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笠井信輔アナが『ルックバック』を考察。傑作コンテンツを実写化する是枝裕和監督の“引き算の演出術”

  • 2026.9.16

藤本タツキの人気漫画を是枝裕和監督が映画化した『ルックバック』が公開中。漫画の腕に絶対の自信を持つ藤野(出口夏希)と、彼女に憧れを抱きながら圧倒的な画力を秘めた京本(蒔田彩珠)の成長と友情を描き出す。本稿では、無類の映画好きとして知られるフリーアナウンサーの笠井信輔による、『ルックバック』のレビューをネタバレなしでお届け。笠井アナは是枝監督の手腕をどう捉えたのか?

【写真を見る】漫画を描くシーンでは、「カリカリ」の音に注目…!

作品の肝とも言える、印象的なセリフがまるまるカットされていた…!

「ルックバック」がまたも成し遂げた!

藤本タツキ氏による漫画は「このマンガがすごい2022」オトコ編で第1位に輝き、アニメ映画は第48回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞。そして、是枝裕和監督が映画化した実写版『ルックバック』は、第83回ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に選出された。残念ながら本選での受賞は逃したが、映画祭から独立した団体や審査員から贈られる5つの公式独立賞、「Cinema & Arts(シネマ&アーツ賞)」、「SIGNIS Award(シグニス賞)」、「CinemaSarà(チネマサラ)賞」、「UNIMEDAward(ユニメッド賞)」、「Fanheart3 Awards(ファンハート3賞)」を受賞した。スタンディングオベーションが12分を超えて続くほど、イタリアの観客からの熱狂的な支持。

日本の漫画として生まれた「ルックバック」は、“振り返る”どころか、世界へと羽ばたいたのだ。

ヴェネチア国際映画祭での上映の模様 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社
ヴェネチア国際映画祭での上映の模様 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社

試写の段階で、これはヨーロッパで評価されるだろうと感じていた。

漫画家を目指す藤野、不登校の京本。小学生の2人が出会い、協力し合って、「週刊少年ジャンプ」の漫画賞を目指す、十数年にわたる夢と努力と友情の物語だ。

ただし、私もネタバレ済み観客の一人。アニメも大ヒットし、かなり多くの観客がこの物語の衝撃的な展開を知っているという点で、この実写版は相当ハードルが高い。

しかし、実写版は筋がわかっているからこそ深い感動を味わえる作品になった。言ってみればシェイクスピア劇を楽しむかのような体験だった。

一方で、海外の観客は、まっさらな形で本作に向き合うことができるのだ。

なにも知らずにこのストーリーに触れる感動も想像に難くない。

では、あの作品を、原作漫画からどのように実写化したのか。ネタバレなしで進めていきたい。

アニメ版が原作漫画のカットの構図まで忠実に再現し完成度が高いなか、実写化で変えすぎると炎上しかねない。

しかし、そのままではアニメと一緒になってしまう。

ここで、監督が取り入れたのは、原作漫画からの大胆な“引き算の演出”と、予想を覆す“足し算の演出”であった。

 藤野を演じたのは、話題作への出演が続く出口夏希 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社
藤野を演じたのは、話題作への出演が続く出口夏希 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社

漫画やアニメに触れた人ならばわかると思うが、「ルックバック」において、誰もが感じる、最も重要な心の琴線に触れるセリフがある。もちろんネタバレになるので、ここでは明かさない。

もしかすると、ファンはそのセリフを待っているかもしれない。

しかし!本作で最も肝となる印象的なセリフを、是枝監督は“まるまるカット”したのだ。

それは、この作品の核心ともいえるシーン。

テレビドラマだったら、このセリフは削らない。削らないのが常識だろう。

「スター・ウォーズ」で言えば、ダース・ベイダーの「私はお前の父だ」に反応するルーク・スカイウォーカーの「NOーー!」というセリフがないようなものなのだ。

しかし、劇場で観ている観客に対して、そこまで言わなくても絶対にわかるという、いや、わからせるという監督の自信が垣間見えた瞬間でもあり、そのカットがこの作品をより映画的なものに高めていた。

さらに、そのシーンに続いて漫画やアニメでかなり重要なシーンがあるのだが、監督はそれも描写せずに“音だけ”で表現している。

そのあとの展開を観客が受け止める上で極めて重要な行動なのだが、是枝監督はそれもあえて見せない。

あらためて思う。これは劇場映画なのだと。このシーンはテレビやネット配信では伝わらない可能性がある。

しかし、重要なセリフをカットし、それに続くシーンを見せないことが、かえって劇場の観客の想像力をかき立てているのは、紛うことなき事実。

でも、やっぱり、映画を見慣れていない人は少々混乱するだろう。しかし、手取り足取りすべてを手助けするテレビドラマと映画は違う。考えながら観るのも映画の醍醐味だと思う。ヴェネチアの観客はそこを楽しんでいる。

今回、監督のテーマとして、「語らないこと」「見せ切らないこと」があるのではないか。

キャラクターたちの心情を、一つ一つセリフにしない。

これが原作からの“引き算の演出”だ。

藤本タツキの漫画を実写化した『ルックバック』は公開中 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社
藤本タツキの漫画を実写化した『ルックバック』は公開中 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社

そして、その思考によってさらに本作を輝かせているのが、映像美である。

漫画やアニメにおいては、背景美術といったものが非常に重要であり、『ルックバック』も、不登校の小学生・京本が背景画に大変こだわり、天才的な画力を見せる。

是枝監督も、そこを意識して撮影されたと感じた。秋田県にかほ市の様々な四季の風景を、とても美しく捉えていて、それを挟むことによって、登場人物の心情が見えてくる。

さらにいうと、人物と風景を捉えた“引きの画”がすばらしい。風景からキャラクターの心情が見えてくるのだ。その美しい素朴な風景を見ていると、観客の心もどんどん豊かになっていく。

「新海誠監督だったら、このカット、絵にしたいだろうな」というような風景カットが、いくつもあった。

劇中、京本はスタジオジブリ作品などの美術監督として知られる男鹿和雄さんの風景画に惹かれるが、それこそジブリアニメの「人物と背景」の関係にも通じる「自然の中の人間」という映画的な構図がすばらしい。全編フィルムでの撮影も、もはや木村大作監督ぐらいのものかと思っていたが、それを選択した是枝監督と撮影の上野千蔵さんに、本作への相当なこだわりがあったと思われる。

『誰も知らない』(04)以降、生々しい人間の会話や自然な姿を映像に捉えてきた是枝監督が、その方向を維持しつつも、大胆に自然と向き合ったのがこの作品であり、作風が変わったとの印象を受けるかもしれないが、これは長編映画デビュー作『幻の光』(95)への原点回帰ともいえる。

あの作品も風景に情緒を感じ、風景の中の人物が非常に印象的だった。

こうした映像にかけるこだわりが、実写版『ルックバック』を大変魅力的なものにしている。

京本を演じたのは、『万引き家族』ほか是枝作品に多数参加している蒔田彩珠 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社
京本を演じたのは、『万引き家族』ほか是枝作品に多数参加している蒔田彩珠 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社

是枝裕和監督の強みを最大限に発揮!『ルックバック』は「まなざしの映画」

【写真を見る】漫画を描くシーンでは、「カリカリ」の音に注目…! [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社
【写真を見る】漫画を描くシーンでは、「カリカリ」の音に注目…! [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社

さらに、奏でられる音楽が本当に素敵だった。

やるなあと思ったのは、子ども時代の藤野(リトル藤野)が、自分が認められて喜び、道をスキップする(原作漫画で作者が極めて重要なコマとして描いている)シーンで、彼女が口ずさむワンフレーズが劇伴と完全にシンクロしているところだった。

ミュージカルでもないのに、こういうシーンはあまり見たことがなく、「これはすごい!」と、こちらの気分も上がった。

やはり人間をどう捉えるかという監督の強みは、今回も最大限発揮されていた。

本作は、「まなざしの映画である」といってもいいくらい、役者たちの瞳が物語っていたのだ。特に子どもたちのシーン。リトル藤野(七瀬ふうり)が一心不乱に絵を描いている時のまなざし。リトル京本(岡田六花)が真剣に背景を描いているまなざし。子役たちのその純粋な瞳が心に響いた。自分の好きなものに打ち込むという姿のすばらしさ。

この夢に向かって猪突猛進していく姿がキラキラしていて、それだけで、いいものを見せていただいた!という気持ちになれた。

すべての子どもに見てもらいたい!「ゲームやってる場合じゃないよ」と言いたくなった。

さて、ようやく言及…主演の2人(出口・蒔田)はどうなのか?

彼女たちの登場は期せずして驚きのシーンとなった。2人が中学生時代に子役から交代したのだ。思いもよらぬ早いタイミングでのバトン受け渡し。相当な冒険だったと思う。

漫画編集者役の菅田将暉が「これ、中学生で描いたの」と2 人に言うシーンは、正直言って、ちょっと無理があるなと感じた。

普通、子役からの交代は高校生になってからだ。しかし、そうなると2人が絆を作り上げる中学生時代を子役たちが担うことになり、感情の流れが途切れ、小・中学編+高校・大学編と物語が2つに分離してしまう可能性がある。交代時のインパクトはあったが、2人の熱演がクライマックスの感動につながり、最後には「主役があそこで交代して正解」と理解できた。

原作漫画やアニメとの本作の違いは、藤野と京本、この2人のキャラクターが、実写化することによって少し和らいでいるというところだろう。

原作漫画で藤野は、自信過剰で上から目線、角の立つもの言い、実年齢よりも大人びた女の子だ。しかし、是枝監督は、そこまでの演出はしていないように思える。藤野の子どもらしさという部分を大切にして、「なんだか嫌な感じの子」という最初の印象を観客が持たないように、ただただ漫画を描くことに熱中する子というキャラクターになっていた。ここにも“引き算”のさじ加減を感じたのだ。

藤野の幼少期、リトル藤野を演じた七瀬ふうり [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社
藤野の幼少期、リトル藤野を演じた七瀬ふうり [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社

一方の引きこもり少女・京本も、原作は秋田弁がさらに強く、コミュ障はもっときついものだが、こちらもそれほど強いキャラクターになっておらず、京本を引っ込み思案で、かわいらしく緩やかな感じにして、共感性の高いキャラクターにしていた。

ただ、これも監督がそうしたというよりも、自然な子どものありようというものを大切にする、是枝組の子役との向き合い方の結果なのかもしれない。

そして、何の情報も得ていないので詳細は分からないが、もしかすると今回、リトル藤野役の七瀬ふうりは、事前に台本を読んでいたのではないか。

是枝監督が子役に事前に台本を読ませない演出法は有名であるが、自由なリアクションでやりとりをしているこれまでの子役たちの雰囲気とは違って、特に七瀬ふうりには強烈な女優魂を感じたのだ。

事前に台本を読んでいた『怪物』(23)の2人の少年と似た感じ、といえばいいだろうか?

そういう意味では、リトル京本役の岡田六花は、いつもながらの是枝組の子役さん。子どもらしく自然な感じで、共感性が高い。

ただ、これまでと同じような現場でセリフを与えるような演出方法だとすると、過去の是枝組の作品の中で、七瀬は最も“即興的に演技ができる”子役ということになるのではないか? それが嫌な感じにはならず、全力で藤野を表現しようとしている姿が、むしろ好感。全力で、しかし黙々と漫画がうまくなりたいと突っ走る藤野とシンクロした。

こうした多弁にならない演出を受け、秋田の美しい四季を感じながら、私たちは思いを巡らせ、思いを受け取り、その分、作品は豊かになっていく。

京本の子ども時代、リトル京本を演じた岡田六花 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社
京本の子ども時代、リトル京本を演じた岡田六花 [c]藤本タツキ/集英社 [c]2026 K2 Pictures・集英社

ヴェネチア国際映画祭で5つもの賞を得るという高い評価を得た理由は、類まれなストーリー展開と、こんな引き算の演出スタイルにもあるのではないか。

では、本作における“足し算の演出”とは…。

想像を超える“足し算”を、是枝監督は本作に注入している。

それは、まさに『ルックバック』。

「振り返る」と「振り返るな」、ダブルミーニングを込めた原作のタイトル通り、その足し算は、振り返りながらも振り返るな、と希望をもたらしてくれるものであり、私はそこに涙した。

これは、みなさん自身が、ぜひ、劇場でその驚きと感動を味わってほしい。

そうきたか!…なのだ。

文/笠井信輔(フリーアナウンサー)

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