地震や津波による直接的な被害からは免れたものの、過酷な避難生活に耐えられず自ら命を絶ってしまう人がいる。2016年4月の熊本地震後、看護師の山本智恵子さんは、東日本大震災の被災地をみた経験から、仮設住宅内に「BAR」を開いた。そこにどんな狙いがあったのか。『最期の声 ドキュメント災害関連死』著者・山川徹さんが聞いた――。(1回目/全2回)
なぜ看護師が仮設住宅内に「バー」をつくったのか
――山本さんは2016年に発生した熊本地震後に、熊本県内で最大だった仮設団地の支援を始めました。その経緯を教えてください。
【山本】熊本地震前、私は県内で訪問看護師として働いていました。2014年に、訪問看護のボランティア団体「キャンナス」の熊本支部を立ち上げています。
キャンナスは長年、被災地支援に力を入れていたという経緯もあり、地震発生後、代表をつとめるキャンナス熊本が益城町テクノ仮設団地の「見守り」を担当することになりました。熊本空港にほど近い熊本テクノリサーチパーク(益城町)にあることからこの団地名になっています。
益城テクノ仮設団地(以後テクノ団地)には、516戸の仮設住宅が設置され、ピーク時には1334人の被災者が暮らした県内最大規模の仮設団地でした。
私たちがそこで活動するにあたり、大きく2つの軸を意識していました。
東日本大震災で目立った独居男性の自殺
ひとつ目が、仮設住宅を戸別訪問して、被災者個々の相談に乗りつつ、健康状態や、生活の悩みなどに問題があれば、医療や行政をはじめとする専門機関につなぐこと。
ふたつ目が仮設住宅の自治会とやり取りしてコミュニティーを形成し、支援すること。
この軸を思い至ったのには、東日本大震災の被災地での経験があります。
私たちは熊本地震直後に、3・11の被災地だった宮城県石巻市に足を運んで仮設住宅の支援について学んでいました。
そこで知ったのが、壮年期の独居男性の自殺率の高さです。加えて、アルコール依存症や、急性アルコール中毒で亡くなったり、身体を壊した人も多かったことです。
家族や家、仕事を失った男性が深い喪失感を抱え、孤立してアルコールに逃れる……。3・11と熊本地震では、災害の規模こそ違いますが、同じような状況に陥る被災者はいるのではないかと注意していました。
看護師がどうしても会えない人とは
一般的に「見守り」と聞いてイメージしやすいのが、被災者宅の戸別訪問ではないでしょうか。
震源地だった益城町は被害がひどく、テクノ団地は中心部から離れた場所につくられました。団地内にスーパーはありましたが、孤立した集落のような環境だったんです。
ただ入居直後は、被災者の方々の不満はあまり耳にしませんでした。みんな目先の問題で一杯一杯だったからです。壊れた家の片付けをして、役所に足を運んで受けられる支援制度の手続きをして……。仮設住宅の不満や、将来の不安に目を向ける余裕もない状況でした。
ただ、1カ月も過ぎると仮設住宅の住みにくさにかんする苦情が出てきました。その後、数カ月から1年が経つと、人間関係のもめごとや、生活の不満が目立ってきました。
テクノ団地ではAからFまで6区画にわけられ、A区以外は同じ集落や、同じ地域住民が一緒に入居できるようにしていました。それでも隣人の騒音などの苦情や相談ごとが増えてきました。
また生活再建し、新たに建てた家に引っ越す人もいます。残された被災者の中には焦りを感じる人も出てきました。
それでも集会場で開かれるお茶会や見守りで話ができる人は問題ないんです。懸念したのは、”どうしても会えない人”です。
「BARキャンナス」を作ったワケ
日中のお茶会に顔を出すのは、ほとんどが女性。一方、お茶会に顔を出さない人や、仕事で外出しているのか、何度戸別訪問をしても一度も会えない人――その多くが中高年の独居男性だったのですが、彼らがどんな状況に置かれているのか、まったく見えてこなかった。
いくら注意していても、会って話すこともままならない。東日本大震災と同じことが起きてもおかしくない。そんな危惧が現実になりつつあると感じたのが、発災後1年ほど経った頃です。
そこで考えた取り組みが、独居の中高年男性が集える「BA Rキャンナス」でした。
――「バー」というとお酒を出すお店ですか? アルコール依存や急性アルコール中毒を防ぐための「バー」というのは矛盾しているように感じますが。
そこは私たちも葛藤があり、とてもせめぎ合ったんです。健康を害し、ときに命を落とすリスクをともなうアルコールを飲む場を、支援者である私たちがつくっていいのだろうかと。
でも、忙しい壮年期の男性に対して、戸別訪問をしたり、お昼にお茶会をしましょうと呼びかけたりしても効果がなかった。まずは会って、どんな問題を抱えているか確認するのが最優先だと考えました。
スタッフたちと「お酒だったらくるかもしれない」「でもアルコールってタブーだよね」「それでも酒を出すしかない」……と話し合って、悩んだ末に「BARキャンナス」のオープンに踏み切りました。
目的は「ストレス解消」だけではない
――どんなお店だったんですか?
お店を出したのは、テクノ団地でもっとも大きな集会場です。カウンターは自作しました。オープンするのは月1度で、お酒は個々の持ち込み制。おつまみは私たちがつくりました。お客さんのほとんどが独居の男性です。
おつまみは、普段彼らはカレーやラーメンは食べているだろうから、栄養があって、野菜も食べられるバランスのよい料理がよいだろうと、いろいろとつくりました。おでんや、肉じゃがもつくりましたし、焼き鳥も焼きましたね。それで料金はひとり500円。
キャンナス熊本のメンバーは約20人で、そのうち7、8人が看護師です。若い女性看護師を目当てに足を運んだ人もいたと思います。看護師も隣に座って飲んでいましたし、カラオケもありましたから、雰囲気はバーというよりもスナックに近かったかもしれません。
毎回20人ほどが来店して「BARキャンナス」で知り合った被災者同士が飲み仲間になることもありました。
お酒の力を借りて、被災者の悩みを聞き、ストレスを解消してもらう――。「BARキャンナス」について話すと、そう受けとる人がほとんどです。もちろん悩みを零こぼし、ストレスを解消して欲しかったのですが、私たちの本当の狙いはそこではありませんでした。
40代男性が持っていた「液体」
私は来店する人に、ふだん飲むお酒を持ってきてくださいと伝えていました。誰が何をどれだけ飲むのか。バー開店の最大の目的は、日常の飲酒傾向を把握することでした。
ある40歳前後のお客さんは、ハイボールのロング缶2本と2リットルのペットボトル2本を抱えて来店しました。ペットボトルの中身は透明だったのでてっきり水だと思い込んでいたんです。でもハイボール2本にしては千鳥足でひどく酔っている。
ちょっと待てよ、とペットボトルを確認してみたら中身は焼酎の前割り。彼は缶2本のほかに、4リットルの前割り焼酎を飲んでいたんです。
「1日で飲む分を持ってきてくださいって言いましたよね。これを毎日飲んでいるんですか?」と聞くと「そうです」と答えました。
事情を聞くと、トラック運転手として働いていたけれど、震災で流通がダメになったせいで仕事を失っていたんです。それで毎日、飲み続けていた。
要注意ということで、ひんぱんに戸別訪問を行いました。私たちが何度も通院するように勧めても言うことを聞いてくれなかったのですが、ボランティアの男性医師に促してもらい、その翌日病院で診察を受け、即入院が決まりました。
「BARキャンナス」をやっていなかったら、彼のリスクを察知できなかったかもしれません。
「BARキャンナス」を1年ほど続けて、とくに男性被災者の一人一人の健康状態や精神状態、飲酒傾向、悩みごとを手探りで把握していったんです。
「震災が起きたから孤独死」ではない
――近年、個々の被災者の被災状況や生活状況に応じ、専門的な能力を持つ関係者と協力して支援を行う「災害ケースマネジメント」の必要性が訴えられています。被災者を見守る場だった「BARキャンナス」は「災害ケースマネジメント」の実践でもあったわけですね。
いえ、ぜんぜん。そこまで考えてはいなかったです。
正直、当時は「災害ケースマネジメント」という言葉も知りませんでした。私たちはふだんの訪問看護師としての仕事を仮設住宅でもしただけなんです。
益城テクノ団地が閉鎖される2020年まで4年間の伴走支援を続けてつくづく感じたことがあります。災害時には、社会の脆弱性が浮き彫りになるんだな、と。
たとえば、益城町もほかの地方同様に高齢化が進んでいます。行政は見守りをする上で、仮設住宅での孤独死をゼロにする目標を掲げていましたが、支援を続けていくうち違和感を覚えました。
独居の高齢者が多い地域では、災害に関係なく、孤独死は起きているのが現状です。言い方は悪いかもしれませんが、家族に看取られたり、病院のベッドで人生を終えたりする人ばかりではなく、ひとりでひっそりと亡くなる人は日常でも少なくありません。
災害は日常の延長線上に発生する
けれど、メディアも仮設住宅での孤独死をことさら取り上げようとするし、行政も問題視する。
私たちもリスクを抱えた方のお宅には、ひんぱんに訪問していましたが、何度か孤独死の現場に立ち合いました。どんなに手厚くサポートしていたとしても私たち支援員の見守りに問題があるのではないか、と責任を問われる場合もあります。
災害は突発的に起きる特別な災禍だと考えられがちです。しかし災害は日常の延長線上に発生します。
日常の孤独死や独居男性の孤立もそうですが、平時には気づかないリスクが発災後の仮設住宅では浮き彫りになり、可視化されます。
言いかえれば、災害が起きると仮設住宅の孤独死や、独居男性の孤立に注目が集まりますが、それは日常の地域の姿でもあるのです。
個人の弱い部分が浮き彫りになる
――熊本地震では直接死の4倍を超える218人が、避難中に命を落とし、災害関連死に認定されました。能登半島地震でも災害関連死の増加が問題になっています。被災前から訪問看護師として、地域に暮らすリスクを抱える人と接してきた山本さんの視点は、災害関連死対策にも活かされるべきですね。
そうなればいいのですが……。テクノ団地は、益城町の縮図でした。災害時に地域の脆弱性があらわになるとするなら、平時にいかにリスクを把握し、サポート体制を整えておくか。それが、震災後に人を救うことにもつながり、平時でも高齢者や障害者、困りごとを抱えた人が生きやすい社会なのではないかと思うのです。
それは、熊本地震に限った話ではありません。自然災害が起きたら被災者を支援するのは当然です。被災者を支援するのが、同じ被災者かもしれない。だからこそ日頃の地域の力が試されると思っています。
災害では地域や個人の弱い部分が浮き彫りになるという意識を持ち、平時から、社会として、いつくるかわからない災害に備えることが何よりも重要なのではないかと考えているのです。
山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく』(小学館)。Twitter:@toru52521