1. トップ
  2. SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第64回「蜂蜜」

SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第64回「蜂蜜」

  • 2026.10.27

頭の良さというのは一体なんなのか、と思う機会は、私の人生の中で幾度もあったように思う。勉強ができる人はもちろんのことだが、要領が良い人、会話が上手な人、何かに造詣が深い人、知識を蓄えている人。そういう人に出会う度に「へエ、この人頭いいなア」と心底関心をする。「頭の良さ」なんていう一言で片付けずに、もっと細分化した呼称があっても良いのではないか、とさえ思ったりもする。色を表すにあたり、白と黒だけで片付けられないのと同じで、赤いものを「赤」と言い表せるような呼称が、頭の良さの種類に合わせてそれぞれに存在すれば素敵なのにな、と私は思う。

『吹けば飛ぶよな男だが』を読む

そういう人たちと共に過ごす時間は、殆どの場合楽しい。自分が持ち合わせていないものを目の当たりにすると俄然興味が出る。自ずと「なんで?」「どうして?」が湧いてくるため、話題に事欠かない。相手はそれをどう感じているのかまではわからないが、少なくとも私はその時間を、楽しいと感じることが出来るのだ。

ただ、頭の良さの種類より、その人たちから聞くことができた話の内容より、もっと興味深いことがある。それは、頭の良い人には必ずと言って良いほど、頭の悪い側面が存在しているということだ。

こんなに頭良いのになんで滅茶苦茶な人生選んでんの、とか。こんなに頭良いのになんで彼女(または彼氏)にこの人選んだの、とか。こんなに頭良いのになんで致命的にユーモアのセンスが無いの、とか。まア、甚だ失礼な疑問であると同時に余計なお世話であり、そもそも誰が言ってんだよって話ではあるのだが、それは一先ず置いといて。時にそれは何かを犠牲にしてきた結果なのだろうし、達観しすぎたが故の選択なのだろうが、頭の良さからは理解し難いそれらを垣間見た時私は、「うわ、すごく人間」という、頭の悪い感想を抱いてワクワクしてしまう。なんと言うか。頭が悪いであろう人に頭の悪い側面を見つけても「浜辺にカニが歩いてる」くらい無であるのに対し、頭の良い人に頭の悪い側面を見つけた時は「絶世の美女の靴の裏に値札のシールがついてる」くらい、私の心は激しい動きを見せるのだ。伝われー。

従って、私の友達には頭の良い人が多い。そしてそんな友達の靴の裏には、値札のシールのみならず、猫のうんこや、虫の死骸なんかがへばりついている。実に愛おしい。

この話と完全にリンクしているのか怪しいところだが、頭が良いというのは一体なんなのか、と思った事案があった。

私がアルバイトをしていた時のことである。この日の私の担当はドリンクであり、これからやってくる金曜の夜の激務に備えて入念に準備をしていた。私が働いていた居酒屋は全席166席あり、基本的に二回転か三回転、にも拘らずドリンクに入れる人間はたった一人だけ。そしてガン(トリガーを引くとソーダが出たり、トニックが出たりするやつ)がないために全て瓶から注がなければならなかった。従って、ピーク時の前に瓶の蓋を緩めたり、グラスに氷を入れておいたり、カクテル、サワーの下地を準備しておく必要があったのだ。機械から注文の紙が吐き出されるピピっ、という音が絶え間なく聞こえてきた時に発狂してしまわぬよう、自己防衛も兼ねたバチバチのスタンバイには、いとまが無かった。

ピークに備えたドリンク場作りが整うと私は、新メニューに「蜂蜜レモンサワー」が加わったことについて、改めて深いため息を吐いた。トールグラスににレモンを絞り、リキュール、蜂蜜、氷をグラスアップしてからソーダを注ぎ、溢れぬよう、そして炭酸の抜けぬようにゆっくり混ぜ、絞ったのとは別のレモンをグラスに添える。本当に、まじでめんどくさい。ピーク時にこの注文はかなりきついなア、とうんざりしていると、ドリンクカウンターの向こうから新しく入った学生バイトの女の子がこちらを眺めていた。

「渋谷さん」

小さな声で女の子は私に声を掛けてきた。

「ん?」

「それ、なんですか」

女の子の視線は私の手元に注がれており、私は無意識に蜂蜜のチューブを手に持っていたことに気が付いた。

「新メニュー始まったでしょ、それに使う蜂蜜」

「へエ」

うちの学生アルバイトはどういうわけか高学歴の子が多かった。この子も例に漏れず、名門W大学に通う女の子であったが、どこか抜けているところがあり、本当かよ、と思う機会が何度もあった。しかし先日賄いの時間に同じ大学の先輩アルバイトと、学部がどうのこうのと楽しそうに話をしていたのでもちろん嘘では無いのだろう。第一、居酒屋のバイトで学歴詐称をする意味は、そもそも皆無だ。

女の子はカウンターから身を乗り出して、繁々と蜂蜜を眺めた。そして私の目を見て、真っ直ぐに言った。

「私、蜂蜜食べたことないです」

おお、まじかよ。私は素直に驚いてしまった。

「え、一度も?」

「はい」

「お前何歳だっけ」

「二十歳になりました」

「それで人生で一度もないんだ?」

「はい」

ほえー。まアでも、そんなこともあるのか。私は会話を終わらせ、チップグラスがないかの確認を始めた。ふと視線を上げると女の子はまだこちらを眺めていた。私は、どうしたの、と訊いた。すると女の子は言った。

「蜂蜜って」

「うん」

「甘いんですか?」

この時、私の人生の中でされた怖い質問ベストスリーが、ひっそりと更新された。

「お前、W大学だったよな」

「はい」

「そうか。うん。まアいいや、醤油皿持ってきな」

女の子は促されるまま醤油皿を持ってきて、差し出した。私はそれに蜂蜜を少し垂らして返した。すると女の子は皿をじっと眺め、眉毛を下げて私を見つめた。

「怖いです」

「何がだよ」

「え、味が」

「忙しくなるから早くしな」

女の子は恐る恐ると言った様子で蜂蜜を舐めると、弾かれたように顔を上げた。

「甘いです!」

「うん」

「甘い甘い!すごい!」

女の子は背後にいた別の学生バイトの女の子にも感動を伝えようと、嬉々として話し掛け始めた。一体これはなんの時間で、この子は一体どうやって生きてきたんだろうと思いながら、その様を眺めていた。しばらくすると女の子は再びドリンクカウンターに身を乗り出し、蜂蜜のチューブを見つめ、それから私を見た。

「渋谷さん、ありがとうございます」

「いや、それは全然なんだけどさ。お前、よくW大学入れたな」

「え、なんでですか」

「いや、なんでっていうか。言い方が良くないかもだけど、蜂蜜が甘いかどうかも知らなかったわけだろ?」

「だって、入試に関係ないですもん」

女の子は蜂蜜が甘かったことの興奮醒めやらぬ様子で、ホールの方へ歩いて行った。

おそらく女の子はW大学に入るために、蜂蜜がなんたるかを知る暇もなく、勉学に勤しんだということなのだろう。私はどこか腑に落ちないこの出来事を腑に落とすために、そうやって自分に言い聞かせたのであった。

頭の良さというのは一体なんなのか。あなたと膝を突き合わせて話す必要がありそうです。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ