」

「後藤社長、ちゃんと召し上がってますか?」

そんな声をかけてくれる人々は皆、僕の会社の大切な従業員だ。

そう。今夜は、会社設立15周年を記念するパーティー。騒がしいほどの賑わいや盛り上がりは、僕にとっては心地よい極上の音楽に他ならない。

― 15年前に会社を作った時には、社員はたったの5人しかいなかったのになぁ…。

不動産コンサル業を始めるため、15年前、この店の一番小さな個室で開催した決起集会。

そこから少しずつ仲間を集め、ついにメインのホールを貸し切るところまで来た。

しみじみとした喜びを噛み締めながらも僕は、壁際に数脚設けられた椅子に密かに腰を下ろす。

長い立食パーティーに軽く足腰の疲れを感じたこともあるけれど、少しだけ1人になって、この喜びに浸りたかったのだ。

― 会社は15歳。そして僕は、いつのまにかもう52歳か…。

照明の落ち着いた会場の端で、こっそりとこの目の前の光景を眺めながら感慨に耽る。

大手不動産会社から独立して今の会社を始めたときには、まだ30代だったというのに…。

いつのまにかもう52歳だなんて、なにかの冗談みたいだった。

駆け抜けてきた30代、40代は、とにかく会社を大きくすることに一生懸命で、振り返ってみれば短い間の白昼夢だったようにも思う。

遊ぶ暇すらなかったけれど、その結果、今の目の前の光景があるのだ。後悔は一切ない。

わずかに悔やまれることがあるとすれば、仕事に夢中になってきた分、もう27歳になる娘の成長はあまりゆっくり見られなかったことくらいだろうか。

けれどそんな寂しさはそのまま、文句も言わずに支えてくれた妻への感謝へと変換されているのだった。

― まあ、家族は妻と娘だけじゃないしな。

その言葉は嘘ではない。こうして少し立ち止まってみると、このフロアにいる60人の従業員全員が、僕の家族みたいなものなのだ。

前の会社から、僕を信じて一緒に独立してくれた役員のみんな。

大手の別事業から、やりがいを感じて転職してくれた中堅社員たち。

新卒でまだ頼りないベンチャーだったうちを選んでくれた、若手の真田くんの顔も見える。

自慢じゃないが、会社の規模がこうして少し大きくなった今も、僕は全ての従業員の顔と名前をしっかり頭に入れるようにしている。

それだけじゃない。慶弔の情報や、ごく個人的な情報も、なるべく知っておきたいと思っているのだ。

我ながら、奇妙な癖だとは思う。だけどこうすることで、娘が幼い時期に妻に全てを任せて仕事にかまけていたことへの、せめてもの罪滅ぼしになるような気がしていた。

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それになにより…。

社員が、誇りに思ってくれる経営者でいたい。

それが、僕がこの会社を設立した時からの、変わらないモットーだ。

人間ある程度歳をとると、美醜よりも性格が顔に出るなんてことを聞いたことがあるけれど…ある意味、これも因果応報というのだろうか?

50代にして思うのは、人生は本当に、自分がやってきたことに対して相応の結果が返ってくる、ということだった。

早稲田を卒業し、新卒で大企業に入社したものの、顧客の顔が見えにくい仕事に疑問を感じた僕は、その疑問を原動力に会社を興すことに決めた。

血の通ったサービスで世間に貢献したい。顔の見えない顧客にも血の通ったサービスを届けたいという想いを持ちながら、従業員に対してなんの愛情も持っていない、なんてことが通るわけがない。

全ての社員の顔と名前を覚え続けているのは、その一心──というか、半ば意地のような気持ちともいえる。

あまりにロマン主義に聞こえるかもしれないけれど、経営者である僕がこういう姿勢でいることで、会社も世間にも愛されることになると信じて走り続けてきたのだった。

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― ここまで、どうにかみんなに愛される会社にしてこられたかな。

このパーティーもそんな考えから、一緒に会社を盛り立ててきてくれた仲間たちへのお礼のような気持ちで開催しているところもある。

意地のように顔と名前を覚えていても、経営者が実際に従業員に感謝の想いを還元できる機会というは、そう多くないものだ。

せめて、美味しいものでもご馳走してあげたい。新たな体験の機会を提供してあげたい。

若い社員たちに対してそんな気持ちが湧いてきたのも、考えてみれば50代を迎えてから顕著になってきたような気がする。

けれどその一方で、少し欲が出てきたのもやっぱり50代を迎えてからだ。

若い人たちにとって、憧れの存在でいたい。背中で気持ちを伝えられるような、かっこいいジジイでいたい──。

52歳の男というものは、皆こんな気持ちを抱くものなんだろうか?

目の前に広がる温かでささやかな成功を見ながら、そんな年寄りみたいな物思いに耽っていた、その時だった。

「あの…後藤さん、お隣いいですか?」

ふと耳元で涼やかな声が聞こえた。

僕に声をかけてきてくれたのは、美玖子さんだった。

中途採用の女性で、入社してくれたのは10年前。

年は39歳だけれど、それよりもずっと若く見える。ふわっと薫る甘くエレガントなローズの香水は、CHANELのCHANCEの香りだ。

「美玖子さん、楽しんでる?」

「はい、ありがとうございます」

透き通る凛とした声は、相変わらず魅力的だ。面接で初めて彼女に会った時に、特別な人だと感じたことを覚えている。

当時は主婦だったもののすでに離婚を決意していた美玖子さんは、「全力を注げる仕事に復帰したい」と、その美しい声で熱い気持ちを語ってくれたのだった。

― 「離婚するから名字もかわります」って言って、下の名前で呼ぶように自己紹介してくれたんだよな。

当時のことを振り返りながら、僕は彼女に向かって軽口を叩いた。

「どうしたの、今日は無礼講だよ。社長のご機嫌取りなんていいから、ほら、美味しいもの食べておいで」

よく気が回る美玖子さんのことだから、きっと会場に姿が見えない僕を心配して見にきてくれたのだろう。サバサバしていながらきめ細やかな性格は、社内でも人望を集めていると聞いている。

「ちょっとここで考え事してるだけだから、僕のことは心配しなくて大丈夫だからね」

けれど美玖子さんは、予想外の返事をしてくるのだった。

「いえ、心配だなんて。…あの…、ちょっとだけ、ここで後藤さんのそばにいてもいいですか?」

「え…?」



2人でこっそり店の外へと抜け出すと、5月の夜風が僕たちの頬を撫でた。

「気持ちいい…」

美玖子さんの澄んだ声が、CHANCEの香りと共に僕に届く。

もしかしたら、会場の中では言えない折り入っての相談があるのだろうか?

そう思って美玖子さんを外へと連れ出したものの、美玖子さんは少し頬を染めながら、じっと黙り込んでいるのだった。

「どうしたの?何か、僕に言いたいことがあったんじゃない?」

僕はなるべく威圧的にならないように気遣いながら、美玖子さんに声をかける。

日頃から従業員とは距離をなるべく近く、話しやすいように心がけているけれど、そうは言っても僕は雇用主だ。きっと、言い淀んでしまうこともあるだろう。

でも、従業員の声は家族の声だ。どんな苦言でも、相談でもしてほしい。

― 僕みたいなオジサンに言いたいことなんだから、よほど深刻なことなのか…?

そう覚悟して、どんな言葉でも受け止める覚悟を固める。

けれど、美玖子さんがようやく発した言葉は、僕にとってはどんな相談よりも驚きに満ちたものだった。

「あの…後藤さんって…いつも周りの助けになってばかりで。誰かに支えてもらいたいとかは、思わないんでしょうか?」

「え…?」

何を聞かれているのか分からず、僕は思わずきょとんとしてしまう。そんな僕の反応を前に、美玖子さんは慌てて言葉を続けた。

「あ、あの!本当にすみません。こんなの、失礼ですよね。でもあの…後藤さんのことを支えてあげる方って、いらっしゃるんでしょうか。だって、奥様って…」

「ああ…知ってるのか」

そこまで聞いて、やっと彼女が僕に何を伝えたいのかを理解した。

潤んだ瞳。淡く染まった頬。不安げな表情。そして、妻のこと──。

まさか50歳をすぎた今も、こんな状況に身を置く時が来るなんて、一体誰が予想できるだろう。

時折、秘書のような役割もしてくれている美玖子さんだ。きっと、僕の妻のことを…僕の家族ことを、少なからず知っているのに違いなかった。

子育てに関与しなかった僕は、恥ずかしながら家庭にしっかりとした居場所があるとは言えない。

同い年の妻とは戦友ではあるけれど、夫婦関係が成り立っているかどうかは別のことだった。

僕の稼いできたお金を、妻が長期の旅行や高価な買い物に注ぎ込んでいることには、感謝の気持ちをもって目をつぶっている。

その旅行や買い物に、僕ではない誰かを伴っていることにも。

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「はは、情けないな…」

バツの悪さを情けない笑みで誤魔化す僕に、美玖子さんは半泣きのような表情を浮かべた。

「すみません。でも私…私…ずっと後藤さんのこと」

だけど、それ以上の言葉を、美玖子さんの口から言わせるわけにはいかない。

僕はそっと美玖子さんの肩に手を置くと、なるべく威圧感を与えないよう精一杯心がけて、言った。

「心配してくれて、ありがとう。いつも感謝しています」

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じっと美玖子さんを見つめる。美玖子さんも、僕をじっと見つめる。

こんなに長い間女性と見つめ合ったのは、一体いつぶりだろう?

正直僕の胸の中には、まだこんな気持ちになれることへの喜びが溢れていた。

それでもすんでのところで思いとどまれたのは──美玖子さんが、真田くんの憧れの女性だと知っているから。

人生は自分の行動の結果だということを理解している、52歳だからだった。



全てを言わずとも理解してくれた美玖子さんが、もう一度僕を見つめた。

「はい。私も、感謝しています。“社長”」

「これからでも、妻を振り向かせたいんだ。君と年の近い娘のこと、すべて任せてきてしまったからね」

「…そういうところが、素敵です。これからも社長のためにお仕事頑張りますね」

「ありがとう」

「じゃあ、先に戻ってますね」

「うん」

美玖子さんはそう言って、店内に戻っていく。颯爽とした歩き方は、面接に現れた時とまったく変わっていなかった。

CHANCEの香りだけが、僕の隣に残った。

彼女の気持ちに応えられなかった理由は、実はもうひとつだけあった。

― この香りが、妻と娘と同じじゃなかったら…もしかしたら危なかったかもな。

もう、52歳。

年下の美女からの想いを無下にするだなんて、惜しいことをしたと悔やむ日がくるのかもしれない。

だけど、これで十分なのだ。そんな想いを寄せてもらえたということは、少なくともジジイなりにかっこいい背中を見せることに成功する予兆があるのだろう。

「んん…俺もそろそろ戻るか。家族のところに」

大きく伸びをして、これから先のことを考える。

さて。16年目の会社では経営者である俺こそが率先して休みを取って、改めて妻を旅行にでも誘ってみようか?


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52歳の後藤に片想いする美玖子。そんな美玖子を見つめる、32歳の男がいた

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