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沖田臥竜の小説をBABEL LABEL澤口明宏が映画化『木漏れ陽』制作決定!せつなさと温かさが宿るティザービジュアルが到着

  • 2026.9.28

沖田臥竜の小説をBABEL LABEL所属の澤口明宏による脚本と監督で映画化する『木漏れ陽』の制作が決定。ティザービジュアルが到着した。

【写真を見る】『木漏れ陽』原作、監修の沖田臥竜

本作は原作、監修を務める沖田が、BABEL LABELで作品づくりを続けてきた藤井道人と共に企画を立ち上げたことからスタート。『ヤクザと家族 The Family』(21)、ドラマ「インフォーマ」などでタッグを組んできた2人が企画を育て、藤井の原案をもとに沖田が小説「木漏れ陽」を執筆。その物語を『ヤクザと家族 The Family』、『新聞記者』(19)、『パレード』(24)、『港のひかり』(25)など数々の作品を共に世に送りだしてきたBABEL LABELがスターサンズと共に製作。原作、監修の沖田と企画の藤井が信頼を寄せる澤口が脚本と監督を務め、自身初の長編映画としてスクリーンに送りだす。

主人公の小泉は、家族のために足を洗い、かねてからの夢だった漫画家を目指す元ヤクザ。月に2度だけ会える幼い子どもたちを生きがいにペンを握る彼は、ある日、突如として末期がんの宣告を受けてしまう。夢への渇望と父親としての責任のはざまで揺れながら、何度底辺に叩き落とされようと、残された命の限り子どもたちのために這い上がり、生き抜く。残された時間で、彼はなにを描き、なにを遺すのか。元ヤクザとして背負う過去、夢を追う泥臭い情熱、血のつながった子どもたちへの愛、そして自分を慕い続ける弟分との絆が交錯する、せつなくも温かなヒューマンドラマとなっている。

監督、脚本を務めるのは、ドラマ「インフォーマ」や「ムショぼけ」などで多彩な手腕を発揮してきたBABEL LABEL所属の澤口。ドラマからプロモーション映像まで幅広いフィールドでキャリアを重ねてきた澤口が、本作ではドキュメンタリータッチの手法を取り入れ、登場人物たちの息遣いや揺れる感情、そこにある「家族の姿」をリアルに焼き付ける。脚本、演出から編集、カラーグレーディング、VFX、MAまで、幅広い映像制作で培ってきた表現を本作に生かす。

あわせて解禁となったティザービジュアルは、小泉の生きがいである2人の子どもたちが、やわらかな木漏れ陽を背負う後ろ姿を捉えた一枚。説明せずとも伝わる家族の距離と温もり。その穏やかな光景の奥には、やがて彼らを待ち受ける過酷な運命が静かに横たわっている。撮影を浅田政志が手がけ、アートディレクションを吉良進太郎が担当したビジュアルが、せつなくも温かな家族の物語を象徴するデザインとなっている。

原作者を含めた製作陣が圧倒的熱量で挑む本作。キャストなどの情報は続報をチェックして!

<コメント>

●沖田臥竜(原作、監修)

「企画、プロデュースの藤井道人監督と映画『ヤクザと家族』で知り合い、『ムショぼけ』や『インフォーマ』シリーズを一緒に生みだしてきた。私の場合、藤井監督との『出会い』がすべてのメディアミックスの原点になっている。忘れもしない。サイゼリヤだ。サイゼリヤで撮った何気ない写真を藤井監督に送り、それが『木漏れ陽』のスタートになったのである。作り手がわくわくドキドキしなければ、人の心を鷲掴み、揺さぶるような物語なんて生まれてこない。私はいつも藤井監督から『沖田さん!次はこんなのをやりませんか!?』と連絡があるたびに、わくわくドキドキしながら、腕を鳴らすのである。今度は家族愛である。私が筆を握ったのだ。号泣させてやろうではないか。観てくれたすべての人々を私の地元、兵庫県尼崎市から、泣かせてやろうと思っている。澤口監督とは『ムショぼけ』や『インフォーマ』でも一緒にやってきた。とにかく真面目で人柄がいいのだ。どのような仕事でも、人柄のよさと真面目さが最優先されるべきではないだろうか。BABEL LABELのプロデューサー、高柳亮博さんも何年も前から知っていて、今回『木漏れ陽』で高柳さんのもっともっと深い所を知ることが出来た。一言でいえば最高な人物である。ここからは、我々の時代である。映画『木漏れ陽』で一つの時代を作りにきた。大勢の人々を映画館で涙させようと思っている。日本中を号泣させようと思っている。心配するな。私は私で唯一無二である。誰にも真似のできないヒューマンを用意している。誰かの心の片隅に『あの映画、面白かったね』と何年、経っても残ってくれますように」

●澤口明宏(監督、脚本)

「原作を読んで、小泉と子どもたちが過ごす時間が、もう少し続いてほしいと思いました。ご飯を食べながら言い合いをして、くだらないことで笑い、眠る前にはいつもの言葉を交わす。読み終えたあとも、そんななんでもない時間が心に残っていました。だから、この親子の『いま』を映画にしたいと思いました。小泉は、父親としてちゃんとやっているつもりでも、そう受け取ってもらえるとは限らない。漫画を描きたいという夢もあって、誰かのためにしていることと、自分のためにしていることを、本人も分けられていないのかもしれません。それでも、子どもたちを愛していることに変わりはない。そんな小泉を、きれいに整理せずに撮りたいと思いました。残された時間でなにかをなすことが、本当に正しいのか。なにかを遺そうとする小泉を見ながら、そんなことも考えました。ただ、彼らが一緒に過ごす時間のすべてが、別れのためにあるわけではありません。子どもたちには今日遊びたいことがあるし、小泉にも描きたい漫画がある。命に限りがあることと、目の前の毎日を生きていること。その両方を見失いたくありませんでした。今回は、こちらが考えた答えに近づけることよりも、台本から逸脱したとしてもその場に生まれるやり取りを大切にしたくて、ドキュメンタリーを撮るようなアプローチをします。そうして一つひとつのシーンを積み上げた先に、本当になにかが見えてくるのか。なにもない、散漫なものになってしまうのではないかという怖さもありました。それでも、その不安を埋めるために、人物の気持ちや場面の意味を決めてしまいたくはありませんでした。主人公だからといって、小泉のすべてがわかるわけではない。撮る側も、わからない部分を残したまま、その人のそばにいられないかと考えていました。そうした姿勢を保ちながら一本の映画にしていくことは、とても難しく、自分にとって大きな挑戦になります。『ムショぼけ』『インフォーマ』とご一緒してきた沖田さん、そして盟友である藤井監督から、本作の監督を託していただきました。沖田さんが描いたこの親子の時間を、役者やスタッフと一緒に、自分が本当に撮りたいと思える映画にすることで、二人の信頼に応えたいと思っています。死に向かう物語のなかで、最後まで、生きている人間を撮りたい。完成する瞬間まで、この人たちと向き合っていたいと思っています」

文/サンクレイオ翼

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